今日は、精神的なお話です。
「これさえあればいいや」発想で、余裕を増やせる、というお話をしてみましょう。
最近このコンセプトにはまっていて、語りたくてしょうがないんですよ!(笑
「余裕が欲しいのに、ゆとりが持てない」という問題
「余裕が欲しい」って思うことって、ありますよね。
なんかやたら忙しかったり、なのに全然豊かさを感じられなかったり、焦って「早く収益を立てなきゃ」と思ったり。
すると、いろんなところで「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」となって、ゆとりが持てなくなっちゃうものです。
例えば私の場合、「のんびり夕暮れの風景を見ながら、静かにお酒を味わう」みたいなのが好きなんですよ。
その辺の120円ぐらいで売っている350ml缶チューハイでいいので、適当な場所のイスに座って、田舎の空とか川、海を眺めながら味わうと。
私が住んでいるのは田舎ですし、近所には川も海もあって、部屋からでもいい眺めが見えるので、そういう場所には困らなかったりします。
でも、忙しい毎日に明け暮れていると、どうしても「そんな時間はないよ」、「こういう毎日のスタイルにしなきゃ、明日がしんどくなる」みたいに思ってしまって、楽しめないんですよね。
ゆとりがなくなると、空回りをしがちになる
ただ、ふと気づく時があるんですよ。
「そういう余裕を楽しむためにも、独立したんじゃないのか」みたいに。
私たちは忙しく生きていますが、いったい何のために生きているのか。
もちろん実現したいことは山ほどありますが、同時にふっと気楽に休むことも大切ですよね。
で、ゆとりがなくなると、空回りをしがちなんですよ。
たくさんの実現したいことを前にして、「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」っていう状態って、何をしたらいいのか混乱している状態だとも言えます。
優先順位が混乱しているから、「田舎の風景を眺めながら、静かにお酒を味わう」ということですら楽しめなくなっている、とも言えるでしょう。
じゃあ、どうすれば余裕を持てるのか、ということです。
ってことで今日は、「これさえあればいいや」発想で、余裕を増やせる、というお話をしてみましょう。
「これさえあればいいや」発想が、とてもいい!
いや~、ここ最近、「これさえあればいいや」発想についてやたら語ってますが、ほんとすっごいはまってるんですよ(笑
再度簡単にこの考え方を説明すると、これは豊かさを作り出す一つの戦略です。
いろんなことに「これさえあればいいや」と思えれば、先に最低限でも必要なものを確保できます。
すると、少ない時間や費用で、自分の望む環境を作れます。
その最低限の土台から、少しずつ豊かさを増やしていく、というアプローチですね。
普通は「大金持ちになって、それで解決すればいいや」とか思いますが、これはなかなか実現できないものです。
時間がかかって、なおかつ実現できるかどうか分からないから、モチベーションが落ちやすくて。
でも「これさえあればいいや」発想の場合、実際に目の前に、最低限でも満足できる環境を確保できるので、それだけでもかなり満足できるんですよ。
特にクリエイターの場合、質素でもちゃんと生きられる生活基盤と、自由な空間があるだけで、「あれも作れる、これも作れる!」と楽しくなるでしょ。
そして自分が工夫して手を加えれば加えるほど環境も作品もよくなって、手を加えるのが楽しくて楽しくてたまらなくて、モチベーションも最高を保てるわけです。
「失うものがない」という安心感
さらに、最低限が確保されているので、「失うもの」に恐れることはなくなります。
「ファンを失ったらどうしよう」とか、「失敗したらどうしよう」、「職場や仕事、連載を失ったらどうしよう」みたいな不安も、なくなります。
だからこそ、より攻めに転じることができるし、喜んでくれる人も増えるばかりだと。
そういう風に、もっと手軽に、現実的にできるところから始めて、豊かさを広げていきましょうよ、という戦略です。
ある意味、失う恐怖を持つ人というのは、「できるだけ背伸びをして最高得点を狙うけど、バランスを失うと真っ逆さまに落ちる不安もある」という戦略で動いているわけです。
「これさえあればいいや」発想はそうではなくて、「高得点は取れなくても、土台を積んで最低ラインを引き上げることで、安心できる基盤を高めてゆく」という戦略ですね。
だから、少々バランスを崩そうが、スタイルを変えようが、問題ありません。
それは、安心と満足がベースにあるからですね。
「人生に求めるものが多すぎる」ということ
私自身、最近この「これさえあればいいや」発想を始めてみたんですが、「これは威力あるな」とひしひし感じていたりします。
というのも、これをベースに動くと、人生に求めるハードルが低くなるんですよね。
だから確実に自由が増えて、しかもしっかりと満足を増やすことができます。
何というか、私たちは人生に求めるものが多すぎるような気がします。
「お金持ちにならなきゃいけない」とか、「人から尊敬されなきゃいけない」、「平均以上の成績を取らなきゃいけない」、「赤点を取ってはいけない」、「賞をもらわなければいけない」、「あの人から認められなきゃいけない」、「多くの人から受け入れられなきゃいけない」、「失敗してはいけない」、「高得点を取らなきゃいけない」……みたいな。
こういう状態だと、自分にとって本当に大切なものが分からなくなるんですよね。
そして「お金を稼がなきゃ」として大切な時間を削るのに、一方で「時間は大切だから」と、稼いだお金を使って高額な車を買って、時間短縮をしようとしているわけです。
これって、何が本当に大切なのか、混乱していますよね。
「時間が大切なの? お金が大切なの? どういう尺度で時間やお金を使っているの?」みたいな。
さらに、ここに人間関係とか人脈、健康、やりがいとか入ってくると、もうこんがらがって「自分はいったい、何がしたかったんだろう?」と途方に暮れてしまうと。
世の中には、そういう風に混乱して、自分が何をしたいのかすら分からない人たちが多いんですよ。
そして混乱したまま、「周囲の人がそうしているから」とか、「昨日もそうしたから」だけで、惰性で生きているわけです。
「これさえあればいいや」発想で、費用対効果を高められる
でもそこで、「これさえあればいいや」発想ができると、まずはいらないものを手放せるんですよね。
言うなれば、自分の幸せに対して、費用対効果が高いものから着手できるようになるわけです。
例えばクリエイターの場合、先述したように、質素でもちゃんと生きられる生活基盤と、自由な空間があるだけで、かなり満足度が高まります。
「うはーっ、これから毎日、これも作れる、あれも作れる!」という毎日を前にすると、高価な服やバッグとか、車とか、今の会社の人たちに見栄を張ることとか、会社の人たちを見返すこととか、そんなのどうでもいいことだと分かるんですよ。
「これさえあればいいや」と考えることで、その優先順位がはっきりと見えるようになります。
そして、無駄なものに時間もお金もかけなくてすむようになります。
だから、すごいスピードで「一番欲しいもの」から手に入っていく、ということです。
「他人に多くを求めない」という安らぎ
これのいいところは、他人にも多くを求めなくなることですね。
例えば親から住居を提供してもらっている場合、「あとこれだけの期間、住む場所を提供してもらえればいいや」と割り切ることができます。
会社の場合、「あとこれだけの期間、これだけの給料を提供してもらえればいいや」と割り切れます。
すると、無駄な人付き合いとか、無駄な残業とか、悩みですらも、思い切ってカットすることができます。
すなわち、私たちが苦しむ要因の一つとして、「こうして欲しかったのに、されなかった」という、周囲や社会への過剰な要求もあるんじゃないかと思います。
「親からこうして欲しかったのに、されなかった」とか、「会社や上司からこうして欲しかったのに、されなかった」みたいな。
なぜそんな風に過剰に期待するのかというと、私たちが過剰に応じてしまっているからなんですよね。
親の「こういう風に生きて欲しい」という欲求を、過剰に対応しようとしてしまっていたり。
上司の「成績を出して欲しい」という期待に、過剰に応えようとしていたり。
でも、そこで「これさえあればいいや」と思えると、過剰な期待もしなくなりますし、「期待されなくていいや」、「そこまで応える必要はないや」となります。
すると、余計な時間とか労力を減らして、余った分を自分にとって本当に大切なものに集中できるわけです。
まとめ
そんな風に、「これさえあればいいや」発想があると、一気に余裕を増やせるようになります。
時間も、お金も、人間関係も、必要最低限が見えるので、過剰な部分をカットできると。
そして、その余った時間を、「これさえあればいいや」という「これさえ」に集中投下して、実現してゆくわけです。
その「これさえ」に手を加えることは、すっごい楽しいことです。
それは当然で、自分にとって一番費用対効果が高い、「簡単にできて、幸せを感じられること」ですからね。
今まで全然楽しさを得られなかった毎日が、一気に面白くなります。
そんな楽しさを前にすると、人を言い負かそうとか、自尊心を得ようとか、そんなのどうでもよくなりますから。
私自身、最近になってこの発想を始めたんですが、十分な余裕を感じられるようになって、楽になりましたからね。
これは本当に効果があるので、やってみるといいかと思います。
ということで、今日は「これさえあればいいや」発想で、余裕を増やせる、というお話をしてみました。
今日はここまで~。