今日は、ちょっと哲学的なお話をしてみましょう。

「スピリチュアルと科学の違い」という内容です。

 

スピリチュアルは、コミケと同じ

「スピリチュアル」って言葉は、よく使われてますよね。

まあ日常では使わないでしょうが、書店のそれ系本棚とかに行くと、スピリチュアル本なんか山ほどあるわけで。

で、一方で「科学」がありますよね。

今は科学的思考がもてはやされていると。

なので、スピリチュアルというだけで、なんか怪しい世界に見えるわけです。

 

でもこれって、言うなれば普通の人がコミケで同人誌を見る視線と同じです。

コミケ会場って、まともなオリジナルや二次創作もあれば、怪しいものまであって、もはや混沌世界じゃないですか。

スピリチュアルの世界もそれと同じで、まともなものからキワモノまで、コミケ並に混沌とした世界が広がっていると(笑

 

でも、同人誌が好きだったり、コミケでも売り手側になっていたりすると、さほど怖い世界ではありませんよね。

「ここが危ない」とか、「ここは安心」みたいなことを知っていれば、恐れることはないんですよ。

「女性向けのハードなBL島は、男性にとっては危ない」とか、「○○専のエリアは危ない」とか、いろいろあるでしょ(笑

ちゃんと分かっていれば、「東方の二次創作と、オリジナル同人ゲームだけ回ろう」みたいにできると。

 

スピリチュアルの世界もそれと同じで、奇抜なものもありますが、まともなものも多いですよ、ということです。

 

スピリチュアルと科学の違い

じゃあ、「結局、スピリチュアルっていったい何なの?」ってことだと思うんですよ。

このスピリチュアルの本質が分からないから、混沌として見えるんですよね。

 

ちなみに「科学」は分かりやすいですよね。

科学は簡単に言うと、「数値として計測できるものだけを信頼しよう。それ以外は、信頼しないようにしよう」って考え方をベースにした体系です。

なので、真偽を証明しやすいので、多くの人に受け入れられやすいと。

 

でも、数値として計測できないものは、科学の対象外になります。

だから、個人的な思考だとか、悩み、人間心理、幸福感だとかは、科学では入り込めない領域になります。

入り込むとするなら、「セロトニンの量が」とか、「ドーパミンやエンドルフィンの量が」みたいに、何かしらの数値に置き換えないといけないわけです。

特に「個人的な悩み」なんてものは、科学では最も扱いにくい分野になるものです。

 

スピリチュアルとは、価値観である

じゃあ、「スピリチュアル」とは何なのか、ということですね。

で、私なりに本質を言うと、「スピリチュアルとは、価値観である」と言えるでしょう。

 

価値観とは、「私はこういうことを重視する」という判断機構のことですね。

例えば木々や植物は、「動けなくても、大地から栄養を取り込むことで発展することを重視する」という価値観を持っています。

鳥は、「私は空を飛ぶことで、生き延びることを重視する」という価値観を持っています。

鳥の中でも、ペンギンは「私は極寒の南極で暮らすことで、発展することを重視しています」という価値観を持っていると。

カワセミは、「私は熱帯や暖かい場所で暮らすことを重視しています」としていると。

 

この価値観ってのは、科学が言う真偽の世界とは全く別次元のものですよね。

価値観は、真と偽では表現できないんですよ。

だって、「南極で寒くても天敵がいない場所で暮らすペンギンと、熱帯で暖かくても天敵だらけの場所で暮らすカワセミと、どちらが正しくて、どちらが間違っているのか」なんて、言えませんよね。

価値観は、科学ではサポートできない分野になります。

ある意味、「価値観の中に、一つの体系として科学が存在する」、とも言えます。

 

すべての生命は、スピリチュアルな(価値観を持つ)存在

で、生命はすべて、スピリチュアルな存在だと言えます。

スピリチュアルとは、価値観のことですからね。

価値観を持たないものは、生命ではない、とも言えます。

 

DNAなんてものは、まさに価値観の塊ですね。

例えば人間の場合、「私は頭と体、両腕、両足を持ち、この場所に配置することを重視します。そしてこうやって歩いて、食事をして、生きることを重視します」という、価値観を持っているわけです。

植物の場合、「私は幹と葉と根を持ち、こういう形で配置します。そしてこうやって栄養を作り出して、体はこうやって敵に食われないように守って、生きることを重視します」という価値観を持っていると。

その価値観に従って体を作ることで、人は人のように、植物は植物のように形作られて、生きていると。

 

で、この「価値観」というのは、すっごくシンプルに言うと「好き嫌い」です。

「私はこれが好き、私はこれが嫌い」というのが、価値観です。

ペンギンは熱帯よりも南極が好きで、カワセミは寒い場所よりも暖かい場所が好き、ということですね。

 

だから、スピリチュアルとは、「好き嫌いの体系」だと言えます。

そして、スピリチュアルの本質とは、「自分の好き嫌いを受け入れましょう。そしてそれに従って生きましょう」ということです。

そしてそれこそが、「生命として生きる」ということでもあります。

価値観に従うことこそが、生命なんですから。

 

だから、スピリチュアルの世界から言うと、どんな価値観を持っていてもいいんですよ。

価値観とは、科学で言う真偽の次元を超えたものなんですから。

「私はBLが好きなんだ!」ってのは、科学でどうこう言う次元ではありませんよね。

それは、「ペンギンとカワセミ、どちらが正しいのか」というのと同じように、科学以前の問題になります。

「私はこれが好き。こうやって生きたい」でいいんだと。

 

まとめ

そんな風に考えると、スピリチュアルが分かりやすくなるんじゃないかと思います。

スピリチュアルとは、価値観、すなわち「好き嫌い」だということですね。

そして、人だけでなく、すべての生命は、好き嫌いを持っています。

その好き嫌いに従って生きることで、発展してきた、ということですね。

 

スピリチュアルの立場から言うと、「好き嫌いは、出してもいいものですよ」、ということです。

まあ、もちろん「好き嫌いを出してはいけない」みたいな、ひねくれた(というか自己矛盾した)価値観もあるにはあるでしょうが(笑

どっちを選ぶかは、私たちの好き嫌いでいいんですよ。

で、「正しいか間違っているかなんて、価値観の前では無意味ですよ」、ということです。

 

よく、スピリチュアルな人たちが、「これは科学的に証明されていることです」とか言って自説に説得力を与えようとしていますよね。

でも、私はそんな必要はないように思います。

「私の論は、非科学的です。なぜなら、私は価値観を語っているからです。だから科学的に真であることは証明できません」

これでいいように思います。

 

私が語っているスピリチュアルのお話も、私なりの価値観を語っているので、非科学的です。

「好きだから」というだけで語っているようなものです。

で、私はこれでいいように思います。

そっちの方が、すっきりしてるでしょ(笑

 

スピリチュアルを語るのは、その程度の理由でいいように思います。

コミケでニッチな同人誌を売るのに、さして理由が必要ないのと同じです(笑

 

ってことで、今日は「スピリチュアルと科学の違い」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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