長かった抑圧がらみの話も、今回でようやく最終回です。

今日は最終回として、ネガティブになることで、抑圧を根本問題から解決する「ネガティブ療法」の提案をしてみましょう。

 

抑圧という問題を、どう対処すればいいのか

改めて説明すると、私たちは抑圧という問題を抱えることがあります。

抑圧とは、幼い頃に学習した内容を、大人になっても持ち続けてしまうことですね。

 

健康的な家庭で育っていれば、それでも問題ないことが多いものです。

ですが支配的な家庭環境だったり、暴力や虐待、抑圧的な家庭、崩壊した家庭では、幼い頃に学習した「生き方」が大人になると問題を起こすことがあります。

 

その代表例が、「評価されたい、愛されたい」と強く願ったり、「自分と他者の境界が分からない」、「自己否定をしてしまう」、「自分の意思を出せない」などがあるでしょう。

もしくは、過去のフラッシュバックに悩まされたり、何らかの依存症、自傷や自殺衝動を持つかもしれません。

 

根本問題を理解しやすくするための精神構造図

このような現象は、次のような精神構造図を用いることで、根本問題を理解しやすくなるかと思います。

 

私たちの精神は、「自分の価値観、他者の価値観、代償欲求」という3つの柱で構成されていて、それぞれに「ポジティブ、ネガティブ」という2つの状態があます。

私たちの精神は、その組み合わせでできているわけですね。

 

抑圧を持つ人の「3つのメイン状態」

そして抑圧を持つ場合、次図のように「他者の価値観ポジティブ、代償欲求ポジティブ、代償欲求ネガティブ」という3つの状態がメインで生きています。

 

この3つの状態は、どれも自分の価値観ではありません。

なので、どの状態になっても、苦しみを持ちます

 

例えば「他者の価値観ポジティブ」になれば、「頑張る! 評価されるぞ!」とポジティブでいられますが、実現できないと大きなストレスになります。

その場合、「代償欲求ポジティブ」に状態が移行すれば、「欲望を満たそう!」と憂さ晴らしをします。

ですが、それはお金や時間、健康や資源の無駄遣いすることになり、使える資源には限度があります。

そして「代償欲求ネガティブ」に落ちると、「私はダメな奴だ」と自己否定をしてしまいます。

 

混乱するほど、状態がめまぐるしく変化する

そして混乱するほど、この3つの状態がめまぐるしく変化します

「ポジティブになって頑張ろう! でももう頑張れない」、「欲望を満たせ! でももう資源や方法がない」、「私はダメな奴だ。でも自己否定したくない!」

こうしてぐるぐるとこの3者の間で振り回されてしまい、自分が何なのか分からなくなってしまうわけですね。

 

いわゆる、「自分を見失ってしまう」という状態です。

この状態だと、「もうどうしたらいいのか分からない」、「自分が何をしたいのかすら分からない」と感じるかもしれません。

そこまで行かなくとも、「自分の中にある、『他者の価値観』に振り回されたくない」と感じることが多いでしょう。

自分の中に「幼い頃に植え込まれた価値観」があることで、今をうまく生きられないわけです。

 

そういう場合、「ネガティブ側に落とす」という方法論を私は提案します。

それによって混乱を鎮めて、抑圧を根本問題から解決できそうに思います。

 

ネガティブになると起きる現象

私が提案する方法論は、究極を言うととてもシンプルです。

それが、「自然にネガティブ側に落とす」ということです。

 

自然にネガティブに落ちてゆくと、次のような順番で価値観のネガティブを抱えるでしょう。

  1. 「代償欲求ネガティブ」になり、自己否定をする
  2. 「自分の価値観ネガティブ」になり、安らげる心地よさを知る
  3. 「他者の価値観ネガティブ」になり、抑圧そのものを解放する

 

そしてこのネガティブな波にうまく乗れると、自然と抑圧を解放できると分かります。

それでは以下で、それぞれのステップについて説明してみましょう。

 

ステップ1:「代償欲求ネガティブ」で自己否定をする段階

私たちがネガティブになると、まずは「代償欲求ネガティブ」になります。

 

これは、自己否定をする状態ですね。

「私はダメな奴だ」と落ち込むことで、うつ状態になり、活動量を抑えられます。

それによって、「成果を出せないポジティブな行動」を停止できて、混乱を鎮められます。

だから私の方法論では、うつになることは自然であり、無駄な価値観を手放すためには大切なことである、という認識です。

 

そもそもポジティブになろうとすることが、ここでは混乱を作る原因だと分かります。

というのも、混乱しているのに「動かなきゃいけない、価値を作らなきゃいけない」とするから、無理をして限界点にいるのに、さらに行動を求めます。

そして願いを実現できないから、強い「憂さ晴らしをしたい」という衝動に陥るわけです。

 

ちなみに自傷や自殺も、「代償欲求ポジティブ」という、ポジティブ側の行動です

だって、自傷は「うまくできない自分に制裁を加えて、自分を(称賛される道を進めるように)正したい」、自殺は「楽になりたい」という、外面を変えるポジティブな行動ですからね。

 

だから無理に「ポジティブになろう」とすることが、「他者の価値観」と「代償欲求」の間で分裂を引き起こし、「自分が分からない」と混乱させる原因になると分かります。

 

自己否定には意味がある

一方でネガティブ側は、外面を変えるのではなく、内面を変えようとします

だからネガティブ側に落とすと、自己否定はあったとしても、全体的な活動量を抑えて、沈静化できます。

つまり自分の精神状態を安定させられるし、混乱も鎮めやすくなる、ということですね。

 

なので、自己否定には意味がある、ということです。

繰り返しますが、自傷や自殺は「急激にポジティブに振れて、他の手段が断たれているから起きること」です。

ネガティブに落ちることは、むしろ精神状態を安定させて、活動を控えることで安全を確保して、落ち着ける効果を発揮します。

「うつは心の風邪と同じだ」と言われますが、まさに風邪と同じで、その場合は活動を控えて治癒しやすくなるわけです。

 

ゆっくりネガティブ側に落としてゆく

ここで大切なのが、ゆっくりネガティブ側に落としてゆくことです。

これは波と同じで、もし急激にどーんとネガティブ側に落としてしまうと、その後に反動でどーんとポジティブ側に上がりやすいんですよね。

すると、再び「頑張らなきゃ!」と「他者の価値観ポジティブ」に急激に振れたり、もしくは「気晴らしをしよう!」と「代償欲求ポジティブ」に振れたりします。

そうなると、再び「めまぐるしく状態が変わる」という混乱を作り出してしまいます。

 

なので、少しずつネガティブ側に落としてゆくことで、自分を安定させられます

この場合、「この価値観に対してネガティブになろう」とする必要はありません。

「すべてに対してネガティブになる」のでかまいません。

 

そもそも自分の中で、「どれが自分の価値観か分からない」と混乱しているから、苦しんでいるわけです。

その場合、すべてに対してネガティブにとらえてゆくことで、自分の価値観かを取捨選択してゆけます。

 

そうしてうつ状態でさらに自然にネガティブに落ちることで、次のステップに進められます。

 

ステップ2:「自分の価値観ネガティブ」に踏み込む

自己否定の状態からさらにネガティブになると、次は「自分の価値観ネガティブ」に踏み込みます

 

すると不思議なことに、ネガティブになっているのに、心地よさを味わえます

それは当然で、自分の価値観のネガティブは、自分を満たすものです。

例えば休んだり、寝たり、ほっとしたり、落ち着いたりと、「自分にとって心地よいネガティブ」があるものです。

 

特に、今まで「ポジティブに活動しなきゃ」としている場合、無理な活動で疲れているものです。

すると、「休む、落ち着く」といったネガティブな態度が、自分を癒やしてゆくと分かります。

 

この心地よいネガティブが分かると、自然とよりネガティブを深められます。

つまり、「ネガティブになれるほど心地よい」と実感して、もっとネガティブになって、自分を満たしてゆけます。

 

ステップ3:最も根源となる「他者の価値観ネガティブ」に踏み込む

そして最後に、最も根源となる「他者の価値観ネガティブ」に踏み込めます

 

条件を整えた上で「他者の価値観ネガティブ」に踏み込めると、私たちの中にある「他者の価値観」は一瞬にして消えます

それは当然で、「もうこの価値観は必要ない」と分かると、自然と手放せるからですね。

 

その条件というのが、「一人きりになる(別の価値観の影響から離れる)」、「普段の社会から離れる(『他者の価値観』の発生源から離れる)」の2つです。

一人きりになることで、周囲の価値観に影響されずに、価値観を取捨選択できるようになります。

また、普段の社会から離れることで、「他者の価値観」を手放せるようになります。

 

私が提案するのは、今までの社会から離れて、自然に触れることです。

海や山、川など、あまり人工物がなく、自分以外には誰も人もいない自然に囲まれるのがいいでしょう。

そうして一人になることで、別の価値観からの影響を逃れられるし、「ネガティブになっても大丈夫。自然には受け入れられている」という実感を持ちやすくなります。

 

そういう条件を整えた上で、ネガティブを深めると、私たちは最後に「他者の価値観ネガティブ」に触れます。

すると「もうこの価値観は必要ない」と理解して、「他者の価値観」を手放せます。

 

その瞬間、自分の中から「他者の価値観」と「代償欲求」が消滅して、「自分の価値観」だけが残ります

つまり、「自分がどうしたいのか分からない」という現象はなくなるし、めまぐるしく変わる混乱も消える、ということです。

 

14歳ぐらいからの反抗期を、大人になってから再度実行する

これは本来ならば、14歳ぐらいからの反抗期で経験する内容です。

ですが現代では、その時期になっても親や家庭から離れることができずに、親や家庭の価値観に支配され続けるものです。

そして反抗期を終えてしまい、大人になっても「幼い頃からの学習」を持ち続けてしまうわけです。

 

だからこのアプローチは、「14歳ぐらいからの反抗期を、大人になってから再度実行する」というアプローチだとも言えるでしょう。

14歳ぐらいからの反抗期では自然とネガティブになりますが、それを再現して抑圧問題を解決する流れです。

当時の感覚を思い出してみると、そのネガティブな精神状態を作りやすくなるかもしれません。

 

そしてよくよく考えてみると、これはとても自然な流れだと分かります。

というのも、私たちだって「必要なくなったら、手放す」ということで、新陳代謝をして生きてゆけます。

その場合、手放すものが道具だろうが、服だろうが、習慣だろうが、価値観だろうが、どれも同じことです。

不要になったものは、ネガティブになって「これを持ち続けても、もはや自分は満たされない」と分かることで、手放せるものです。

 

ならば、人々は「ネガティブはダメ」と言いますが、ネガティブになることの何が悪いのでしょうか?

むしろそれはまったく悪いことではなく、ネガティブになって物も価値観も手放してゆくことが、人が成長する上では自然だし、当たり前のことだと分かります。

そしてそうして不要な価値観を手放すから、「自分の中にある、他者の価値観」に影響されずにすんで、自分の価値観で生きられるようになるんですから。

 

「ポジティブばかりがいい」という論理破綻

なら何がこれを妨げているのかというと、「ポジティブばかりがいい」、「ポジティブでなければならない」という思い込みのように感じます。

実際に冷静に考えてみると、「ポジティブでなきゃダメ」なんて、完全に破綻している考え方だと分かります。

 

例えば私たちだって、「ポジティブになれと言うけれども、なら寝ちゃいけないの? 休んじゃいけないの? 泣いたり、落ち込んだらいけないの? うつになっちゃいけないの?」と問いかけたくなりますよね。

もしそれらを「無益だ」というのなら、そのポジティブは、とんでもなくネガティブだと分かります。

だって、うつや風邪になった人を、「お前は存在価値がない」と否定していることになるんですから。

実際にうつになっている人に「ポジティブになろう」なんて、相手を苦しめるだけでしかありません。

 

また、もし休むことや寝ることを「ポジティブになるためには必要だ」と言うのなら、「ならポジティブって何?」ということです。

例えば自殺だって、「楽になりたい」という、ある意味ポジティブな側面を持ちます。

休むことだって、「休養を取って、元気になる」というポジティブな側面を持ちます。

なら、その「ポジティブ」の定義は、きわめて実体のない意味不明なものだと分かります。

 

つまり、「ポジティブでなきゃ」と言っている人たち自身が、論理的に破綻していると言えます。

「ポジティブとは何か」を明快にできない状態で、そんなよく分からないものに対して「ポジティブになろう」と言っているんですから。

 

「ネガティブにも意味がある」と知る

一方で私が提案するのは、「ポジティブもネガティブも、不可分のものですよ。だからネガティブもうまく取り込みましょう」ということです。

言うなれば「陰と陽」という概念と同じで、ネガティブにも意味があるわけです。

 

その一つの現実として、「14歳ぐらいからの反抗期」だとか、「自己否定のネガティブ」があるように思います。

それらは無意味なように見えますが、休息や休養と同じように、抑圧を解放するためには意味のあるものだということです。

 

実際に自己否定だって、自己否定をするから次のネガティブのステップに移れて、抑圧の解放につながるんですから。

私からすると、「自己否定がダメだ」と言っている時点で、すでに完全にこじれているようにも感じます。

 

まとめ

なので抑圧を持つ場合で、どんなにポジティブになろうとしても苦しい場合、私は「ネガティブになる」という方法論を提案します。

ポジティブで目先の問題を克服するのではなく、ネガティブになることで根本問題を解決する、というアプローチです。

 

そしてこの「ネガティブになることで、抑圧を解放する」という方法論を、「ネガティブ療法」と名付けることにしましょう。

すると、よりこの方法論を扱いやすくなるかと思います。

私の中では、これはある程度、普遍的な意味を持つのではないかと思っています。

 

繰り返しますが、この方法論は、成立条件を整えることが重要です。

14歳ぐらいからの反抗期で抑圧を抱え続けたり、自己否定をしても根本問題を解決できないのは、その条件が満たされていないからです。

 

ですが裏を返すと、それは「条件を整えれば、根本問題を解決できる」ということです。

すると、ある意味「ネガティブで病んでいる」という状態の人ほど、「根本問題の解決に近い場所にいる」と言えるでしょう。

 

このメカニズムが分かると、ポジティブになるのではなく、ネガティブになることで、うまく抑圧を解放できるかもしれません。

 

私にとってこの夏は、今までの人生の中で最も海を眺めた夏になりました。

その夏と静かな海、波の音で心地よい砂浜、つまり「自然」が、私にその答えを教えてくれたように思います。

 

この方法論が、少しでも参考になれば幸いです。

 

ということでここ最近ずっと語っていた「夏の抑圧解放編」は、今回で最終回です。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

今回のお話は、ここまでっ!

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