最近は精神的なお話がホットなので、今日も精神的なお話をしてみましょうか。
今日は、「意味を読み解くと、苦しみから解放される」、というお話です。
嫌な人を許して、感謝できるようになる方法
自分の周囲にいる人で、「あの人は嫌だなぁ」ってことがありますよね。
それで気分が落ち込んだり、苦しんだりだとか。
そういう場合には、「なぜ自分のすぐ近くに、そんなひどい人がいるのか」という意味を考えると、その苦しみから解放されるんですよ。
そしてその人を許せるどころか、感謝できるようになるという。
実際に私の例で言うと、私は昔から母親が苦手でした。
というのも、私の母親は、物事の悪い面を見てあざ笑ったり見下したりする性質を持っていた(というか今も持っている)からですね。
だいたいコミュニケーションの95%以上を嘲笑と軽蔑に使っているので、常に誰かを見下しているわけです。
で、子どもだろうが家族だろうが関係なく、母親が持つ価値観とは違う特徴や性質は、全て嘲笑と軽蔑対象になると。
例えばできない点を見ると、即座に軽蔑の対象になるわけで。
できない点だけでなく、それは世間一般では「よい点」であったとしても、母親の価値観から外れていれば、それも軽蔑対象になります。
例えば私は整理整頓が好きなんですが、母親はそんな私を見ると、「なんだい、この子は。綺麗にしすぎじゃないか。頭がおかしいね」と見下すわけです。
一方で私の一つ上の兄は結構ずぼらで、散らかすタイプなんですが、母親はそんな兄を見ると「ないだいこの子は、こんなに汚くして。どうしようもないダメな子だね」とあざ笑うと。
私と二人の兄はそういう環境で育ったので、母親の前では絶対に弱みを見せられなかったんですよ。
父親とか友人には冗談を言ったり笑い合ったり、哀しみを共有できるんですが、母親の前に立つと、一切の表情を出せなくなっていたわけです。
自分が嫌いな点を知られると、そこを攻撃される。
自分が好きな点を知られると、そこを攻撃される。
特に私の場合は、嫌なことをされるよりも、好きなことを否定される方が苦しかった記憶があります。
だから、弱みだけでなく、どちらかというと「本当に好きなこと」の方を出すことに、おびえていたような気がします。
そんな私が大学で一人暮らしを始めることで、一気に「大好きなことだけをして生きていくんだ!」とエネルギーが爆発したわけですが(笑
意味を読み解くことで、許せるようになる
でも、やっぱりずっと母親の生き方を許せなかったんですよね。
母親は、人を嘲笑するので人から信頼されずに、孤立してセルフイメージが落ちていって、だらもっと人を嘲笑して自尊心を得ようとするという、そういう悪いスパイラルに入っていた(というか今もそのまっただ中にいる)わけです。
すると、私はそれでも母親を大好きなので、「母親にも幸せになって欲しいなぁ」って思うじゃないですか。
そこで、どうその感情を解決したのか。
それが、「意味を読み解く」ということですね。
ここからちょっと、仮想的なお話になります。
ほら、よく、「貴方の前に現れる嫌な人は、貴方に大切なことを伝えるために、わざわざ貴方の前に来てくれたんですよ」とか言うじゃないですか。
これは昨日のお話と似たような感じで、「あの人は天からの使いで、わざわざ嫌われ役を買って出てくれた人なんだ」と思いましょう、ということです。
すると、許せるようになるどころか、感謝ができるようになるんですよ。
私の場合、母親のその「物事の悪い点を見ること」や「嘲笑すること」が許せなかったと。
でも、今思えば、母親がそういう性質を持ってくれていたおかげで、私は「物事のいい面を見ていこう」、「人を信頼してあげよう」と思えるようになったわけです。
特に最近から、私は「人を信頼してあげる」ということをするようになりました。
すると、人から好かれるようになったり、「あやえもさんにお会いしたいです」とか次々と言われるようになったんですよ。
私はただ、「貴方なら成功できますよ」と、無条件に相手の未来を信頼しただけです。
その人のいい点を指摘して、「貴方にはこういういい点や強みがあるから、大丈夫ですよ」、「貴方が欠点だと思っている点は、こういう長所ですよ」と言っただけです。
すっごい改善案を言うわけでもなく、目から鱗が落ちるような気づきやノウハウを与えるわけでもなく、相手の特徴をそのまま受け入れただけです。
それなのに、私は周囲から大いに受け入れられて、好かれるようになってしまったと。
私が能力を手放して、周囲に感謝して信頼すると、周囲から好かれて、ふわっと持ち上げられるようにうまくいくようになりました。
いわゆる、「無能になった方が成功しやすかった」と気づいたわけですね。
私は、頑張って自分の価値を証明する必要なんかなかったと。
「わざわざ嫌われ役を買ってくれた」と考えると、愛情に転化できる
なら、なぜ私がそんな風にできるようになったかというと、すぐ身近に「母親」という強烈な反面教師がいたからなんですよね。
言うなれば母親は、「私に大きな使命を与えてくれる、天からの使い」だったわけです。
母親は、自分が嫌われ役になることで、自分の幸せを犠牲にしてまでも、私に「この道を進みなさい」と天命を教えてくれたわけです。
最近これに気づいたんですが、これに気づいた瞬間に、母親の生き方を受け入れて、それどころか手を合わせて拝みたくなりましたからね。
こう考えると、とてつもなく深い親の愛情でしょ。
母親は、私を幸せにしてくれるために、「私が嫌われ役になって、あの子に使命を自覚させて、行動を促してきます」と天と約束をして、私の前に現れたと。
だから、私は母親の愛情を知って、自分の信じる道を進む。
同時に母親は、「嫌われ役」という人生を全うする。
そういう考えがぴたりと当てはまったときに、母親を許せて、感謝できて、しかもしがらみを手放せたわけです。
そして母親は、今も変わらず嘲笑と軽蔑を繰り返しているわけですが、それを見る度に「私に大切なことを教えてくれて、ありがとう」と手を合わせたくなります。
昔はそんな母親を変えようとしていたんですが、今では「変えなくていいんだ。母親にとっては、それで幸せなんだ」と分かるようになりました。
そして、私は感謝しつつ、自分の幸せに精一杯力を発揮すればいいんだと。
同時に、人にも自分にも、「悪い点を見ても、いい点を見ても、どちらでもいいんだ」と許せるようになったと。
その上で、「どっちかを選ぶなら、私はいい点を見て、人を信頼する方に生きてみよう」と、自分の意志で道を選べるようになったわけですね。
まとめ
そんな風に、意味を考えることで、許せるようになるんですよ。
私の場合、「あの人は、私にこれを教えてくれるための、天からの使いなんだ」と仮想化して考えることで、人を許せるようになりました。
同時に、私は自分の価値観で生きることができるようになった、ということですね。
そうすることで、より精神的に自由になれるかもしれません。
ま、一つの方法論としてご紹介してみました。
ということで、今日は「意味を読み解くと、苦しみから解放される」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。