今日も人間心理のお話です。
ネガティブと代償欲求を見分けられると、うまく下落の波に乗れる、というお話をしてみましょう。
「ネガティブな波に乗る」ということ
最近はよく書いていますが、この夏の私は、「ネガティブ(下り)の波に、うまく乗る」ということをしていました。
そしてこれが、とても気持ちがよかったんですよ。
例えば「価値を作ること」がポジティブだとすると、「価値を消費すること」や「休むこと」は、ネガティブですよね。
で、私の中で「人生では、そういうのをメインにする時期もあっていい」としてみて、中期的にそういうネガティブな波に乗ることを試していました。
すると、内面が整って混乱がなくなってきたり、エネルギーが出てきたり、びっくりするほどブログのネタが出てきたりして、自分でも驚いていたりします。
他にも、例えば「過去の抑圧を手放すこと」なんてまさにそうで、中~長期的でネガティブな波に乗らないと実現できないことなんですよね。
だから、「中~長期でネガティブな波に乗る時」でしかできないこともあるように思います。
ネガティブな時は「内面」を変えている
だいたいポジティブな時は、ワクワクして内面どころじゃないんですよ。
すなわち、ポジティブな時は「自分の外部」を変えることに集中していて、「自分の内部」を変えるどころではないと言えます。
一方でネガティブな時は、「自分の内部」を変えることに集中していて、「自分の外部」を変えるどころではない、と言えるでしょう。
なら、「どちらがいい」とは言えなくなりますよね。
内面を変えることが外部を変える原因になるし、外部を変えることが内面を変えることにもなるんですから。
ただ、周囲と同じで個性がなく、こじれを持たない人ほど、内面を変える必要はありません。
だって、周囲と同じなら、周囲と同じようにしていればいいだけですからね。
だから社会の中心になるほど、そして均質的で健康的な人ほど、「内面を変える必要なんてない」と言えます。
個性が強い人ほど、ネガティブが重要になる
一方で、個性が強くて周囲と同じようにできない人とか、幼い頃に精神的なゆがみやこじれを植え付けられてしまった人ほど、内面を調整する必要があります。
というのも、周囲と同じようにしていても、親や社会の教えに従っていても、自分の性質に合わなかったり、苦しみになるからです。
だから個性が強い人ほど、「ポジティブ一辺倒」になると、苦しむばかりになるわけですね。
世の中では「ポジティブばかりがいい」と言っていますが、それは「特に個性がなく、周囲と同じようにできる人で、なおかつこじれを持たない」という人にのみ通用する成功法則です。
そして個性のある人がそういう「普通の人向けの教え」を信じてしまうことで、「教え」と「自分の性質」が合わずに、こじれを生む原因になります。
その場合、「自分に合う教えと、合わない教え」を区別する必要があります。
そのために、ネガティブ側の波にうまく乗る、ということです。
というのも、そういう「合う教えと、合わない教えを区別すること」って、まさに「内面を変えること」だからですね。
で、ネガティブな波に乗る時に重要なのが、「ネガティブと代償欲求を区別すること」かなと思います。
代償欲求については今までも触れてきましたが、今回はこの区別の仕方について、より詳しく説明してみようかと思います。
ネガティブと代償欲求の違い
「ネガティブ」と「代償欲求」は、別物です。
「ネガティブになる」というのは、「自然を起点にした、ポジティブの反対」と言えます。
一方で「代償欲求を得る」というのは、「ポジティブの代用を得る」と言えます。
これは実際に例を見て考えると分かりやすいので、具体的に見てみましょう。
ネガティブと代償欲求の違いでよくあるのが、「試験勉強をしていると、部屋の片付けをしたくなって、つい片付けに熱中してしまった」かなと思います。
実際に私たちも、よくあったでしょ(笑
で、この「試験勉強をする時の、部屋の片付け」は、ネガティブなのか、代償欲求なのかを考えてみましょう。
自分の性質に合う場合、ネガティブ側になる
その結論を言うと、この場合、「試験勉強が自分の性質に合う場合」であれば、ネガティブ側になります。
一方で「試験勉強が嫌でたまらない場合」では、代償欲求になります。
例えば英語が大好きで、その試験に通れば、念願だった海外の仕事や住環境、生き方を得られるとしましょうか。
その場合、部屋を片付けることは、代償欲求ではなくネガティブになります。
だって、「海外に行く」という目的のために、不要なもの(選択肢)を捨てることになるんですから。
これは、「次のポジティブ(海外に向けた行動)のさらなる原因」にもなるし、「自分の内面を整えること(自分の中にある混乱を排除すること)」にもなります。
ある意味、「他の人とは違う、自分にだけ合う道を選ぶ」という、内面での選択をするわけですね。
だから試験勉強が自分に合う場合、部屋を片付けることは、すなわち生き方を選ぶことになって、純粋なネガティブであると言えます。
そしてそのネガティブを十分にこなすことで、その後にポジティブが飛躍すると分かります。
いわゆる、「落とせば上がる」という波の性質が生きると分かります。
自分に合わない場合、代償欲求になる
一方で試験勉強が大嫌いで、自分に合わない場合、部屋の片付けは代償欲求になります。
これはネガティブのように見えて、実は「別のポジティブで置き換えている」とも言えるでしょう。
ポジティブな活動への苦痛を、別のポジティブな活動で置き換えているわけですね。
「部屋の片付け」だけでなく、「ついゲームをしてしまう」とか、「ついSNSでおしゃべりをしてしまう」、「つい運動してしまう」みたいなものも、同じです。
そこには「次のポジティブの原因」もないし、「自分の内面を整えること(自分の中にある混乱を排除すること)」もないし、「他の人とは違う、自分にだけ合う道を選ぶ」ということもありません。
だからここでは、「落とせば上がる」という波の性質が生まれません。
純粋なネガティブは、意味に向き合うこと
もし「試験勉強が自分に合わない」という場合、純粋なネガティブは「試験勉強の意味に向き合う(向き合わされる)こと」だろうと思います。
例えば「どうしてこんな勉強が必要なんだ」と向き合うと、何らかの意味を得るか、もしくは無意味さを得るかと思います。
なら、意味を得れば、勉強に向き合えます。
もし無意味さを得れば、生き方を選ぶことで、別のポジティブな波に乗れます。
どちらにしても、このネガティブは次のポジティブの要因になっていて、内面を整え、自分だけの道を選ぶことになります。
他にも、例えば近い未来に親に頼れなくなる境遇を得て、「このままの自分ではダメだ」と痛感することがあったとしましょう。
この場合も同様に、「試験の重要さ」もしくは「自分にとっての本当に重要なもの」を理解することで、生き方を選択できると分かります。
ポジティブを増やすばかりだから、板挟みになる
そしてこのネガティブがなければ、どんなにポジティブを増やしても、板挟み状態を生むだけです。
例えば「ゲームクリエイターになりたい」と思っていても、「試験勉強も必要」とか、「親が言うように、医者にならなきゃ」、「部活も大切、サボっちゃダメ」とすべてにポジティブになるとどうでしょう。
結局どれもポジティブになることで、「やりたいことと、嫌なことの間で板挟みになる」という形になるだけです。
その結果が、「暗く長いトンネルを歩いている」という感覚になります。
「手放せない余分な価値観」が多くの無駄な学習を生み、「これもダメ、あれもダメ」となって、結果として「自分はどうすればいいのか、分からない」という状態になると。
まとめ
そんな風に、個性が強くて独自の道を進む人ほど、ネガティブが重要になるものなんですよね。
そして世の中で「ネガティブはダメだ」というのは、個性がない人が多い上に、ネガティブと代償欲求を区別できていないことにもあるように思います。
なのでネガティブと代償欲求を見分けられると、うまくネガティブな波に乗れるように思います。
そして中~長期でネガティブな波に乗れると、混乱や迷いもなくなるし、自分なりの生き方を選べるようになります。
つまり、暗いトンネルから出て世の中が見えるようになるし、希望も見えて、次のポジティブの要因になるわけですね。
裏を返すと、ポジティブばかりを追いかけるから、混乱や迷いばかりで、自分なりの生き方ができないと。
だから、次のポジティブの要因も生まれずに、かといって新たな波にも乗れなくて、現状維持ばかりをしてしまうように感じます。
これが分かると、「ネガティブって普通に重要なことだ!」と分かって、ネガティブな波に乗れるかと思います。
するとそれが、いい未来のきっかけになるんじゃないかな、と思ったりもします。
ということで今日は、ネガティブと代償欲求を見分けられると、うまく下落の波に乗れる、というお話でした。
今日はここまで~。