今日は、豊かさについてお話ししてみましょう。
「競争をせずに、満足しつつ豊かになるための、基本的な考え方」というお話です。
競争に勝てない人が、豊かになる考え方
私はこのブログでよく「競争をやめて、分かち合うことで豊かになろう」って言ってますよね。
競争に勝つことで豊かになることもできますが、私たちは(少なくとも私は)その競争に勝てないわけです。
「じゃあ、競争に勝てないような実力のない人は、豊かになれないのか?」
……というと、そうではないんですよ。
私はメジャー(商業流通)に作品を乗せたことはありませんし、ゲームだって本だって開発技術だって、すべて同人やインディーズ、個人出版や個人販売など、自前でこなしてきました。
それでも十分に豊かになって、自由に大好きなことができるんですよ。
今回はその「争わずに、満足しつつ豊かになる」という基本的な考え方について、お話ししてみましょう。
「満足しつつ豊かになる」場合のアプローチ
私が提案する、「満足しつつ豊かになる」というアプローチは、次のような流れになります。
- 今の豊かさに気づき、満足する
- →自分なりの「余る豊かさ」が出てくる
- →余った豊かさを分かち合う
- →お金や豊かさが「ついてくる」
まずは、今自分が持っている豊かさに気づくことで、満足できる分野に気づきます。
必ずしも、すべてのジャンルで満足している必要はありません。
でも、「これだけは満足できているな」という領域を見つけます。
人は欠けている部分ばかりに目がいきがちなんですが、意識的に「あるもの」を見るようになると、意外と多くの豊かさがあることに気づきます。
すると、部分的にでも「余る豊かさ」が出てくるわけです。
その余った豊かさを、他の人たちに分かち合うわけですね。
ものでもいいですし、知識や知恵、ノウハウでも何でもかまいません。
それを、自分よりも持っていない人たちに、惜しみなく与えてゆきます。
この自分なりの「余る豊かさ」を突き詰めていくと、ほとんどの場合でそれは「自分が好きでできること」や「大好きなこと」ばかりになります。
で、その「余る豊かさ」を最大限活用しようとすると、「自分の好きなこと」を組み合わせるようになります。
すると、活動する分野は自然と、「世の中に自分しかできない、ニッチな分野」に絞り込まれます。
そうして「余った豊かさ」を分かち合っていると、相手から感謝されるようになります。
足りていない相手が満たされてゆくので、すっごい喜ばれるんですよ。
だから、与えるだけで嬉しいですし、やりがいがあるんですよ。
また、自分にとっては「余っていて、無駄なもの」を与えているので、惜しみなく与えたとしても、自分が持つ価値が減ることはありません。
でも相手にとっては「足りないもの」が得られるので、価値が増えることになります。
すると相手は、「お金を払ってでも欲しい」と思うようになります。
こうして、お金や豊かさが「後からついてくる」ことになります。
これが、「満足の世界」で生きる人の考え方です。
「競争で勝つ」場合のアプローチ
次に、「競争で勝つ」場合のアプローチを見てみましょう。
- 満たされない欠乏意識(ハングリー精神)を原動力にして、豊かさを得ようとする
- →「足りない」ものを満たそうとする
- →周囲にあるものを手に入れることで、足りないものを満たそうとする
- →周囲にあるものは限られているので、奪い合いになる
- →結果、競争になる(一部の勝者と、圧倒的多数の敗者が生まれる)
競争で勝つには、欠乏感(ハングリー精神)が必要になります。
というのも、彼らは「自分の足りないものを満たそう」としているからですね。
すでにあるものに目を向けるのではなくて、足りないものに目を向けると。
すると、それを満たすために、それを「外部から得よう」とします。
でも、外部にある資源や豊かさというのは、有限です。
しかも、そういう資源や豊かさというのはほとんどの場合で、「他人が所有している、価値あるもの」です。
だから、「価値あるもの」を手に入れるためには、何らかの対価が必要となります。
多くの場合、その対価は「お金」や「自分の時間」、「労働力」などの、普遍的な価値を相手に渡さなければなりません。
普遍的な価値というのは、ほとんどの場合、「誰にでも大切なもの」です。
すなわち、「自分にとって価値あるもの」を渡さなければ、欲しいものが手に入らないわけですね。
こうして、「欲しいものを得るためには、自分の持つ価値を減らさなければならない」という流れができてしまいます。
で、そういう「外部にある豊かさ」というのは限られているので、ほとんどの場合で、奪い合いになります。
たとえばお金が欲しい場合、巨額のお金を得られる地位や名誉、地域や場所などは、競争で勝たなければ得られなくなります。
勝者は力を持つため、多くの影響力を持っています。
だから、この「勝者」を「メジャー」と呼びます。
また、そのメジャーでの勝者も、いつ寝首をかかれるか分かりません。
そのため、たとえランキングトップやチャンピオンだったとしても、安心していられることは一瞬たりともありません。
だから、勝者はできるだけ自分の既得権益を確保しようと、他者を排除しようとし始めます。
そして、必要でない豊かさや、消費しきれない豊かさでも確保しておこうとします。
こうして一部の人が価値を独占することで、「一部の勝者と、圧倒的多数の敗者」という構図ができてしまいます。
たとえ分かち合えば全員に行き渡るほどの豊かさがあったとしても、勝者が必要以上に抱え込むことで、足りなくなります。
これが、「競争の世界」で考える人のアプローチです。
「競争の世界」と「満足の世界」は相容れない
「競争の世界」で勝つ考え方と、「満足の世界」で豊かさを得る考え方は、全く相容れないという性質があります。
競争の世界で勝つには、満足を捨てる必要があります。
たとえば多くの人が、「満足したらそれで終わり」、「満足したら、向上心はなくなる」と言いますが、それは競争の世界で生きているからです。
競争の世界で「分かち合い」などと甘っちょろいことを言っている人は、すぐに落ちてゆくでしょう。
そして、もし現状に満足してしまうと、競争心はなくなってしまいます。
だから、競争の世界で勝ち続けるには、ずっと競争心(満たされない心)を持ち続ける必要があります。
一方で満足の世界で豊かになるには、欠乏意識(ハングリー精神)や競争意識を捨てる必要があります。
欠乏意識では、「与えられるもの」が見つからないので、価値を作り出せません。
ですが、自分が満足したら、競争心はなくなり、次は「相手を喜ばせたい」という思いが出てきます。
そして相手や周囲を喜ばせてゆくことで、自分がさらに豊かになる、という流れです。
私たちは、どちらの世界で豊かになることもできます。
競争で勝てるなら、競争に勝つといいでしょう。
競争で勝てない弱者ならば、満足の世界で生きるといいでしょう。
ただし、両者を両立させることはできません。
はっきりとどちらの道に進むかを決めないと、どちらつかずになり、どちらもうまくいかなくなるでしょう。
まとめ
これが、「満足で生きる世界」と「競争で勝つ世界」の間にある、考え方の違いですね。
最初に満足ありきで動いてゆくのか、それとも最初に欠乏感ありきで動いてゆくのか。
私の感覚では、世の中で8~9割ぐらいの人は、欠乏感で生きています。
一方で、1~2割の人は、満足の世界で、分かち合いながら生きているように思います。
私は競争で勝てなかったから、満足の世界で豊かになった、ということです。
運がいいこともあり、おかげさまで24時間遊んで暮らせる自由と、楽しく生きるには十分なお金や豊かさを得ることができました。
私も昔は競争の世界で生きていましたが、「満足の世界」の方が、幸福感は多く得られるように思います。
分かち合いの世界では、競争がないので、見下すことも見下されることもありません。
ただただ分かち合って、豊かになる、ということです。
この世界に入ることができると、使命感を感じられるような楽しいことをして、ファンに心から喜んでもらえて、相手を信頼できて、しかも十分な額のお金や豊かさがやってきます。
なので、こういう分かち合いの方が肌に合っている人は、「今、満たされる」ことに集中してみるといいかと思います。
愚痴とか足りないことを言うのではなくて、あるものに感謝するといいでしょう。
すると、分かち合いで十分な豊かさを得られるようになるでしょう。
お金も豊かさも、「後からついてくる」ということですね。
ってことで、今日は「競争をせずに、満足しつつ豊かになるための、基本的な考え方」というお話をしてみました。
今日はここまで~。