今日は、精神的なお話です。

「冷静に落としどころを考えると、いい判断ができるようになる」というお話をしてみましょう。

 

立場の違いで、見える景色はまったく変わる

今日のツイートネタ。

 

実はこれ、私もよく感じているんですよ。

一言で言うと、「どちらの立場から見るかで、見える景色はまったく変わる」ということですね。

まぁ私は登場人物を記号として把握するので落ち込みはしないし、「演出として」と目的があれば割り切れるんですよ。

でも、「善は純粋な善であって欲しい」という人には、やっぱり「好感度の高いキャラの、好感度が低くなる可能性」に気がつくと、落ち込むかなと。

 

ただ、こういう「別の立場から見てみる」という視点は、面白いですよね。

まぁ上記の人のように、「負の側面」を知ることで落ち込むこともありますが、私はそういう別観点は好きだったりします。

 

そして、そういう「別の見方」をうまく確保できると、うまくいい判断ができそうに思います。

すなわち、今日の結論でもある、「冷静に落としどころを考えると、いい判断ができるようになる」ということですね。

 

村Aと村Bのお話

これを説明するために、実際に「どちらの立場から見るかで、見える景色はまったく変わる」という例を見てみましょう。

ここでは例として、「村Aと村Bがあって、悪天候で凶作になって、貧しい村Bが、豊かな村Aを襲った」という状況を設定するとしましょうか。

ちなみに、ここでは「村AがAランクの村、村BがBランクの村」と思うと、区別しやすいかと思います。

 

じゃあ、これを村Bから見てみましょう。

村Bは、元々貧しい村でした。

働けど働けど貧しいままでしたが、それでも村Bの人々は、毎日楽しく、平和に暮らしていました。

 

そんな村Bの人からすると、村Aの人たちは、「お高くとまった貴族たち」です。

村Aの人たちはいつも豊かで、いつもよい身なりをしているし、黄金(こがね)をため込んでいます。

それは、お金を使って村Bの人々をこき使うことで、弱い人たちからむしり取っているからです。

 

村Bの主張

だから村Bの人たちは、「同じ人間なのに、貧富の格差があるなんて、許せない」と、いつも思っていました。

でも、無力な自分たちには、何もできません。

 

そんなとき、凶作が来ます。

村Bの人たちは、ばたばたと倒れていきます。

それなのに、村Aを見ると、むしり取ってため込んだ豊かさで、毎日ぬくぬくとしているではないですか!

自分たちは苦しんでいるのに、村Aの貴族たちは、弱い人たちに分かち合うこともせず、私腹を肥やしているのですから。

 

そこで村Bの勇者、主人公が立ち上がります。

「こんな不公平、あってはならない! 村Aを倒さなければ、我ら村Bには未来はない! 正義は我らにある!」と叫びます。

そして村Bの人たちは、勇者と共に、戦いを始めました……という流れです。

 

村Aから見てみると、どうなるのか

ならここで、村Aの立場で見てみるとどうなるのか、見てみましょう。

元々村Aの人々は、まじめに働いて、学び、能力を高めて、豊かさを蓄えていました。

「凶作が来る時もある。だから浪費せずに、堅実に蓄えておきなさい。そうすれば、凶作でも生き抜くことができますよ」

そういう教えを守って、豊作だったとしても自制心を保ち、我慢して、ようやく豊かさを作れました。

 

また、給料を払って、暇な村B(相手側の村)の小作人も雇い、できるだけ豊作になるように考えて、工夫をしていました。

もちろん、村Bの小作人とは契約形式なので、双方の合意がなければ雇えません。

村Aの人は、村Bの小作人に対しても、「少し我慢して学ぶといいよ。すると能力UPするし、収穫量も収入も増えるよ」と言いますが、小作人は「勉強は嫌だ」と突っぱねます。

だから、「仕方ないか。無理強(むりじ)いすることでもない」とあきらめています。

 

村Aの主張

そんな村Aからすると、村Bの人たちは、豊作だからといって、毎日遊びほうけています

「今を生きればいい。未来なんか知ったことか」と、飲んだり食ったりのらんちき騒ぎです。

そして普段から、「豊作なのに遊ばないなんて、村Aの奴らはバカだ」と、見下していました。

 

そんなとき、凶作が来ます。

当然、村Bは蓄えがないので、どんどん人が倒れていきます。

すると、あろうことか村Bの人たちは、「村Aの奴らは、自分たちだけ豊かさを蓄えてやがる! 許せない、奪え!」と、村Aを襲います。

 

村Aの人たちからすると、とんでもないですよね。

村Bの人たちは、遊びほうけて自業自得で落ちぶれたのに、今度はそんな自分のことを顧(かえり)みずに、堅実に蓄えた人の豊かさを奪おうとしているんですから。

だから、「正義は我ら村Aにある」として、正義の戦いをします。

 

「正義対正義の戦い」なんて、こんなもの

だいたい「正義対正義の戦い」なんて、こんなものなんですよ。

視点を入れ替えるだけで、がらりと考え方が変わりますよね。

 

で、まさにこれが、現実にあるような「今を生きるだけの、雇われ根性の人たち」と、「未来を考えて、豊かになる人たち」との感覚の差だろうと思います。

いやまぁ、私は雇われ性質ではないので、だいぶ「豊かさを持つ側」(村A側)に肩入れしている表現になっていますが(笑

 

片方の主張だけでは、判断できない

そしてこういう「視点の違いによって、見え方ががらりと変わる」と分かると、片方の主張を聞いただけでは、判断できなくなるんですよね。

それは当然で、「もう片方から見ると、景色はまったく違って見える」からで。

 

その場合、特に「私たちが正義だ。善だ。こいつらが悪だ」という強い主張ほど、一方的な視点だと分かります。

なら、こういう「正義と悪に分ける、強い主張」ほど、不完全なものだと分かります。

 

「落としどころを見つけよう」という発想

一方で、「落としどころを見つけよう」、「この辺が落としどころじゃないかな」という柔らかい主張は、だいぶ客観性が取れているように感じます。

それは、双方の立場を考えた上で、自分なりの着地点を考えているからで。

もちろん、そういう「落としどころ」にも度合いはありますが、少なくとも「冷静さを持って、混乱で自分を失うこと」はありませんからね。

 

で、こういう「落としどころを模索できる人」は、「手持ちのカードで、どう渡り合うか」という発想ができます

ほら、例えば政治の世界でも、「こういうカードを持っている」とか、「こういう外交カードを使って要求する」とか言うじゃないですか。

そういう風に、ゲームのように自分の強みを把握して、将棋のように詰めていくわけです。

 

そして私の中では、そういう「落としどころを探せる人」が、争いに巻き込まれずに、本当に豊かになる人だろうと思います。

これは、実際にイメージしてみると分かるかと思います。

「わーわー、許せない!」と叫んで、情報に左右されて、右へ左へと戦いまくる人と。

一方で、「こういう使えるものとか、強みがある。こういう戦略で進めるのはどうだろう」と、自分軸を持って、詰め将棋のように強みを使って生きていく人と。

すると、「後者の方が豊かになりそうだな」と感じるんじゃないかと思います。

 

自分はどういう存在になりたいのか

なら、最終的には、「自分はどういう存在になりたいのか」かなと思います。

そういう現実を前にして、どう生きたいのか、ということですね。

 

で、「豊かになって、分かち合いたい」であれば、そうすればいいかと思います。

一方で、他人軸に左右されたい場合は、情報に身を投げて、自分を失うといいかと思います。

 

実のところ、多くの人がそういう風に、「自分が豊かになって分かち合うよりも、自分を失って、集団に身をゆだねたい」という判断をしています。

実際に、「集団に属する安心」みたいなものも、ありますからね。

ある意味、「死ぬとしても、みんなと一緒なら安心」というスタイルです。

 

一方で私は、「政府や国家のアホな判断とか、恐怖に駆られた人たちの混乱に巻き込まれて、理不尽に死ぬのは嫌だな」と感じるんですよ。

今でも、コロナウイルスとか、インフレとか、いろいろあるでしょ(笑

「みんなで混乱して死のう!」というのは、私のスタイルではないな、ということです。

 

そしてそういうスタイルを、自分で選べるということですね。

すると、自分軸を保てて、自分なりに行動できるように思います。

 

まとめ

これが分かれば、日々のあふれゆく情報の中でも、冷静さを保てるように思います。

そして、自分の強みを把握して、うまく前進や撤退、方向転換や軌道修正ができるかなと思います。

 

実際に、冷静に考えれば、「親の言う生き方に従わなければならない」とか、「こういう生き方をしなきゃいけない」なんてことはありませんよね。

冷静に考えれば、「自分なりの生き方をしていい」なんですよ。

 

そういう冷静さを持てる人ほど、「落としどころを見つけよう」とできます。

すなわち、自然と「融和できる、新たな場所」を模索できると。

もちろん、場合によっては「ここはダメだ」と、大きな撤退や方向転換、ゼロからの再出発を強いられるかもしれません。

でも、それでも現実を受け入れて、後悔なく進められるかなと。

冷静さを持つことで、そういう風に自分の判断で進められるわけですね。

 

それを、混乱とか恐怖、圧力が、その冷静さを奪ってしまうわけです。

裏を返すと、そういう混乱や恐怖、圧力から距離を取れるほど、冷静になれて、「自由に動けばよかったんだ」と分かるかと思います。

そういう冷静さが、豊かさをもたらしてくれるかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「冷静に落としどころを考えると、いい判断ができるようになる」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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