今日は、精神的なお話です。
ものに価値があるのではなくて、ライフスタイルに価値がある、というお話です。
ヨーロッパ初の海中レストランのインパクトがすごかった
面白い記事があったので、ご紹介。
Europe is getting its first underwater restaurant https://t.co/oIKGsC0Kmo pic.twitter.com/7ffVcwvxdJ
— CNN International (@cnni) October 23, 2017
ノルウェーで、ヨーロッパ初の海中レストランができるようで。
それはそれでいいんですが、この記事を見ても分かるように、「なぜそのイメージ画像を選んだんだ!」とツッコミを入れたくなるんですが(笑
嵐の日に棺桶が海に突っ込んだみたいな雰囲気の写真で、いかにも「さあ、これから脱出不能な海底サバイバルパニック生活が始まるぞ!」みたいな絵面で(笑
いや、それはそれで、ネタとしてはいいのかもしれませんが(笑
「船を住居にする」のは、貧しいことか、ステータスか
ちなみに、この記事のイメージギャラリーを見ていると、「船を住居にする」というのも一つのスタイルですよね。
特にこういうビジョンを見せられると、「すごい! すてき!」とか感じたりもするんですが。
でも、普通の感覚では、「船を住居にする」とかいうのは、貧しい人がすることじゃないですか。
だいたいイメージするのが、河川敷の掘っ立て小屋だったり、川に停泊されたぼろっちい船だったりしますよね。
だけど、見方を変えるだけでその価値観が一転して、それがステータスになったりもするわけです。
すると、ものに価値があるのではなくて、ライフスタイルに価値があるんだと分かります。
パリでは「船で生活する」のがステータス
日本ではこういう船を住居にすることはありませんが、例えばフランスのパリでは、この「船で生活する」というのがすごいステータスになっているんですよ。
セーヌ川沿いに「ペニッシュ」と呼ばれる平底の安定する船を浮かべて、パリにいながらも川沿いの自然あふれる生活と、都会的な生活を両方味わえるわけです。
もちろん電気や水道なども引かれて、法律も整備されて、高い住民税とか停船料、そして住居用の船を作るお金がかかります。
それでも、多くの人がその停船所の空きを待っているほど、人気な状態だったりします。
今でこそそんな風にステータスですが、こういう「セーヌ川沿いに船で住む」っていうライフスタイルを最初に始めた人は、お金持ちではなかったように思います。
パリでは50年ぐらい前から陸上輸送が増えて、水上輸送が減りました。
それに釣れて、セーヌ川沿いの利用価値が落ちて、次第に運搬用の船も使われなくなったんですよね。
すると、陸上に家を買えないような人が、運搬用に使っていた船を住居用に改造して、そこで住むようになったわけです。
で、これは私の予想ですが、きっとそこに住んでいる人たちが、「ここを素晴らしい場所にしよう」と思ったんじゃないかと思います。
それで、工夫を重ねて住みやすくしたら、価値がなかった場所や生活スタイルに、大きな価値が生まれたんじゃないかと。
ものではなく、ライフスタイルに価値がある
こういう実例を見ると、何が価値になるのかなんて、分かりませんよね。
言うなれば、「ものに価値があるんじゃなくて、ライフスタイルに価値がある」と表現できるように思います。
私たちは、「高価なものが欲しい」って思うじゃないですか。
お金とか、高級な家とか、高級車とか、ブランドもののバッグとか、いろいろありますよね。
でも実はそれって、「ライフスタイルを実現するための道具」でしかないんですよね。
自分がどういう生き方をしたいのか、それを実現するための道具です。
そして、高級な家とか高級車は、言うなれば「陸上で暮らす人にとって、洗練されたライフスタイル」と言えるでしょう。
でも、海で暮らすライフスタイルを考えると、高級車とか馬車とか多くの家財道具とか、逆に邪魔ですよね。
海で暮らす場合は、海で暮らすなりの洗練された道具が必要になるわけで。
ならば、私たちは「今いる場所」とか、「追いやられた、自由にできる場所」で、新たなステータスを作ることもできるんだと分かります。
すなわち、工夫ができる人ほど、ライフスタイルも自分らしいスタイルを作って、それをステータスにできると。
社会で生きられなくても、新たな場所をステータスにすればいい
私たちクリエイタータイプの人って、なかなか社会では生きづらいじゃないですか。
高級な場所や安全な場所では生きられなかったり、郊外とか、田舎とか、山とか、海とかで生きなければならないかもしれません。
で、価値ある場所から追いやられて、「自分はセーヌ川沿いでしか住む場所がない」となってしまうわけです。
そして、多くの人が「自分は陸に住む場所を得られない、負け組だ」とか思ってしまうんですが。
でも、そこを自分なりに工夫して住み心地をよくすることで、自分でその生き方をステータスにできるんですよね。
その不便な場所で工夫をすることで、自分なりに住み心地のいい環境にするんだと。
すると、そのライフスタイル(生き方)のクオリティが仕上がるほど、多くの人が「私もそうして生きたい」とまねするようになります。
高価な家がなくても、高級車がなくても、高価な家財一式がなくても、価値は作り出せます。
例えば、今では「ノマド」とか「ミニマリスト」みたいな生き方にも価値が生まれた時代ですからね。
それは、「ものを持たない」という生き方でも、ライフスタイルの完成度を高めると、あこがれの存在になるわけです。
すると、「何に価値があるか」、「どんな価値あるものを得られるか」なんてどうでもよくなります。
大切なのは、「自分なりのライフスタイル(生き方)を仕上げることができるか」ということですね。
それが、私たちに価値を与えてくれるんだと。
まとめ
そういう風に、ライフスタイル次第で、いくらでも「価値がない」と言われるものに価値を作ることもできるわけです。
私からすると、そういうことができる人ほど格好いいように見えたりもします。
ならば、自分から、あえて不便な方向に向かって行くこともできます。
そして、そこを工夫で便利に充実させることで、より価値を高めるわけですね。
すると、完成度が高いほど、「私もそうしたい」という人が出てきて、それがステータスになると。
クリエイタータイプの人にとっては、そういう生き方も楽しいんじゃないかな、と思ったりもします。
ということで今日は、「ものに価値があるのではなくて、ライフスタイルに価値がある」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。