最近はスピリチュアルウィーク発動中なので、今日も精神的なお話をしてみましょう。
今日は「劣等感は持ち続けていい」、というお話です。
「心を癒やすこと」と「自殺」は似たようなものだと思うようになったり
いきなりすごい発言をしますが、私は最近、「心を癒やすこと」と「自殺」は似たようなものだと思うようになりました。
「正反対やん!」とかツッコミを入れられそうですが、そうとは思えないんですよね。
昨日触れましたが、心を癒やして劣等感をなくすと、我が消えるんですよ。
「我」というのは、「私」のことですからね。
だから、「心を癒やす」というのは、「『私』を消すこと」、すなわち「自殺をすること」と同義になる、ということです。
シンプルな理屈でしょ(笑
実際のところ、劣等感をなくす過程を考えてみると、これがしっくり来るかと思います。
劣等感を解決する、シンプルな方法
劣等感を解決するのは、実はとてもシンプルなメカニズムだったりします。
それは、次のようなワークをしてみるといいでしょう。
「あなたが世界で最も許せなくて、嫌いなタイプの人間をイメージしてみてください。
そしてその特徴をリストアップしてみてください」
で、次にちょっと衝撃的なことを言います。
「その『最も嫌いな人』が、あなたのコアであり、あなたの真の姿です」
だから、その「世界で最も許せなくて、嫌いなタイプ」の行動をして、受け入れることで、劣等感は癒やされます。
たとえば「時間にルーズな人が、世界で最も嫌い」という場合、「実は私は、時間にルーズな人なんだ。そして、時間にルーズでありたかったんだ」と受け入れることです。
他の例で言うと、「周囲の空気を読まずにわがままを言う人が、世界で最も嫌い」という場合、「実は私は、空気を読まずにわがままを言いたい人だったんだ」と受け入れることです。
この対局となる価値観を受け入れられて、そのように行動できれば、自分を許せて劣等感は消えます。
我を消すことが、劣等感を解決すること
これはすなわち、「我(自分の価値観)」を消すことでもあります。
それぞれに、「時間にルーズであってはならない」、「わがままを言ってはならない」という我(私)があるわけです。
で、正反対のことをすると、受け入れられますよね。
すると、我が消えて、劣等感が解決するという流れです。
実際に、「絶対に許せない」ということをやると、行動する前はすごい精神的な拒絶が起こるんですよ。
だって、その人にとっては「世界で最もやってはならないこと」だからですね。
そしてそれをすることは、「自分が自分である意義」を失うことでもあります。
この恐怖は、まさに自殺することと大差ないんですよ。
そんな「自分が自分であるための価値観」をすべて消していくと、自分が消えてしまって、我がなくなるわけです。
すると、「世の中何でもありだな」と思えるようになって、自由になれる、ということです。
我を消す必要なんかない
だから私は、最近は「我を消さなくても、別にかまわないな」と感じるようになりました。
劣等感は持ち続けていていいんだ、ということですね。
だいたい、自分を殺したくなんかないでしょ(笑
劣等感というものも、実は個性であったり、特徴の一つなんですよね。
「心を癒やす」というのは、そういう「心の個性を消すこと」でもあります。
だから、わざわざ劣等感を癒やさなくても、それはそれでいいように思います。
私が我を強く持っていた時代は、今の私から見れば苦しみに満ちた考え方でしたが、それはそれで一つの目標に向かって輝いていたように思います。
その我が、私をゲーム制作に導いたり、クリエイティブな楽しみを与えてくれたんですから。
だから、我や劣等感を持つことも、一つの大きな宝物です。
もちろん我がない状態で生きることも宝物ですし、人はどっちでも輝いている、ということです。
でもまあ、私はどっちかというと、劣等感を消して生きる方が好きですね。
豊かさを味わえて、気楽になれて、毎日を楽しく生きることができますし。
だから私は、そっちの道を選んだということです。
そして実際に、最近はめっきり悩むことから解放されていて、お気楽状態で、大好きなことだけをして生きているという(笑
これがいいことかそうでないことかは、人によって分かれることでしょう。
実際に、「そうはなりたくない」という人は多いんじゃないかと思います。
そういう人は、「今の自分」や「今の状態」を好きでいるので、それはそれでいいように感じます。
すなわち、現状というのは、自分が望んだ最高の状態だということです。
本当に変わりたいと思った場合、現状は自然と変わるように思います。
まとめ
だから、本気で変わりたいと思ったら、「世界で最も許せない人のタイプ」を描いて、それを受け入れて、行動してみるといいでしょう。
すると「私(我)」が消えて、心が癒やされて、自由になれます。
その代わり、「私(我)」を失いますよ、ということです。
まあ、我を失っても、昨日説明したように「神」や「天」と呼びたくなるようなものが自分の中にいると気づくので、手放しても得るものはあります。
今の私から見ると、我があろうがなかろうが、劣等感を持とうが持つまいが、人は輝いて生きているように見えます。
たとえ今悩んでいたり、苦しんでいたとしても、それは「もっとよくなりたい」という願いを強く持っている、ということですよね。
それってすごく前向きで、輝かしいことじゃないですか。
前向きに生きたくて、戦って、傷ついて、絶望して、それでもあきらめられないものを持つとか、最高の生き方ですよね。
なんか最近の私は、そんな風に「生き方って、何でもありだな」と感じるようになりました(笑
もうね、最近はこういうことを語りたくてしょうがないんですよ。
それで思い切って、こういう内容を語るようになったという。
ちょっとまじめな話になりましたが、今日は「劣等感は持ち続けていい」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。