今日は、ちょっとした日記です。
深層意識を使うと、「作る」ではなく「与えられる」と感じるようになる、というお話です。
「自分の中に光がある」という不思議な言葉
私はいろんな人の本から影響を受けいているんですが、その中の一人に斉藤一人さんという人がいるんですよ。
これは私と同タイプな人で、とても感覚的に分かって「こういう生き方でいいんだ」と助けられたんですが。
ただ、あの人が言っていることで、少しよく分からないことがありました。
それが、あの人は「自分の胸の中に光があって、その光に問いかけると、答えが返ってくる。私はこの光を、神様か何かだと思っている」みたいなことでした。
当時の私自身は、「へぇ、そんなこともあるのか」と感じていたんですけどね。
でも最近になって、それがようやく感覚として分かるようになったように思います。
深層意識を使うと、そういう感覚になる
これって、深層意識をうまく使えると、そういう感覚になるように思います。
深層意識って、私たちが「考えて導き出した」という感覚にはならずに、むしろ「問いかけたら、答えが返ってきた。答えを与えられた」という感覚になるんですよ。
もしくは、「問いかけなくても、何か語ってきた。それを実行すると、なんか心地よい結果が出た」となります。
というのも、深層意識は私たちがほとんど認識できない領域なので、「聴く」ことしかできないからですね。
深層意識では、「悩む」という次元の思考は起きえないわけです。
私がよく使う深層意識の階層図で言うと、私たちの深層意識は、次のような4つの層でできています。(次図)
↑ この図ですね。
答えや声が、投げかけられるばかり
で、第3層の「自分の価値観」から下は、もはや「自分でその領域をどうこうする」なんてできずに、ほぼ「答えや声が投げかけられる」ばかりになります。
例えば先日に話したひらめきだってそうで、私たちが「ひらめく時」って、「自分が考えて作り出した」って感覚にはなりませんよね。
「何かキーワードが脳内で出てきたと思うと、一瞬にして、雷に打たれたかのように連鎖的に、どばーっといろんなアイデアがつながっていった」という感覚でしょ。
「そうか、こうすれば、これもできるし、あれも一緒にできる! こうすればよかったんだ!」を作り出す種は、私たちが「考えて導き出したもの」という感覚にはなりません。
むしろそういう「ひらめきの種」は、「何かから与えられたもの」、「どこかからわいて出たもの」という感覚になります。
ならその「何か」を、「天」とか「深層意識」、「神様」、「胸の中にある光」と呼んでいるだけだと分かります。
「私が作った」という感覚がなくなる
実際に、私は最近「ネガティブ療法」とか「性質別コミュニケーション療法」とか提案していますが、これらは「私が作った」という感覚ではないんですよ。
だって、「何でだろう?」と考えていたら、なぜか答えが浮かんできたんですから(笑
私がこの初夏から海に行くようになったのも、去年から金融業界に移ったのも同じです。
「なぜそうしたのか」と問われると、私はその理由を答えられません。
「なぜか、私の中にある『何か』が、そうしたいと語っていたから」としか答えられなくて。
ひょっとすると、私が今年に大きく変わったのは、この辺が原因にあるのかもしれません。
今までは、ずっとゲームでも本でも、必死で「作っていた」感覚なんですよ。
今まで学んだこととか、知識やスキル、経験を元に、表層意識で比較検討して、判断していた感覚です。
ですが、「ネガティブ療法」とか「性質別コミュニケーション療法」なんて、もはや「なぜか知らないけど、天から与えられたもの」という感覚ですから(笑
ひらめきが連鎖していくと、勝手にできていた、みたいな(笑
深層意識から返ってくる答えというのは、そういう感覚になります。
だから桁違いなアイデアが出てくる
だから今年の私は、今までとは桁違いなアイデアが出てきたんじゃないかと思います。
「ネガティブ療法」にしろ、「性質別コミュニケーション療法」にしろ、もちろん今までの性質分類を元にはしていますが、私の中では「ひらめきの次元が変わった」という実感です。
私がこんな精神療法を提案するとか、1年前までは予想すらしていませんでしたから。
で、最近になってようやく、「ああ、斉藤一人さんが言っていたのは、このことなのか」と分かるようになったように思います。
それは、深層意識を使っていたんですね。
深層意識からアイデアを得ると、もう果てしなく「与えられたもの」ばかりになります。
「自分で考えて作ったもの」なんて、ほとんどなくなります。
新しいものほど「与えられるもの」
ある意味、新しいものやアイデアほど、「作るもの」ではなく「天から与えられるもの」なのかもしれません。
深層意識を使える人は、こういう感覚になると。
だから、頑張らないと。
頑張って考えるのではなく、心地よく瞑想するかのように心穏やかにしていたら、ふいに何かアイデアが出てきます。
この「ひらめき」の感覚です。
でもまぁ、改めて見てみると、これってほんと適当なこと言っていると思います(笑
自分でも「普通に考えると、確かに変なことを言っているよな」と自覚してますから(笑
だからこういうことを言う人は、常識的な人からは「お前は詐欺師だ!」とか言われるのかもしれません。
「そうか、だから斉藤一人さんも、『信じないでくださいね』と何度も言っていたのか」みたいに納得したりもします。
まとめ
そういう風に、深層意識を使うと、「作る」ではなく「与えられる」と感じるようになるかと思います。
なんだか私の中では、「それならもう、無理に作らなくていっか」という感覚です(笑
「与えられるばかりでもいいかな」と。
で、それを分かち合う、という感覚です。
こうなると、もはや「なら自分って何?」という次元になっちゃうんですが(笑
なんだかこう、最近は「自分」という感覚がなくなってきたような、不思議な実感もあったりします。
これが仏教で言う「無我」という奴なのかな、と思ったりも。
まぁ、これは信じなくてOKです。
私自身、1年前の自分ですら、こんなこと言われても信じられなかったでしょう。
そしてこんな話は誰も信じてくれそうにないので、今回だけにしておきます。
ただ、これを読んでいる人の中から、未来に同じように感じる人が出てくるかもしれません。
すると、「ああ、あの人の言っていたのは、こういうことだったのか!」と分かって、ちょっとだけ楽しめるかもしれません(笑
ということで今日は、深層意識を使うと、「作る」ではなく「与えられる」と感じるようになる、というお話でした。
今日はここまで~。