今日はお休み日記です。
栗拾いをしてきました
山で栗拾いをしてきました。
↑いい感じの栗でしょ。
いや、正確に言うと、「栗拾いをしに行った」ではなくて、「気分転換に、山に散歩に行った」なんですよ。
で、歩いていると、ふと地面に栗が落ちていたと。
最初は気づいていなかった
実のところ、最初は「1つだけだし、別に拾わなくてもいいかな」と思ってたんですよ。
別に1つだけ拾っても、それだけのために長時間ゆでるのは面倒で。
でも、栗に限らず、ドングリとかも、表面の手触りがいいし、子供の頃の感覚を思い出すと拾いたくなるでしょ(笑
なのでなんとなく興味本位で拾ってみると、そのすぐ近くにももう1つ落ちているのが見つかって。
で、もう1つも拾ってみると、その横にはさらに2つぐらい落ちていて。
そして、ふと気づくと、辺り一面には栗がたくさん落ちていることに気づいたわけです。
「歩いているのに気づかない」チャンス
これ、私の中では、結構衝撃だったんですよ。
だって、普通に歩いているのに、全然気がつかなかったんですから。
いやまぁ、確かに栗の実は枯れ葉と同じ色なので、なかなか気づけないんですが。
でも、まさか最近見つけた心地よい山道で、そういうお宝があるとは思わないじゃないですか。
よくよく考えてみると、チャンスってこういう「1つの栗を拾ってみる」みたいなことから、連鎖的に見えてくることがあるように思います。
なんとなくやってみたら、次の「拾えるもの」が見つかって、それを追いかけていたら、実は「周囲は宝の山だった」みたいな。
今まで自分が見えていなかった、「すぐ身近にある宝の山」に気づけるわけです。
それは、私たちの身近な、いつも歩いているところに山ほどあるのに、私たちは気いていないんですよね。
常識や効率が邪魔をする
それに、「1つだけ拾っても、無駄だよ」とか思うじゃないですか。
実際に私は、栗は今まで調理したことないし、栗拾いをしたこともなくて。
「栗よりも、今時期ならカボチャの方が、単価が安いよな。買うならカボチャだな」とか、常識が邪魔をするわけです(笑
「栗は、買うのが当たり前」、「栗よりも、カボチャの方が経済的」みたいに、「習慣とか効率を考えるのが、頭がいいことだ」と思ってしまっていると。
そういうのを打破するのが、ちょっとした好奇心なのかな、と思ったりもします。
「ちょっと拾ってみようか」みたいな、小さなことを楽しむ余裕ですよね。
まぁ確かに、「落ちている1円を拾うな。そんなことに時間を割くぐらいなら、仕事をする方が効率的」という人もいるでしょう。
でも、新しいチャンスって、そういう「ちょっと拾って、楽しんでみようか」みたいなところにありそうに思います。
誰も拾っていないものを拾ってみて、楽しんでみると。
そこから見えるチャンスも、あるように思います。
まとめ
さっそく水につけて、昨日ゆでで食べてみたんですが、普通においしかったです。
あ、ちゃんと拾っても大丈夫なところから拾ってますからね(笑
田舎だと、栗とかびわ、タケノコとか、結構自生していたり、取れるスポットがあって、いいですよね。
ちなみに、栗の外側のイガイガ(針がいっぱいあるウニみたいな殻)って、刺さると普通に痛いんですね(笑
装備もなくて、取り方が分からなかったので、「痛ーっ」と何度か叫んでました(笑
ということで、今日はお休み日記でした。
今日はここまで~。