今日は、精神的なお話です。
「冷静に落としどころを考えると、いい判断ができるようになる」というお話をしてみましょう。
立場の違いで、見える景色はまったく変わる
今日のツイートネタ。
「『アラジン』の冒頭でアラジンはパンを盗むけど、それを空腹の子供たちにあげちゃって自分はお腹を空かせたままになる。鑑賞者はアラジンの好感を抱くが、盗まれたパン屋の気持ちは描写されない。これが好感度コントロールである」ってことなんだけど、読んだあとしばらく創作する気にならんかった
— 江藤俊司/es (@esfeb0203s) August 6, 2021
実はこれ、私もよく感じているんですよ。
一言で言うと、「どちらの立場から見るかで、見える景色はまったく変わる」ということですね。
まぁ私は登場人物を記号として把握するので落ち込みはしないし、「演出として」と目的があれば割り切れるんですよ。
でも、「善は純粋な善であって欲しい」という人には、やっぱり「好感度の高いキャラの、好感度が低くなる可能性」に気がつくと、落ち込むかなと。
ただ、こういう「別の立場から見てみる」という視点は、面白いですよね。
まぁ上記の人のように、「負の側面」を知ることで落ち込むこともありますが、私はそういう別観点は好きだったりします。
そして、そういう「別の見方」をうまく確保できると、うまくいい判断ができそうに思います。
すなわち、今日の結論でもある、「冷静に落としどころを考えると、いい判断ができるようになる」ということですね。
村Aと村Bのお話
これを説明するために、実際に「どちらの立場から見るかで、見える景色はまったく変わる」という例を見てみましょう。
ここでは例として、「村Aと村Bがあって、悪天候で凶作になって、貧しい村Bが、豊かな村Aを襲った」という状況を設定するとしましょうか。
ちなみに、ここでは「村AがAランクの村、村BがBランクの村」と思うと、区別しやすいかと思います。
じゃあ、これを村Bから見てみましょう。
村Bは、元々貧しい村でした。
働けど働けど貧しいままでしたが、それでも村Bの人々は、毎日楽しく、平和に暮らしていました。
そんな村Bの人からすると、村Aの人たちは、「お高くとまった貴族たち」です。
村Aの人たちはいつも豊かで、いつもよい身なりをしているし、黄金(こがね)をため込んでいます。
それは、お金を使って村Bの人々をこき使うことで、弱い人たちからむしり取っているからです。
村Bの主張
だから村Bの人たちは、「同じ人間なのに、貧富の格差があるなんて、許せない」と、いつも思っていました。
でも、無力な自分たちには、何もできません。
そんなとき、凶作が来ます。
村Bの人たちは、ばたばたと倒れていきます。
それなのに、村Aを見ると、むしり取ってため込んだ豊かさで、毎日ぬくぬくとしているではないですか!
自分たちは苦しんでいるのに、村Aの貴族たちは、弱い人たちに分かち合うこともせず、私腹を肥やしているのですから。
そこで村Bの勇者、主人公が立ち上がります。
「こんな不公平、あってはならない! 村Aを倒さなければ、我ら村Bには未来はない! 正義は我らにある!」と叫びます。
そして村Bの人たちは、勇者と共に、戦いを始めました……という流れです。
村Aから見てみると、どうなるのか
ならここで、村Aの立場で見てみるとどうなるのか、見てみましょう。
元々村Aの人々は、まじめに働いて、学び、能力を高めて、豊かさを蓄えていました。
「凶作が来る時もある。だから浪費せずに、堅実に蓄えておきなさい。そうすれば、凶作でも生き抜くことができますよ」
そういう教えを守って、豊作だったとしても自制心を保ち、我慢して、ようやく豊かさを作れました。
また、給料を払って、暇な村B(相手側の村)の小作人も雇い、できるだけ豊作になるように考えて、工夫をしていました。
もちろん、村Bの小作人とは契約形式なので、双方の合意がなければ雇えません。
村Aの人は、村Bの小作人に対しても、「少し我慢して学ぶといいよ。すると能力UPするし、収穫量も収入も増えるよ」と言いますが、小作人は「勉強は嫌だ」と突っぱねます。
だから、「仕方ないか。無理強(むりじ)いすることでもない」とあきらめています。
村Aの主張
そんな村Aからすると、村Bの人たちは、豊作だからといって、毎日遊びほうけています。
「今を生きればいい。未来なんか知ったことか」と、飲んだり食ったりのらんちき騒ぎです。
そして普段から、「豊作なのに遊ばないなんて、村Aの奴らはバカだ」と、見下していました。
そんなとき、凶作が来ます。
当然、村Bは蓄えがないので、どんどん人が倒れていきます。
すると、あろうことか村Bの人たちは、「村Aの奴らは、自分たちだけ豊かさを蓄えてやがる! 許せない、奪え!」と、村Aを襲います。
村Aの人たちからすると、とんでもないですよね。
村Bの人たちは、遊びほうけて自業自得で落ちぶれたのに、今度はそんな自分のことを顧(かえり)みずに、堅実に蓄えた人の豊かさを奪おうとしているんですから。
だから、「正義は我ら村Aにある」として、正義の戦いをします。
「正義対正義の戦い」なんて、こんなもの
だいたい「正義対正義の戦い」なんて、こんなものなんですよ。
視点を入れ替えるだけで、がらりと考え方が変わりますよね。
で、まさにこれが、現実にあるような「今を生きるだけの、雇われ根性の人たち」と、「未来を考えて、豊かになる人たち」との感覚の差だろうと思います。
いやまぁ、私は雇われ性質ではないので、だいぶ「豊かさを持つ側」(村A側)に肩入れしている表現になっていますが(笑
片方の主張だけでは、判断できない
そしてこういう「視点の違いによって、見え方ががらりと変わる」と分かると、片方の主張を聞いただけでは、判断できなくなるんですよね。
それは当然で、「もう片方から見ると、景色はまったく違って見える」からで。
その場合、特に「私たちが正義だ。善だ。こいつらが悪だ」という強い主張ほど、一方的な視点だと分かります。
なら、こういう「正義と悪に分ける、強い主張」ほど、不完全なものだと分かります。
「落としどころを見つけよう」という発想
一方で、「落としどころを見つけよう」、「この辺が落としどころじゃないかな」という柔らかい主張は、だいぶ客観性が取れているように感じます。
それは、双方の立場を考えた上で、自分なりの着地点を考えているからで。
もちろん、そういう「落としどころ」にも度合いはありますが、少なくとも「冷静さを持って、混乱で自分を失うこと」はありませんからね。
で、こういう「落としどころを模索できる人」は、「手持ちのカードで、どう渡り合うか」という発想ができます。
ほら、例えば政治の世界でも、「こういうカードを持っている」とか、「こういう外交カードを使って要求する」とか言うじゃないですか。
そういう風に、ゲームのように自分の強みを把握して、将棋のように詰めていくわけです。
そして私の中では、そういう「落としどころを探せる人」が、争いに巻き込まれずに、本当に豊かになる人だろうと思います。
これは、実際にイメージしてみると分かるかと思います。
「わーわー、許せない!」と叫んで、情報に左右されて、右へ左へと戦いまくる人と。
一方で、「こういう使えるものとか、強みがある。こういう戦略で進めるのはどうだろう」と、自分軸を持って、詰め将棋のように強みを使って生きていく人と。
すると、「後者の方が豊かになりそうだな」と感じるんじゃないかと思います。
自分はどういう存在になりたいのか
なら、最終的には、「自分はどういう存在になりたいのか」かなと思います。
そういう現実を前にして、どう生きたいのか、ということですね。
で、「豊かになって、分かち合いたい」であれば、そうすればいいかと思います。
一方で、他人軸に左右されたい場合は、情報に身を投げて、自分を失うといいかと思います。
実のところ、多くの人がそういう風に、「自分が豊かになって分かち合うよりも、自分を失って、集団に身をゆだねたい」という判断をしています。
実際に、「集団に属する安心」みたいなものも、ありますからね。
ある意味、「死ぬとしても、みんなと一緒なら安心」というスタイルです。
一方で私は、「政府や国家のアホな判断とか、恐怖に駆られた人たちの混乱に巻き込まれて、理不尽に死ぬのは嫌だな」と感じるんですよ。
今でも、コロナウイルスとか、インフレとか、いろいろあるでしょ(笑
「みんなで混乱して死のう!」というのは、私のスタイルではないな、ということです。
そしてそういうスタイルを、自分で選べるということですね。
すると、自分軸を保てて、自分なりに行動できるように思います。
まとめ
これが分かれば、日々のあふれゆく情報の中でも、冷静さを保てるように思います。
そして、自分の強みを把握して、うまく前進や撤退、方向転換や軌道修正ができるかなと思います。
実際に、冷静に考えれば、「親の言う生き方に従わなければならない」とか、「こういう生き方をしなきゃいけない」なんてことはありませんよね。
冷静に考えれば、「自分なりの生き方をしていい」なんですよ。
そういう冷静さを持てる人ほど、「落としどころを見つけよう」とできます。
すなわち、自然と「融和できる、新たな場所」を模索できると。
もちろん、場合によっては「ここはダメだ」と、大きな撤退や方向転換、ゼロからの再出発を強いられるかもしれません。
でも、それでも現実を受け入れて、後悔なく進められるかなと。
冷静さを持つことで、そういう風に自分の判断で進められるわけですね。
それを、混乱とか恐怖、圧力が、その冷静さを奪ってしまうわけです。
裏を返すと、そういう混乱や恐怖、圧力から距離を取れるほど、冷静になれて、「自由に動けばよかったんだ」と分かるかと思います。
そういう冷静さが、豊かさをもたらしてくれるかな、と思ったりもします。
ということで今日は、「冷静に落としどころを考えると、いい判断ができるようになる」というお話をしてみました。
今日はここまで~。