今日は、世の中の仕組みについてです。

「社会主義も自由主義も、根本は同じ」というお話をしてみましょう。

 

社会主義と自由主義

最近は世の中の仕組みについて学んでいるんですが、いろいろ発見があって面白かったりします。

その一つに、「社会主義も自由主義も、根本は同じ」ということがあったりします。

 

以前も少しお話ししましたが、社会主義と自由主義ってありますよね。

社会主義というのは、「社会全体の公平感や平等を大切にしましょうよ」という価値観です。

で、社会には様々なものがあるので、「どの社会を守るのか」で、さらに統治体制が変わります。

その中でも、統治者社会を大切にすることを「封建主義」、労働者階級を大切にすることを「共産主義」と言います。

 

一方で自由主義というのは、「個人が自由に幸福を追い求められるようにしましょうよ」という価値観です。

そして、これも「どういう自由を守るのか」でいろいろあるんですが、「自由にお金を使える」ということを、「資本主義」と言います。

 

社会主義も自由主義、根本は同じ

で、こういう社会主義と自由主義って、対立しているように見えるじゃないですか。

片方は「周囲や社会のことも考えろ!」と言って、もう片方は「私の自由にさせてよ!」と言うんですから。

 

でもこの両者って、実はどっちも根本は同じで、「自分を中心とした社会から、豊かにしたい」ということなんですよね。

ある意味、コインの裏表の関係でしかない、ということです。

これが分かると、「どっちも似たようなものだ」と分かって、両者を受け入れやすくなるかと思います。

 

内部に含む矛盾に気づこう

なら、なぜ社会主義と自由主義は同じと言えるのか。

それは、社会主義の言う「平等」にも、自由主義の言う「自由」にも、その内部には相反する矛盾があるからです。

 

例えば社会主義って、「平等にしろ!」って言うじゃないですか。

共産主義の場合、「経営者ばかりが利益を取るな! 労働者階級にも回せ! 貧しい人がたくさんいるんだ!」と、平等を訴えているわけです。

 

でも、ここでもう少し広い視野から見てみましょう。

すると、実は共産主義って、「労働者階級だけ守れればいい。その他の奴らはどうでもいい」という、不平等があると分かります。

 

共産主義者の持つ矛盾

例えば「経営者ばかりが利益を取るな!」と言っても、世の中にはもっと貧しい、1日1ドルぐらいで生きている層もいるわけじゃないですか。

もし「本当の平等」を求めるなら、「経営者は、私たち労働者にではなく、1日1ドルで過ごしている人に分かち合え!」と言うのが筋です

だけど彼ら共産主義者は、そういう「自分よりも貧しい、別の社会の人たち」を無視して、排斥しています。

そうして、「自分たちの社会だけよければいい」と、利益を要求しているに過ぎません。

 

それって、広い視野から見ると、全然平等でも何でもありませんよね。

ただ単に、「自分たちの社会がよければいい。自分たち社会の幸福だけを追い求めればいい」というだけなんですから。

 

そしてそれは、自由主義的な考え方であると分かります。

「他者のことを考えない個人」が「他社会のことを考えない、徒党を組んだ個人たち(社会)」になったに過ぎません。

つまり、「社会主義は、自由主義を内包している」と言えます。

 

自由主義に含まれる矛盾

一方で、自由主義も同じで、内部に社会主義的な考え方を内包しています

自由主義の場合、「自由にさせろ!」と言いますよね。

 

だけど、じゃあなぜ自由にしたいのかというと、「自分が豊かになりたいし、自分の属する社会を豊かにしたいから」という思いがあります。

そもそも、「なぜ大いに豊かになりたいのか」というと、「自分と、自分が大切にする家族や仲間を優先して豊かにしたいから」です。

つまり、「自分にとって大切な人たち」から、順に助けていきたいわけです。

 

結局は「自分を中心とする身近な社会から」

例えばヨーロッパ諸国でも、「自由主義思想が強いから、会社でも残業をせずに、さっさと帰って家族の時間を大切にする」と言いますよね。

でも、それは視野を狭めて見ると、「会社という社会よりも、家庭という社会を重視する」という社会主義思想だと言えます。

まぁどの社会を優先するにしても、家庭なら子供を、会社では新入社員を守ったり育てることで、家庭や会社を安定させているわけです。

 

なら、これも結局、「自分を中心とした身近な社会から、豊かにしたい」ことだと言えます。

「自由な個人の幸福」を追い求めて実現すると、必ず「自分の属する社会に、自分の豊かさを分かち合う」という行動が生まれます。

これって、まさに社会主義ですよね。

つまり、「自由主義は、社会主義を内包している」と言えます。

 

だから、どちらも同じこと

だから結局のところ、広い視野から見れば、社会主義も自由主義も、同じことなんですよ。

社会主義の視野を広めれば自由主義になるし、自由主義の視野を狭めれば、その内部には社会主義があると。

 

言うなれば、それはどちらも「自分を中心とした社会から、豊かにしたい」というアプローチでしかありません。

それを、コインの表から見るか、裏から見るかの違いでしかない、ということです。

 

言うなれば、これは私が好きな、「陰と陽」の関係と同じです。

対立し合っているように見えるけど、互いに違いを内包していて、融合していると。

 

「陰と陽」の発想なら、現状から出やすくなる

じゃあなぜこういう「陰と陽」という発想がいいのかというと、現状から出やすくなるからですね。

より広い視野から見ることで、「ポジティブがいい! ネガティブはダメ!」みたいな、偏った思い込みから逃れられます。

 

すると、今の自分に合った手段を選べます。

「動きたいときは動けるし、休みたい時は休めばいい」みたいにできるわけです。

周囲の価値観に縛られずに、独自の道を進みたい人ほど、こういう「陰と陽」の考え方が合うように思います。

 

まとめ

なので、「社会主義も自由主義も、根源は同じものだ」と分かると、「社会主義者はダメだ!」とか、「資本主義はダメだ!」と言うこともなくなるかと思います。

実は同じコイン同士が、表と裏で向き合って、「お前は間違っている、俺のようになれ!」と言い争いをしているなんて、不毛でしょ(笑

こういう無駄な争いが、世の中には結構あるんですよ。

 

でも、こういう「陰と陽」の発想で物事をとらえられるようになると、怒りは消えます。

なら、「自分から利益を得ていいし、それが社会のためになる」と、相反する対立が消えます。

すると、「世の中はこれでいい。なら、私は自分に合うスタイルで豊かになって、助けたい人から助けよう」とできるかと思います。

 

ということで今日は、「社会主義も自由主義も、根本は同じ」というお話でした。

今日はここまで~。

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