今日は、考え方のお話です。
「力が弱い場合、弱者の戦略をとると、願いを実現しやすくなる」、というお話をしてみましょう。
弱いなら弱いなりの戦い方がある
私たちは、願いを実現したかったり、より豊かになりたいものですよね。
でも、なかなか願いが叶わなかったり、うまくいかなかったりするわけで。
で、Twitterとかで見ていても、よく「弱者の戦略を使えば、うまくいくのにな」と感じることが多くあるんですよ。
願いを実現するにはいろんな戦略や方法があるんですが、その一つに「弱者の戦略」があります。
力が弱い人には、力が弱いなりの戦い方があって、そうすることで願いを実現しやすくできます。
ということで今日は、そんな「弱者の戦略」についてお話ししてみましょう。
社会の弱者が使う、「弱者の戦略」とは
私なりの「弱者の戦略」をまとめると、次のような内容になります。
- 抜け道を探す、奇策を練る
- 多くの戦略を持ち、力ではなく知恵で戦う
- 使えるものは積極的に、徹底的に使う
- 花よりも実を取る(花は周囲に与える)
私がこういうスタイルを持つようになったのは、私が生まれ育った環境によるところが多いかと思います。
まぁよく語ることですが、私自身は3人兄弟の末っ子として生まれました。
イメージしたら分かるでしょうが、男の子って、下の子の面倒なんかあんまり見たがらないものですよね。
男兄弟って、何というか、とても殺伐した空気があるでしょ(笑
例えば漫画とかでも、女性向け作品に出てくる男兄弟は和やかな雰囲気かもしれませんが、男性向け作品の男兄弟って、たいていガチバトルするイメージじゃないですか(笑
だから、男兄弟の世界は、基本的にバトルなわけです。
で、私の場合、上の兄とは7歳、5歳も離れていたんですよ。
なので私の場合、自分の願いを実現しようとしても、主張しても通らないし、力では全くかなわないわけです。
家の中でも、おやつの争奪戦とか、見たいテレビ番組の争奪戦とか、まぁいろいろありますからね(笑
なら、そういう「力では絶対に勝てない強者」、「自分の力ではとうてい変えられない環境」に放り込まれた場合、それでもどうやって自分の願いを実現していくか、ということが問題になってきます。
正当性では変えられない場所では、王道は通じない
そういう世界では、正当性とか、正義とか、正しいこととか、論理とか、全く通用しません。
まぁそれは当然で、上が気に入らなければ、「うるさい」で殴られて終わりですからね。
周囲を変えようとしても、変えられない。
言うなればこれは、「世の中は変えられない」という、圧倒的な絶望感ですよね。
すると、「自分の正しさや正当性を主張することなんて、この場所ではとても愚かな行動だ」と早い段階で気がつくようになります。
そして、抜け道や奇策を重視するようになるわけですね。
「周囲は変えられないかもしれないけれども、必ず抜け道はあるはずだ」という発想です。
だいたい、「王道の戦い方」というのは、力勝負だったり、我慢比べだったりするわけです。
でも、私たちのような弱者の場合、そういう力比べでは完全に不利になりますからね。
そういう場合、相手の欲求を見抜ければ、「これを与えれば要求を通しやすくなる」とか分かります。
そういう風に、欲求を主張するよりも先に、周囲の特性を把握することが重要になると。
力よりも、知恵を重視するスタイル
なら、自然と力よりも、知恵を重視するようになります。
で、知恵とは何かというと、「使える戦略を多く持つこと」じゃないかと思います。
周囲の流れや状況に応じて、最適な戦略を使うと。
だから、流れや未来、人間心理を読む必要があるし、いろんなアプローチや方法論を持っておくことが大切になります。
このブログでもいろんなアプローチを紹介していますが、いろんなアプローチを受け入れられるから、柔軟に対応できるようになるんですよね。
もちろん最初ほど、いわゆる「こざかしい(小賢しい)」知恵を使うかもしれません。
でも、実際にやってみると分かりますが、こざかしい知恵って、すぐに通用しなくなります。
だから、より大きな知恵を重視するようになるわけです。
よく、「こざかしい知恵だ」と知恵を使ったことを馬鹿にする人がいますが、私はこざかしい知恵を使うのはいいことだと思います。
それで通用しないことを見抜けるからこそ、大智(だいち)へとつながるんですから。
逆を言うと、詐欺師とかで表面的な悪知恵を使う人は、その人が未だ大智へと至っていないからですね。
ならば、悪知恵を止めさせるよりも、もっと知恵を育てる方が効果的だと分かります。
豊かさはお金だけでなく、時間や健康、充実感、人間関係、安心感、自尊心、そういう「見えない資産」があることを知ることです。
そして、それらを使って豊かさを増やすこともできると。
すると、長期的に考えれば、人をだまして奪うよりも、人を成功させて感謝をもらう方が、圧倒的に費用対効果がいいと分かります。
使えるものは、積極的に、徹底的に使うスタイル
そういう風に知恵で戦うようになると、身近にあるものから「使えるもの」が見つかるようになります。
なら、そういう使えるものを、積極的に、そして徹底的に使うことです。
言うなれば、強いもの、能力があるもの、素質があるもの、それらをどんどん使っていくことです。
そこで一番足を引っ張りやすいのが、「みすぼらしいものだから」、「周囲から笑われるから」という理由で使わないことですね。
例えばゴミ捨て場にいいものが落ちていたら、それを喜んで拾えるかどうか、ということです。
「ゴミを拾うなんて恥ずかしい」とか、「乞食みたいだ」とか、そういう思いを手放せるかどうか、ですよね。
言うなればこれは、人材登用だと思えばいいでしょう。
「自分の国家に役立つ人材を登用したいけれども、その人が低い身分の出身だった」、「貧民街の出身だった」、「貴族ではない人だった」みたいなものです。
そういう「有能だけれども、ステータスがない」という素材を、積極登用できるかどうかです。
ステータスよりも、能力を重視するスタイル
強者であるほど、そういうステータスを重視します。
ですが、弱者の場合、使えるものは徹底的に使うことを重視する方がいいように思います。
貧民出身だろうが、農奴だろうが、ハンディキャップを背負っていようが、「ゴミ」だと呼ばれていようが、使えるものは積極的に登用すると。
そして、能力を発揮するのであれば、出身なんか関係なく、どんどん重要な場所で使っていくわけです。
すると、そういう「有用なもの」が活躍するほど、私たちの環境や人生が向上するのは当然ですよね。
これは、私たちがすることでも同じです。
私たちには、やりたいことがあるものです。
でも、たいていの場合、それは周囲からは、「そんなジャンルのものを作るなんて、恥ずかしい」とか、「そんなものは、劣った身分の人がすることだ」みたいに笑われることかもしれません。
それでも「自分の人生にとって役立つことだ」、「これは意味があることだ」と分かれば、それを積極的に自分の人生に採用できるかどうかです。
言うなれば、今はまだステータスがないものを、自力でステータスにしていく、という発想ですね。
それは私からすると、全く愚かなことではないように思います。
知恵があるからこそ、ステータスがないけれども有用なものを使えるんだと。
そしてそういう魅力のある人の元には、有用な人材とか豊かさが押し寄せてくるんじゃないかと思います。
「花よりも実を取る」というスタイル
すると、自然と「花よりも実を取る」というスタイルになります。
ある意味、花は周囲に分かち合って、自分は着実に実を取る、ということですね。
強者や強者にあこがれる人ほど、花やステータスが大好きですからね。
ある意味、弱者の戦略とは、「リアリストになること」だと言えるかもしれません。
夢を持つ人ほど、そしてその実現を強く願う人ほど、現実に向き合う必要があります。
ならば、夢を見つつも、やることは徹底的に現実的なことをするわけです。
まとめ
そんな風に、弱者には「弱者の戦略」というものがあります。
この戦略が分かると、自分が弱い立場になったときでも、挽回しやすくなります。
再度、私なりの「弱者の戦略」をまとめると、次のような内容になります。
- 抜け道を探す、奇策を練る
- 多くの戦略を持ち、力ではなく知恵で戦う
- 使えるものは積極的に、徹底的に使う
- 花よりも実を取る(花は周囲に与える)
孤立無援でも、周囲との力差があったとしても、自分が無力だったとしても、自分の欲求を満たしながら生きる方法はあります。
私はこういう「知恵を使った豊かさ作り」が、好みのスタイルだったりします。
これは、周囲を変えようとしなくても、工夫次第で着実に豊かさを増やせていけるので、弱者の人ほどおすすめです。
ということで今日は、「力が弱い場合、弱者の戦略をとると、願いを実現しやすくなる」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。