今日は、都会から田舎暮らしに移行した人の事例紹介です。
「森の中で暮らす」というのもできるんだな、という例をご紹介してみましょう。
「森の中で暮らす」という生活スタイル
まぁ以前から、「負動産はこれからどんどん安くなるよ」というお話とか、瀬戸内の島に移住した人(島で古民家カフェの例)、横須賀で古民家暮らしをし始めた人とか、ご紹介しましたよね。
どこでも収益を上げるビジネススタイルを作ることができれば、「住む場所」はどこでもよくなります。
なら、生活コストが安い場所であったり、静かで落ち着いた場所とか、自分に合った場所で暮らせるようになるわけです。
で、今日は、「森の中で暮らす」という人がいたので、ご紹介。
漫画の密度が高いのでちょっと読みにくいところがありますが、簡単に言うと、東京で暮らしていた夫婦+犬一匹が、伊豆の僻地で暮らすようになったお話です。
このお方はイラストレーターの方なんですが、元々田舎暮らしに興味があったようで。
で、東北の震災と、親族からのマイナス相続が重なって、いろいろ人生のトラブルがあったわけです。
そういうマイナス相続で苦しんで、この方は「絶対にローンはしない」とか決意しているんですが。
それをきっかけに、本格的に移住先を探し始めて、2年ぐらいかけて今の家を見つけて購入、住むようになった……という流れです。
「山の中+車」という選択肢
で、この方が選んだスタイルが、「山の中+車」という形だったと。
伊豆の山中なので、車で駅まで出れば、午後からでも東京に行って用事を済ませて帰ってこられる、という距離感ですね。
それで、適度に仕事をこなしつつ、生活コストを下げて、自分のペースで生きる、というスタイルです。
車を選択肢に入れると、だいぶ住む場所の可能性が広がりますよね。
車があれば、この人のように、本当の山の中で暮らすこともできるわけで。
その上、それなりに大規模に野菜を作れるし、家も大規模に手を加えたりできて。
まぁその分、車の維持コストがかかるんですが、軽自動車なら比較的安いですし、その辺は自分の好みに合わせるのでいいように思います。
「マイペースで生きられる」という価値
クリエイタータイプの人にとって、「マイペースで生きられる」という価値は高いんじゃないかと思います。
私はもうずっと田舎で暮らしていますが、最近になってようやく、少しずつ「マイペースに生きること」の価値が分かってきたように思います。
以前は、何かに追い立てられるかのように「成功しなきゃいけない」、「餓死しちゃいけない」、「お金を稼がなきゃいけない」と思い込んでいたんですよ。
でも、今は独立時よりも現金資産は少ない状態ですが、「全体の豊かさは上がっているな」と感じています。
「豊かさはお金だけでなく、他にもあるんだな」と、実感で分かってきたところですね。
何より、その追い立てられるような「成功しなきゃいけない」という気持ちから解放されてきたのが、一番大きいようにも思います。
じゃあ、なぜ私がそんな風に、落ち着けるようになったのか。
それが、そういう「お前は何かを生み出さなければ価値はない」と圧迫するような、そんな人や組織と縁を切ったからじゃないかと思います。
まぁもちろん完全に自由になっているわけではありませんが、そういう「自分を疲れさせるばかりの人たち」から距離を取り始めたんですよ。
当然、彼らから得られる支援は失いますが、それをクリエイティビティーで埋め合わせる、という形です。
すると、距離を取れば取るほど落ち着けてきて、「ああ、これがマイペースに生きるってことか」と、その価値が感じられるようになったわけです。
「静かでいられる自由」の価値
この「静かでいられる自由」っていうのは、クリエイタータイプの人がとても求める心地よさのように思います。
例えば、スマホやPCの電源を切って、社会やSNSから完全に自由になります。
で、夕暮れ時にお酒を少し飲みながら、暮れゆく空でも眺めつつ、ゆったりと時間の流れを味わったり。
今の季節だと、キンモクセイの香りを味わいながら、ぼんやりと秋の虫の音を楽しんだり。
これからの季節だと、温かい鍋をつつきつつ、ほんわかと「おいしいな」と味わったり。
そういう落ち着いた時間っていうのは、周囲に「何もない」から味わえるんですよ。
すなわち、「あるのが当たり前の環境にいる」か、「ないのが当たり前の環境にいるか」で、感覚が変わるわけです。
そして、あるのが当たり前の環境にいると、「ない」ことが許せなくなります。
一方でないのが当たり前の環境にいると、「ある」ことに感謝できるようになります。
「ある」のが当たり前の環境、「ない」が当たり前の環境
ある意味、社会では「ある」、「持っている」のが当たり前って感覚ですよね。
例えば私たちの能力とか、生まれついての境遇でも、「どうして自分にだけ、これが与えられなかったんだ」と感じるじゃないですか。
自分に能力があれば、自分に才能があれば、自分に美しさがあれば、自分に力があれば、理解してくれる人がいれば。
せめて、幸せな家庭に生まれていれば。
社会では、あるのが当たり前だからこそ、そんな風に「与えられなかったこと」に苦しむようになるわけです。
でも、社会から離れた場所だと、「ない」、「持っていない」のが当たり前になるんですよ。
それは当然で、田舎とか、森の中、瀬戸内の島とかだと、何もありませんからね(笑
それだけ「ない」のが当たり前の場所に身を置くと、「ある」ことに感謝できるようになります。
夕暮れ時にお酒を楽しめる、虫の音を楽しめる、温かい鍋を味わうことができる。
そういう一つ一つのことが、「いいな」と感じられるわけです。
それはある意味、「雑音がないから」と言えるかもしれません。
私たちの周囲には、比較ばかりがあふれているように思います。
だから、少しその「比較社会」から距離を取ってみましょうよ、と。
すると、比較することの苦しみから解放されて、「ない」ということが気にならなくなります。
感謝は精神力で作るのではなく、環境が生んでくれる
言い換えると、感謝は精神力で作るのではなく、環境が生んでくれるものじゃないかと思います。
実際に、スマホとかネットをしばらくやめてみるといいでしょう。
最初はすごく不安になりますが、しばらくすると、なんか人生の時間が増えたように感じますから。
それは、今まで「雑音の中で忙しくするのがいい」、「暇な時間は無駄で、もったいない」と思っていたのが、「実はその雑音って、価値はあんまりなかったな」と気づくようなものです。
これは、精神力ではないように思います。
どれぐらい社会との距離感を取るか、という環境的な要素が重要になるように感じます。
実際に、もし私がそういう雑音社会に戻ったら、やっぱり「どうして自分だけ、これが得られなかったんだ」と苦しみ始めることでしょう。
それは、私の能力というよりも、環境の問題なんですよね。
まとめ
そういうこともあって、「こういうスタイルで暮らすこともできるんだ」という実例を知るのは、結構参考になるように思います。
山の中で暮らすこともできて、だからこそ豊かになれることもあると。
特に雑音を嫌うクリエイタータイプの人ほど、そういう「マイペースで生きられる」という価値は高いんじゃないかと思います。
「ない」からこそ得られる豊かさもあるんだと。
目に見えない豊かさを大切にする人ほど、こういうスタイルも合うように思います。
ということで今日は、「森の中で暮らす」というのもできるんだな、という例をご紹介してみました。
今日はここまで~。
余談
……にしても、以前の横須賀の人にしても、今回のイラストレーターさんにしても、「賃貸」ではなく「購入」をしているんですよね。
すると、自然と「撤退戦略は大丈夫かな?」と、思わないでもなかったりします。
まぁ、今回の方も相当調査しているようなので、山の中の物件でも大丈夫なんだろうとは思いますが。
何度も触れてますが、これから負動産はさらに落ちていくので、田舎の物件ほど購入は怖くなります。
ミイラ取りがミイラにならないように、「少しの間、ここに腰掛けよう」程度のノリで、賃貸にする方がいいかなと思います。
そういう軽いライフスタイルの方が、安心できてよさそうな予感。