今日は、精神的なお話です。

ものに価値があるのではなくて、ライフスタイルに価値がある、というお話です。

 

ヨーロッパ初の海中レストランのインパクトがすごかった

面白い記事があったので、ご紹介。

 

ノルウェーで、ヨーロッパ初の海中レストランができるようで。

それはそれでいいんですが、この記事を見ても分かるように、「なぜそのイメージ画像を選んだんだ!」とツッコミを入れたくなるんですが(笑

嵐の日に棺桶が海に突っ込んだみたいな雰囲気の写真で、いかにも「さあ、これから脱出不能な海底サバイバルパニック生活が始まるぞ!」みたいな絵面で(笑

いや、それはそれで、ネタとしてはいいのかもしれませんが(笑

 

「船を住居にする」のは、貧しいことか、ステータスか

ちなみに、この記事のイメージギャラリーを見ていると、「船を住居にする」というのも一つのスタイルですよね。

特にこういうビジョンを見せられると、「すごい! すてき!」とか感じたりもするんですが。

 

でも、普通の感覚では、「船を住居にする」とかいうのは、貧しい人がすることじゃないですか。

だいたいイメージするのが、河川敷の掘っ立て小屋だったり、川に停泊されたぼろっちい船だったりしますよね。

だけど、見方を変えるだけでその価値観が一転して、それがステータスになったりもするわけです。

すると、ものに価値があるのではなくて、ライフスタイルに価値があるんだと分かります。

 

パリでは「船で生活する」のがステータス

日本ではこういう船を住居にすることはありませんが、例えばフランスのパリでは、この「船で生活する」というのがすごいステータスになっているんですよ。

セーヌ川沿いに「ペニッシュ」と呼ばれる平底の安定する船を浮かべて、パリにいながらも川沿いの自然あふれる生活と、都会的な生活を両方味わえるわけです。

もちろん電気や水道なども引かれて、法律も整備されて、高い住民税とか停船料、そして住居用の船を作るお金がかかります。

それでも、多くの人がその停船所の空きを待っているほど、人気な状態だったりします。

 

今でこそそんな風にステータスですが、こういう「セーヌ川沿いに船で住む」っていうライフスタイルを最初に始めた人は、お金持ちではなかったように思います。

パリでは50年ぐらい前から陸上輸送が増えて、水上輸送が減りました。

それに釣れて、セーヌ川沿いの利用価値が落ちて、次第に運搬用の船も使われなくなったんですよね。

すると、陸上に家を買えないような人が、運搬用に使っていた船を住居用に改造して、そこで住むようになったわけです。

 

で、これは私の予想ですが、きっとそこに住んでいる人たちが、「ここを素晴らしい場所にしよう」と思ったんじゃないかと思います。

それで、工夫を重ねて住みやすくしたら、価値がなかった場所や生活スタイルに、大きな価値が生まれたんじゃないかと。

 

ものではなく、ライフスタイルに価値がある

こういう実例を見ると、何が価値になるのかなんて、分かりませんよね。

言うなれば、「ものに価値があるんじゃなくて、ライフスタイルに価値がある」と表現できるように思います。

 

私たちは、「高価なものが欲しい」って思うじゃないですか。

お金とか、高級な家とか、高級車とか、ブランドもののバッグとか、いろいろありますよね。

でも実はそれって、「ライフスタイルを実現するための道具」でしかないんですよね。

自分がどういう生き方をしたいのか、それを実現するための道具です。

そして、高級な家とか高級車は、言うなれば「陸上で暮らす人にとって、洗練されたライフスタイル」と言えるでしょう。

 

でも、海で暮らすライフスタイルを考えると、高級車とか馬車とか多くの家財道具とか、逆に邪魔ですよね。

海で暮らす場合は、海で暮らすなりの洗練された道具が必要になるわけで。

 

ならば、私たちは「今いる場所」とか、「追いやられた、自由にできる場所」で、新たなステータスを作ることもできるんだと分かります。

すなわち、工夫ができる人ほど、ライフスタイルも自分らしいスタイルを作って、それをステータスにできると。

 

社会で生きられなくても、新たな場所をステータスにすればいい

私たちクリエイタータイプの人って、なかなか社会では生きづらいじゃないですか。

高級な場所や安全な場所では生きられなかったり、郊外とか、田舎とか、山とか、海とかで生きなければならないかもしれません。

で、価値ある場所から追いやられて、「自分はセーヌ川沿いでしか住む場所がない」となってしまうわけです。

そして、多くの人が「自分は陸に住む場所を得られない、負け組だ」とか思ってしまうんですが。

 

でも、そこを自分なりに工夫して住み心地をよくすることで、自分でその生き方をステータスにできるんですよね。

その不便な場所で工夫をすることで、自分なりに住み心地のいい環境にするんだと。

すると、そのライフスタイル(生き方)のクオリティが仕上がるほど、多くの人が「私もそうして生きたい」とまねするようになります。

 

高価な家がなくても、高級車がなくても、高価な家財一式がなくても、価値は作り出せます。

例えば、今では「ノマド」とか「ミニマリスト」みたいな生き方にも価値が生まれた時代ですからね。

それは、「ものを持たない」という生き方でも、ライフスタイルの完成度を高めると、あこがれの存在になるわけです。

 

すると、「何に価値があるか」、「どんな価値あるものを得られるか」なんてどうでもよくなります。

大切なのは、「自分なりのライフスタイル(生き方)を仕上げることができるか」ということですね。

それが、私たちに価値を与えてくれるんだと。

 

まとめ

そういう風に、ライフスタイル次第で、いくらでも「価値がない」と言われるものに価値を作ることもできるわけです。

私からすると、そういうことができる人ほど格好いいように見えたりもします。

 

ならば、自分から、あえて不便な方向に向かって行くこともできます。

そして、そこを工夫で便利に充実させることで、より価値を高めるわけですね。

すると、完成度が高いほど、「私もそうしたい」という人が出てきて、それがステータスになると。

クリエイタータイプの人にとっては、そういう生き方も楽しいんじゃないかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「ものに価値があるのではなくて、ライフスタイルに価値がある」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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