今日も精神的なお話です。
嫌なことはやめる、という発想のお話です。
嫌なことは、やめることができる
ストレスってありますよね。
仕事がストレスだったり、上司がストレスだったり、親や兄弟がストレスだったり、まあいろいろあるかと思います。
で、ストレスの本質って、「嫌なのにそこから離れられないこと」なんですよね。
だから、嫌なことばかりを考えることになってしまって、気が滅入ってしまうと。
でも、ちょっと考えてみましょうよと。
だいたいの嫌なことって、実は「やめることができる」ことなんですよ。
仕事だって、やめることができますし、部課を変わることもできることが多いでしょう。
上司も変えることができますし、親や兄弟から十分に離れて生きることもできます。
嫌なことをやめるコストは、思っているほど高くない
実は、「嫌なことをやめるコスト」は、思っているほど高くないんですよ。
で、次の二つを比べてみるといいでしょう。
それが、「今よりももっと好きな状態に移るために費やす労力」と「老人になるまで今のストレスを我慢することに費やす労力」ですね。
すると、嫌なことをやめるコストは、実はささいなことだったと分かるかと思います。
例えば仕事を変えるコストというのは、だいたい職を探して応募して、試験か面接を受けて引っ越す程度です。
すると、「さっさと好きな職種に移る方が、圧倒的に楽で、コストもかからない」と分かることも多いかと思います。
何年も、何十年もそんなストレスを抱えることに比べれば、転職にかかる作業量なんて、取るに足らない小さなものでしかありません。
「上司を変えてもらう」なんて、もっと簡単かもしれません。
自分の属する部署を入れ替えてもらえばいいだけですからね。
それは、「部長に直接相談してみる」程度の作業量で実現できるかもしれません。
同じように、親や兄弟から離れるには、物理的に遠い場所に異動、もしくは転職できればいいだけかもしれません。
「やめることができるんだ」と気づいたら、ワクワクが訪れる
で、本当に嫌なことなら、「やめることができるんだ」と気づいた瞬間に、すっごいワクワクが訪れます。
「どうしてこんなに簡単な解決方法に気づかなかったんだ!?」みたいな。
「たったこれだけを実現できればいいだけやん!」みたいな。
この希望が見えれば、内側からすごいエネルギーが出てきて、嫌なことをやめる勢いにできるんですよ。
「自分の一生を通じた幸せ」ということから見れば、たいていのことは小さなことです。
仕事を変えるのなんて、履歴書に一行多く職歴を書くだけです。
きれいな履歴書を守るために、一生を犠牲にするとか、アホらしいですよね。
同じように、「人によく見られたい」、「人に嫌われたくない」という気持ちを満たすために、我慢をして一生を犠牲にするのもアホらしいと分かります。
「反抗してはダメ」、「従わなければダメ」、「自分の意見を言ってはいけない」、「わがままを言ってはいけない」、それらは全部、一生という観点から見れば、小さなことです。
そして、好きな人と一緒にいる時間を減らしたり、好きなことをせずに一生を終わらせるのは、あまりにももったいないと分かります。
まとめ
そんな風に、「嫌なことはやめられる」と気づけば、多くの場合、希望が見えてストレスから解放されるかと思います。
やめるのにかかるコストって、一生を苦しみ続けるコストに比べると、小さなものです。
それを考えると、「ずっと悩み続ける」というのはアホらしくなるものです。
好きに生きても、我慢して生きても、同じ一生です。
どうせ同じ一生を過ごすのであれば、思いっきり充実して生きたいじゃないですか。
「無理にこれを続けなくていいんだ」、「やめてもいいんだ」と分かったとき、膨大なエネルギーが出てきます。
それで動き出すのも、いいんじゃないかなと思います。
ということで、今日は「嫌なことはやめる」、という発想のお話をしてみました。
今日はここまで~。