今日は、精神的なお話です。
存在否定ではなくて、「今の私は選ばない」だと健康的に選べそう、というお話です。
否定は自分に返って来やすい
SNSでもよく、「こういう人はいらない」、「こんなものは世の中に必要ない」、「これは許せない」みたいな、強い発言をする人がいますよね。
いわゆる、存在否定をしてしまうことがあると。
それはそれで強力に排除できるのでいいんですが、自由に柔らかく生きたい場合には、そういう存在否定は苦しくなりそうに感じます。
存在否定ではなくて、「今の私は選ばないな」ぐらいの方がいいかなと。
というのも、否定すればするほど、その否定は自分に返ってくるんですよね。
「こんな人いらない。あれもいらない。こんなもの世の中にない方がいい。こんなもの、世の中には害悪でしかない」
そう言えば言うほど、最後には「世の中全部、間違っている!」と感じてしまうわけです。
人によっては、そういう「世の中全部間違っている!」って感じること、あるかもしれません。
「世の中全部間違っている!」は反転しやすい
でも、そういう思考は、あるときふっと反転するんですよ。
「あ、いらないのは世の中のすべてじゃなくて、自分自身だったんだ」みたいな。
そして、今まで向けていた強烈な「いらない」の矛先が、自分に向かってしまうと。
やっぱり、そういうのは苦しいですからね。
なので、「今の私は選ばない」ぐらいだと、健康的に取捨選択できそうに感じます。
私もいろんなものを捨てたり手放したりしていますが、人生のステージとか、生き方の変化で、必要なものは変わると思うんですよ。
なら、「今の自分は、こう感じるからこうする。未来の自分は、分からないけどね」となれると、だいぶ気楽に取捨選択できそうに感じます。
それは、「今の自分で決断していい。失敗してもいい。失敗だと分かったら、いつでもまた変化していい」と受け入れられるからで。
障害物をひょいひょいをよけて人生を進むイメージ
言うなれば、「障害物は、動かさなくていい。自分が動けばいい」とすることで、障害物をひょいひょいとよけて人生を進むイメージです。
否定で障害物を変えることもできれば、そういう風に、肯定で自分を変えることもできるんですよね。
例えば毒親やパワハラ上司で苦しんでいる場合、あえて逆に「毒親が存在してもいい」、「パワハラ上司が存在していい」と受け入れるわけです。
そしていろんなものを受け入れると、「自分も好きに行動していい」、「無理にそのような毒となる人の下にいなくていい」と受け入れられるようになります。
もちろん、世間では「親には従え、上司には従え、会社には居続けなければならない」みたいな常識があるものです。
そして、その教えが正しいこともあるわけです。
でも、「今の私は、こう感じるからこうする。未来の自分は分からないけどね」とできると、「間違ってもいい」とできて、常識から抜け出せると。
そこから初めて、「あ、あの常識は、世界のすべてではなかったんだ」と分かって、楽になれることもあるように思います。
まとめ
なので、存在否定よりも、「今の私は選ばないな」ぐらいの柔らかさだと、動きやすくなるように感じます。
特に自由が好きで、周囲を変えるよりも自分を変える方が合う人の場合、肯定メインで判断するのも一つの方法かなと思います。
で、私の場合、「周囲を肯定して、周囲を変えず、自分を変える」という方をメインスタイルに選んでいます。
まぁ周囲を変えようが変えまいがどちらでもいいんですが、否定ばかりが苦しい場合、肯定をメインにしてみるのも一つの方法かなと思います。
ということで今日は、存在否定ではなくて、「今の私は選ばない」だと健康的に選べそう、というお話でした。
今日はここまで~。