今日も人間心理のお話です。
「抑圧が、無駄な感情を引き起こす」と分かると、抑圧と感情の関係が分かる、という補足説明です。
心のメカニズムが分からない!
私たちって、自分の心がどういうメカニズムで動いているのか、分からないことが多いですよね。
自分でも「自分の心がどう動いているのか、分からない」となると、自分が自分をコントロールしている実感がなくなるし、不安も大きくなるもので。
そういう場合、心のメカニズムを知るのもいいように思います。
すると論理に強い人ほど、「こういう原理で動いていたのか!」と分かって、何を対処すればいいのか分かるかもしれません。
それで今日は、「感情」と「抑圧」の関係について語ってみようかと思います。
これが分かると、より「感情ってこういうものだったんだ」と分かって、感情とうまく付き合えるかもしれません。
抑圧が、無駄な感情を引き起こす
もう結論から言うと、抑圧を持つ人ほど、「抑圧が、無駄な感情を引き起こす」ということです。
だから「感情をある程度制御できるようになっても、根本となる抑圧を解決しないと、きりがないですよ」と言えます。
ストーリーで言うと、抑圧がラスボスで、感情はその手下ですね(笑
ラスボスが、感情という名の魔物を手下として作って、私たちを襲って苦しめるわけです。
ファンタジーでよくある「魔王は魔物を無限に作れる。だけどその魔王を倒すと、魔物が消えて、世界に平和が訪れる」というのは、まさにこの内面世界の象徴のようにも思います。
だからラスボスを始末しない限り、永遠に魔物は私たちを襲うと。
感情とは、「深層意識の判断を、行動に移すための手段」
表現を変えると、感情というのは、「深層意識の判断を、行動に移すための手段」だと言えます。
私たちは普段から、いろんな情報を深層意識で判断して、行動しています。
その行動に移すための手段として、「嬉しい」、「哀しい」、「楽しい」、「休みたい」みたいな感情が使われると。
言葉は悪いですが、感情というエサを使って、行動をうながすわけです。
例えば「好きな相手と出会った」と判断すると、「嬉しい」とか「楽しい」、「好き」みたいな興奮する感情が出てきて、身体が活発になって活動しやすくなるでしょう。
一方で「自分を害する敵と出会った」と判断すると、「怒り」や「恐怖」となって、戦うなり逃げるなりうながせます。
他にも、例えば「神経が疲れ切っている」と判断すると、「落ち込んだ気分」とか「動きたくない」という感情になり、身体を休ませようとするかもしれません。
私たちの内面で起きるプロセス
これは、私たちの内面で起きる情報処理の流れを見ると分かるでしょう。
私たちの内面で起きるプロセスは、次のようになります。
- 肉体からの情報 → 深層意識での価値観の判定(抑圧ルールの照らし合わせも含む) → 感情生成 → 表層意識での感情の認識 → 感情に応じた行動(具体的対策や、感情制御も含む)
深層意識の図で言うと、情報は次図の下から来る流れになります。
↑ この図ですね。
上(第1層)が表層意識で、下(第4層)が深層意識です。
第4層より下は、肉体の領域です。
だから、情報は下からやってきて、上へと流れてゆき、私たちの表層意識で認識する流れになります。
情報が感情になる流れ
すると、情報が判断されることで、感情になると分かります。
例えば肉体から「ちょっと神経を使いすぎた」という情報が来た場合、第4層側から順に処理されてゆきます。
で、各層に照らし合わせて、「自分の中にある価値観からすると、休む必要がある」と判断して、それに応じた感情を生成します。
ただ、そこで第4層の抑圧領域に「落ち込んではいけない」みたいなルールがあると、抑圧が無駄な「それは許されない!」という強い感情を作ると分かります。
そして「落ち込みは許されないから、頑張らなきゃ、でも頑張れない。だから落ち込んだ。でも落ち込みは許されない」と、感情がループしてしまうわけです。
そういう意味でも、「感情で苦しむ場合、抑圧がラスボスである」と言えるでしょう。
感情というものは、その手先でしかなく、「価値観で判断した後の、行動命令でしかない」ということですね。
抑圧を解放するには、悪魔的な感情が有効になる
ただ、少し補足をすると、「だから感情を制御する必要はないか」というと、そうではありません。
むしろ、抑圧を解放するには、ネガティブな感情を支配下に置いて、使役する方が有効だと分かります。
これは、ストーリーで考えると分かりやすいでしょう。
抑圧がラスボス(悪魔の親玉、もしくは神の親玉)だとすると、感情は「天使や悪魔」と言えます。
例えば西洋では、天使や悪魔というのは、いいこと悪いこと含めて「私たちに、感情をもたらす象徴」として用いられます。
ほら、実際に「愛を感じたときに出てくる天使」とか、「羨望を感じたときに出てくる悪魔」とかいるでしょ。
ああいう「○○をつかさどる」という天使と悪魔は、まさに感情の象徴でもあると言えます。
そして大天使や大悪魔ほど、メジャーで強い感情に対応しているはずです。
四大天使とか、六大悪魔とか、まぁいろいろあるかと思います。
だから天使や悪魔にも階級があるし、「本来ならいい感情だったのに、状況が変わって堕天使になる」みたいなこともありうると。
抑圧を解放するには、悪魔側が頼れる
そして抑圧を解放するには、悪魔側の感情を使役する必要があります。
ほら、例えばストーリーでも、単純な勧善懲悪のお話ほど、主人公は天使的な力と契約するじゃないですか。
「勇者の力」とか、「輝く魔法の力」とか、「正義の心を持つ人にしか使えない力」とか、まぁそういうたぐいのものです。
それは、そういう「天使的な力」とは、「社会的な価値観を守るためのもの」になるからですね。
一方で14歳ぐらいからの反抗期になると、ストーリーでも主人公は一転して、悪魔的な力と契約することになります。
というのも、抑圧を解放するには、そういう「悪魔的で、ネガティブな感情を受け入れること」が力になるからですね。
そして単純な勧善懲悪ではなく、「世界の裏側にある闇」に向き合い、解決してゆく流れになります。
低共感だと勧善懲悪、高共感だと抑圧解放になる
この両者はある意味、低共感な人と、高共感な人の違いだと言えるでしょう。
勧善懲悪をする主人公は、基本的に低共感な性質になるものです。
実際に勧善懲悪な主人公ほど、敵をこらしめて、「これにこりたら、悪さはやめるんだな!」と笑って追い払います。
そこには「敵がなぜ、主人公の領域に出てきて、悪さをしなければならなかったのか」という事情にはさして踏み込みません。
多くの場合で、単純に「悪の誘惑にたぶらかされた」、「弱い心によって、悪に憑依された」だけですませて、反省させて終了です。
一方で高共感な主人公の場合、「敵がなぜ、主人公の領域に出てきたのか」という、その感情面に深く踏み込むわけです。
それは、主人公が高共感な性質だからこそできることです。
そしてだからこそ、主人公は「自分が属する世界の闇」に直面せざるを得ません。
その場合、天使的な力だと、「世界の闇」に入れないんですよね。
言うなれば、「抑圧源が負の感情を出すなら、逆に私たちがその負の感情をヒントにその発生源に向かえば、抑圧源にたどりつく」ということです。
時と状況で、有効な力が変わる
なので単純に「天使がいい、悪魔は悪い」ではなく、時と状況で有効な力が変わるわけです。
そして抑圧を解放するには、むしろ「自分の中にある、悪魔的な感情」を受け入れて使役できると、それがより抑圧を解放する力になると分かります。
ただし当然ですが、そういう悪魔的(ネガティブ)な力と契約する場合、「悪魔を従わせるほど、主人公は(社会的な価値観から見て)疲弊する」という代償を負うものです。
実際に「自分は怒りの感情を持っている」と受け入れると、やはり社会生活は送りにくくなるものです。
ですが、その感情を使役する(受け入れる)ことで、自分の中にある闇やドロドロな部分の根源に向き合えると。
とはいえ、抑圧源から離れると、悪魔は心地よい道先案内人になります。
抑圧源では悪魔は強烈ですが、離れると力を失い、従順になるんですよね。
そして代償を支払いつつ、主人公は「自分の中のネガティブ」を頼りに、抑圧にたどり着き、ラスボスと向き合い解放すると。
で、抑圧を解放し終えたら、悪魔的な力からは「じゃ、さらばだ。お前と一緒にいても、もうつまらない」と言われて、互いに笑顔で和解して、別れる流れになります。
重要なのが、「抑圧源から離れることで、うまく悪魔を使役する」ということです。
抑圧源から離れることで、そのネガティブな感情を受け入れ、支配下に置くことで、そのネガティブな感情を頼りに抑圧解放ができると。
まとめ
そんな風に、「抑圧が、無駄な感情を引き起こす」と分かると、抑圧と感情の関係が理解できるかと思います。
感情は「判断した後の行動命令」でしかない、ということです。
ただし「逆に私たちが感情をヒントにその発生源に向かえば、抑圧源にたどりつく」ともできます。
そしてこのメカニズムが分かると、抑圧と感情の関係が分かって、必要な対処ができるかもしれません。
ということで今日は、「抑圧が、無駄な感情を引き起こす」と分かると、抑圧と感情の関係が分かる、という補足説明でした。
今日はここまで~。