今日もるんるん気分で、精神的なお話です。
精神的なお話って、語るネタが山ほどあって大好きです(笑
今日は、「目的志向型の人は、無理に嫌なことをしなくても大丈夫」、というお話をしてみましょう。
嫌なことをしなくても、大丈夫なタイプ
「嫌な仕事はしたくないなぁ」とか、「嫌な人間関係があって、付き合いたくないなぁ」とか、ありますよね。
でも、世の中では「我慢しなさい」とか「忍耐が大切」とか言うじゃないですか。
それとか、「もし嫌なことをやめると、自分がどんどん堕落していくかも」とか、「嫌なことをやめると、こういうリスクがある」と感じることも多いかと思います。
だから、嫌なことを続けてしまったりするわけですが。
実は、嫌なことをしなくても大丈夫なタイプがいます。
で、「我慢こそ美徳」という教えは、ある種の人には当てはまってるんですが、ある種の人には当てはまらない教えだったりします。
それが、「境地開拓型(目的志向型)の人には、我慢や忍耐の必要性は当てはまらない」ということですね。
「社会維持型」と、「境地開拓型」
以前によく触れていましたが、久しぶりなので再度おさらいしておきましょう。
世の中には、「社会維持型(現状維持型)」の人と、「境地開拓型(目的志向型)」の人との2種類の人がいます。
両者の違いは、アリで考えると分かりやすいかと思います。
全ての生命は種を保とうとして生きていますが、社会維持型のアリは、巣の近くでえさを集めて、個体数を維持することで種を保とうとします。
でも、近くでえさを集めるばかりだと、周囲からえさがなくなったときとか、ちょっとした環境変動、災害とかがあれば絶滅してしまいます。
そこで、ある一定率のアリは、境地開拓型として、社会を離れて生きるようになります。
境地開拓型のアリは単独もしくは少数のグループで、巣から遠く離れて、新しいすみかを見つけたり、よりよい環境を見つけようとすると。
それで、別の新天地を見つけたり、えさ場を見つけたり、必要に応じてその環境に合うように進化することで、アリの種を広げてゆこうとしているわけですね。
そういう風に、同じアリでも、全く役割が違うわけです。
実はこれは、人間でも当てはまります。
人間にも、社会維持型と境地開拓型の2種類の人がいます。
社会維持型の人は、リスクに鈍い方が優れている
社会維持型の人というのは、外向的で、体育会系で、ストレスに強く、こだわらない人たちになります。
というのも、人間社会ってストレスまみれなので、ストレスに強い、いわゆる「刺激に鈍い人」が多いほど有利になって、社会を維持できます。
だから、社会は「鈍感な人ほど素晴らしい」という価値観になって、精神的に打たれ弱い人は劣っているとみなします。
ほら、体育会系な人ほど、無意味な大酒自慢をしたり、大食いや早食い自慢、鈍感自慢をするでしょ。
それは、感覚が鈍い方が、社会を維持するのに適しているからです。
そして社会維持型の人ほど、自分軸を持ちません。
それは、周囲の人や社会に合わせる方が摩擦を減らせて、調和できるからですね。
だから質よりも話題性を重視して、「みんなが見ているものを私も見て、わいわい調和したい」という欲求を持ちます。
周囲と一緒だから、彼らは安心して、心地よくなるわけです。
また、特に専門的な知恵や技術も持たないので、「みんながしていることをする」、「平均的な生き方をする」という戦略の方が安全で、個体としても生き残りやすくなります。
境地開拓型の人は、リスクに敏感な方が優れている
一方で境地開拓型の人は、内向的で、文化的で、こだわる人たちになります。
内向的というのは、言い換えると「刺激に敏感」ということです。
境地というリスクの高い場所に向かう場合、リスクに敏感なほど生き延びられます。
腹を空かせた肉食獣が山ほどいる場所や、迷ったら終わりなほど広い山道で、「なんとかなるさ」とか「適当でいいよ」とか言っていると、すぐに死んでしまいますからね。
だから、境地開拓型の人ほど、不安を持ちやすい体質になります。
そしてこだわるタイプなので、無意味なことほど苦痛に感じます。
また、人づきあいというのは刺激が強い部類のものなので、少数の信頼できる人たちと深く付き合うようになります。
「嫌なこと」は、「それをしても意味も価値もない」と分かっているから嫌
で、社会維持型の人と、境地開拓型の人の比率は、8:2です。
世の中のほとんどの人は、社会維持型で占められています。
まあ、これは以前のメジャーとニッチの違いでも触れたので、覚えている人も多いかもしれませんが。
これが分かれば、「境地開拓型(目的志向型)の人は、嫌なことをしなくてもいい」と分かります。
というのも、境地開拓型の人は、リスクに敏感です。
ほら、内向型の人って、必要以上におびえて、嫌われないようにして、周囲の人のために必要以上に自分を犠牲にしてしまうものですよね。
それは裏を返すと、優れたリスク管理能力を持っている、ということです。
リスクに敏感だから、必要以上に周囲の目や機嫌を気にしてしまい、自分を殺してしまうと。
言うなれば、境地開拓型の人は、自制心が強すぎるタイプです。
で、「嫌なこと」というのは、「それをしても意味(価値)がない」と分かっているから嫌なんですよね。
「その仕事やその人間関係に時間や人生をさいても、自分の人生はよくなりはしない」と分かっているから、嫌なんですよね。
もし「この活動には意味や価値がある」と分かっていれば、モチベーションは出ます。
そしてもし「この活動をしなければ、自分に大きなデメリットが起きる」と分かっていても、モチベーションは出ます。
すなわち、嫌なことっていうのは、「する価値がないし、やめてもたいした価値はない」って分かっているわけです。
ただ、リスク管理能力が強すぎるから、そのリスクにおびえているだけです。
嫌なことをやめても、堕落も破滅もしない
社会維持型の人はリスクに鈍くて自制心が弱いので、嫌なことをやめるとどこまでも堕落していきます。
仕事をやめて、ぐうたらして、ギャンブルや酒、ドラッグみたいな刺激的なものにのめりこんでいきます。
だから、こういう人は忍耐をする方がいいわけです。
「忍耐をしろ」、「我慢をしろ」という教えは、社会維持型の人にのみ当てはまることです。
でも、境地開拓型(目的志向型)の人は、嫌なことをやめても堕落も破滅もすることはありません。
というのも、リスクに敏感だからこそ、自制心が強いので、自ら節制して目的を実現しようとします。
例えば私の場合、結構なお金が入ってきたとしても、浪費することはなく投資に回します。
それはリスクに敏感だからこそ、10年単位でお金を管理して、自発的に節制できるんですよ。
そして十分な安全を確保して、余ったものから自分を楽しませることに使ったり、分かち合うことに使えるわけですね。
ここを見ている人でも、「一発大当たりすることよりも、豪遊はできなくてもいいから、安定的に収入がある方がいい」と思っている人がほとんどではないでしょうか。
豪遊できなくても、毎日大好きなことをして、安心して生きたい、みたいな。
それは、一時的な刺激よりも、安定性(リスクを回避すること)を求めているからですね。
特に女性の方ほど、一時的に売れることよりも、長期的な安定を求めているように思います。
だから、境地開拓型が「嫌なこと」をやめても、問題が起きることはありません。
必ず予防線を張ろうとして、安全を確保します。
それは、リスクに敏感だからこそ、必ずそうしてしまうわけですね。
自分のリスク管理能力を信頼すれば、行動できる
このブログを読んでいるは、ほとんどが境地開拓型の人かと思います。
なら、だいたい自分がはまっている状況って、「不安に対して予防線を張りすぎて、動けなくなる」っていうパターンでしょ。
「これをしなきゃいけない。やめたいけど、もしやめるとこんなひどいことになりそう」とリスクをイメージして、そのリスクにおびえてしまうから、現状から出られずに、嫌なことを続けてしまうと。
でも、見方を変えると、そのリスク管理能力は長所です。
私たち境地開拓型の人は、我慢をしなくても、堕落や破滅をすることはありません。
ちゃんと予防線を立てて対処するようになります。
むしろアリと同じように、ストレスの多い都会や社会から少し距離を取って、穏やかな郊外とか田舎で、少数の信頼できる人たちと深く付き合うぐらいの方が、ストレスなく安心して生きられます。
社会では、嫌なことをしなくてもなんとかなる
で、「社会」というのは比較的安全で、境地のように高いリスクはありません。
だいたい社会は社会維持型の人が集まっていて、周囲は自分が思っている以上に鈍感です。
自分が「こうされたら迷惑になる」と思っていても、実際の周囲はさほど迷惑に感じません。
彼らは言葉で「迷惑だ」と言っていても、ただ単純に彼らは「自分はこの程度の言葉では傷つかない。だから他人にその程度の言葉を言っても、傷つかないだろう」と鈍感にも思い込んでいるから、そう言っているだけです。
すなわち、境地開拓型の人が感じているほど、社会維持型の人たちは迷惑だとは思っていません。
鈍感だから、「とりあえず主張しておく方が有利だ」と、さほど考えずに自分の望みを周囲に言っているだけです。
逆に、境地開拓型の人は、リスクにおびえるから、その言葉を必要以上に重視してしまっているわけですね。
だから、境地開拓型の人は、そういう実際に傷ついてもいない鈍い人から発せられる、「鈍い人なら傷つかないが、敏感な人なら傷ついてしまう言葉」に傷けられてしまっている状態です。
周囲が全員鈍感だから、境地開拓型の人は痛みに耐えきれないわけですね。
そして、傷ついて、周囲のように鈍感でいることができずに、「癒やしが欲しい」とか「自信が欲しい」、「もっと傷つかない心が欲しい」、「もっと彼らのように強くなりたい」と思い込んでいるだけです。
嫌なことをやめるぐらいで、ちょうどいい
社会とは、かなり安全な場所です。
境地とは違って様々な社会的なサポートがあるので、少々わがままを通したって、命を取られることはありません。
むしろ境地開拓型の人にとって、都会のような社会で、そのリスク管理能力を全開にして用いるのは、苦しくなるだけです。
社会では、その強すぎるリスク管理能力は、逆効果なんですよね。
だから、嫌なことはやめるぐらいでちょうどいいんです。
それで、もし生き生きとして生きたいのであれば、さっさと境地に出てしまうことですね。
境地というのは、比較的人が少ない場所で、新たな生き方を試みる生き方です。
例えばスモールビジネスとか、比較的小さな企業で、一人一人の役割ややることが幅広い場所の方がいいでしょう。
自分でビジネスを立ち上げなくても、そこで働くなり、手助けをするのでもいいでしょう。
そこでは命取りになるリスクが多いので、リスク管理能力はあればあるほど有利になって、人からその能力を求められます。
すると、リスク管理能力を生かせるようになって、「読みが当たった! 対策をしていてよかった!」と思うことが多くなります。
未来予測も対策も、本質を見抜く目も、全てリスク管理能力が与えてくれるものですから。
境地開拓型の人は、境地であればあるほど、不安定な場所であればあるほど、自分の能力を生かせるようになります。
そして自分の能力を生かせれば生かせるほど、「生き生きとできる」、「自分が他の人に役立てることがある」と感じて、「自分の力が思う存分発揮できる」と、生きることが楽しくなります。
まとめ
だから、境地開拓型(目的志向型)の人ほど、嫌なことを無理にしなくても大丈夫です。
「これをする意味や価値がない」と分かっているから、嫌なんですよ。
世の中のほとんどの教えは、世の中の8割を占めている社会維持型の人向けです。
だから、学校でも社会でも、境地開拓型の人はとても苦しみやすいんですよね。
でも、そういう違いがあるんだと分かれば、社会維持型の教えに従う必要はないんだと分かります。
境地開拓型の人は、嫌なことをやめても堕落することはありません。
リスク管理能力は元々十分に備わっているので、好きなことを追求するぐらいでちょうどいいんですよ。
で、不安定な場所ほど、その能力を発揮できます。
社会では、起きもしないリスクにおびえてその能力を発揮できないから、自信を失ってしまっているだけです。
「今よりも不安定な場所に移ると、もっとストレスを得そう」じゃありません。
むしろ本質は、リスク管理能力が強すぎるから、ストレスを得ているわけです。
多くの境地開拓型の人が、これを理解していなくて、もっと苦しい方へと向かってしまっているんですよね。
リスク管理能力が強すぎるからストレスを味わっているのに、そこで「安心が欲しい」と思って、そしてもっとリスクが少なそうな場に飛び込んでしまうと。
そうじゃなくて、そのリスク管理能力を発揮できる場所へと移りましょうと。
すると、やりがいが出て、その心配性や取り越し苦労は、きわめて役立つ長所になります。
そう考えると、もっと楽に生きられるんじゃないかな、と思います。
ということで、今日は、「目的志向型の人は、無理に嫌なことをしなくても大丈夫」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。