今日は生き方のお話です。

不満がある場合、「そこから抜け出す最初の人」になるのもいい、というお話です。

 

「なんか断りにくい雰囲気」って、ありますよね

とあるところで、こういうツイートを見かけたんですよ。

それは、「フランスとかスペイン、ドイツでは有給を100%使い切るのに、日本だと50%程度で全然使えていない。そういう『有給はダメ』な雰囲気があるのが悪いんだ」みたいな。

 

有休だけでなく、こういう「なんか断りにくい雰囲気」って、いろんなことでありますよね。

嫌な会社の飲み会とか、意味を感じられない会議や集まりとか、まぁいろいろあるものです。

 

こういう場合、「自分が最初にそこから抜け出す人になろう」とするのもいいように感じます。

私はそういう発想が好きですし、結構こういうことをやってきました。

 

「それで助かる人がいる」と分かると、行動できる

私がどんどん嫌な環境から抜け出せた根底には、「実はみんな、こうしたいんじゃないの?」という思いがあるからなんですよ。

まぁ全員が望んでなかったとしても、少数の人は、「実は内心では、こうしたい」と思っていることがあるように感じます。

有休の場合、「実はみんな、有休を取りたいんじゃないの?」、「実は内心では、有給を取りたいって思っている人がいるんじゃないの?」みたいな。

 

なら、私が最初にそれをすることで、その少数の「実はその雰囲気で苦しんでいる人」を助けることができるわけです。

そう考えると、社会の雰囲気から逆行するエネルギーが出せるんですよね。

だって、それで助かる人がいるんですから。

 

挑戦したこと自体に価値がある

私自身の生き方がそうで、「できるだけ嫌なことをせず、好きなことをして、人生を生きてみよう」というスタイルです。

これは私自身のためでもあるんですが、「同じように、嫌なことばかりで苦しんでいる人のために、前例になってみよう」と感じるから、エネルギーを出せたように感じます。

すなわち、それは誰かのためにもなるからで。

 

なら、たとえ失敗しても、挑戦したこと自体に価値があると納得できます

だって、元々が人助けのための挑戦ですからね。

ある意味、私はそういう「誰かの人生を助けられる」という実感を持てると、強いエネルギーを出せるタイプなんだろうと思います。

 

「常識で苦しいなら、そこから出る」アプローチ

だから、いろんな「自分には苦しみになる常識」から出てみるわけです。

苦しいだけの人とは距離を取ったり、苦しいだけの作業は思い切ってやめてみたり。

普通は「我慢が美徳だ」ですが、その常識からも出てみると。

他にも、質素さを楽しんだり、新しいスタイルの作品を出してみたり、ものをできるだけ持たないスタイルで生きてみたり、我慢して給料を得るのではなく不労所得作りをしたりと、いろいろやってきました。

 

もちろん、世間一般の常識は、多数派の人にとっては十分に当てはまると思うんですよ。

私ももちろん、最初は常識が頼りなので、どんなものでも常識通りにしようとします。

でも、常識だと苦しくなるタイプの人もいると。

そういう常識が苦しい場合、「自分から常識を出て生きる」という選択肢があってもいいように感じます。

 

そうして常識から出ると、後からついてきてくれる人が出てきたりするんですよ。

「実は私も、ああいう生き方はずっと苦しかったんです。あなたが堂々とそこから出てくれたおかげで、私も決心できました」みたいな。

そしてほとんどの場合で、そういう人は、感謝と感激で私にそう伝えてくれると。

 

自分が最初に「常識から出る人」になるのでもいい

なら、社会を変えようとはせずに、自分が最初に「常識から出る人」になるのでもいいように感じます。

もちろん、逆風はあるでしょう。

私だって、常識から出る時は、すっごい悩みますからね。

会社を辞めたときでも、当然会社側からは引き留められたし、辞めることが決まった後では、哀しいことに陰口もありました。

多くの人が、「変化を作る場合、最初に言い出す人ほど、負担を背負う」と感じているし、実際にそうでしょう。

 

ただ、「それで助かる人もいる」と分かれば、行動力が出ることもあるんじゃないかと思います。

自分から堂々と有給を取れば、他の人も有給を取りやすくなりますからね。

なら、そういう人たちからは、「あなたが最初に行動してくれて、助かりました」と感謝されるわけです。

 

そういう弱者救済ができると思えば、自分本位だけではなくなるし、報いもあるように感じます。

すなわち、そういう「損な役回りでいい」と受け入れるのも、一つの生き方かなと。

 

まとめ

そんな感じで、苦しい境遇がある場合、「自分が最初にそこから抜け出す人になろう」とするのもいいかと思います。

そういう発想だと、周囲をとがめることもなく、自分なりの道を切り開きやすくなるかなと思います。

そしてそれが、ごく少数の同類を助けることにもなるかなと。

 

ちなみに意外なことに、アメリカもこの「なんか雰囲気で有給取れない問題」が社会問題になっていたりします。

アメリカぐらい自由な国なら、みんな定時に帰ったり、有給取りまくりだと思っていたんですが、そうでもないようで。

私の予想ですが、アメリカでも多数派と少数派があるので、末端の労働者層ほどそういう雰囲気ができているのかな、と感じたりもします。

 

ということで今日は、不満がある場合、「そこから抜け出す最初の人」になるのもいい、というお話でした。

今日はここまで~。

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