今日は、精神的なお話をしてみましょうか。
「あえてみじめな方向に行く」、という考え方のお話です。
大好きなことをして、頑張らずに、しかもすごい人になる方法
私たちは競争に勝ちたかったり、人よりも秀でる存在になりたいものですよね。
当然私にもそういう見栄はあって、「すごい人になりたい!」っていう思いはあるんですよ。
一方で私は、「頑張る」とか「苦労する」というのが大の苦手なんですよね。
そして、「大好きなことだけをして生きていきたい」と思っていると。
楽に競争に勝てたら最高なんですが、なかなかそうはいかないと(笑
ここで多くの人が、「もっと頑張って力をつける」、「もっと苦労してのし上がる」という道を選ぶんですが、私はちょっと違う道を選んでいます。
もうちょいクリエイティブな道を選ぶ、ということですね。
それによって、「大好きなことをして、頑張らずに、しかもすごい人になる」という一挙両得な状態が得られているんですよ。
じゃあその一挙両得な道とはどういう道なのかというと、それが「あえてみじめな方向に行く」ということです。
レベルの高い場へ向かうか、レベルの低い場へ向かうか
ちょっと考えてみましょう。
「賞賛される方向に行く」というのは、ほとんどの場合、「自分のレベルよりも高い場に向かう」ということです。
そこにいる人たちは、自分よりもレベルが高い人たちです。
だから、必然的に、周囲の中でも弱者として埋没してしまうことになります。
言うなれば、中学生の野球部員が高校の野球部に所属するようなものです。
3年という体格差も大きいので、ほとんどの場合、その中学生は高校の3年間をずっと補欠で過ごすでしょう。
一方で、「あえてみじめな方向に行く」という考え方があります。
これは、「今の自分よりも、レベルの低い場に向かう」ということです。
そこにいる人たちは、自分よりもレベルが低い人たちです。
だから、必然的に、周囲の中でも目立って、勝てるようになります。
言うなれば、中学生の野球部員が、小学生の野球チームに属するようなものですね。
こうなると、もはや「活躍して当たり前」になるんですよ。
レベルの高い場へ向かうと、入った瞬間は賞賛されても、後はずっと見下されて生きるようになります。
中学生が高校の野球部に入った場合、賞賛されるのは「入ったばかりの時」だけです。
後はずーっと球拾いみたいな雑用ばかりをさせられて、うだつの上がらない状態になると。
一方で、レベルの低い方に向かうと、入った瞬間は見下されますが、後はずっと賞賛されるようになります。
中学生が小学生の野球チームに入った場合、当然のように周囲から「あいつ、競争に勝てずに脱落した」と見下されます。
言うなれば、プロ野球選手が、四国の独立リーグでプレイし始めるようなものですね。
でも、見下されるのは「入ったばかりの時」だけです。
チームでは常に四番のエースになって、チームを勝利に導く重要な役割を担うでしょう。
そして、「やっぱりあの人は頼りになるな」と賞賛されるようになります。
「レベルの低い方を選ぶ」というアプローチのメリット
私たちは、このどちらを選ぶこともできるわけです。
で、私の場合、日常的に後者の「レベルの低い方を選ぶ」ということをしています。
すると、周囲は自分よりもレベルが低い人たちばかり、すなわち「自分より劣っている人たち」、「自分よりもできない人たち」になります。
だったら、すぐにでも活躍できて、しかも「頼りになるなぁ」と賞賛されると。
目立つことができるので、野球部で言う「試合に出る」のと同じように、商品も売れるようになります。
こうして私は、「超マイナーな場で見下されるような小さな市場だけど、その場でナンバーワンになって、賞賛されて、ファンからの支えも得られて、大好きなことをして自由に生きる」ということが実現できているわけです。
入り口では、ちょびっとだけ痛い思いをしますが、その中に入ってしまいさえすれば、後は楽園です。
その「最初のちょっとした痛み」を受け入れられるかどうかかな、と思ったりもします。
まあ、「現状を出る」ってのは、だいたいそういうものですよね。
現状を出ると、ほぼ間違いなく一時的にマイナスになります。
私たちの習慣は、「今」に最適化されていますからね。
でも、どんどん現状を出ると、新たな道を発見できて、確実に未来はよくなっていきます。
多くの人が、そんな「一時的なマイナス」を拒絶して、現状維持をし続けているわけですが。
「あえてそうする」と思えば、動きやすくなる
でもそこで、「あえてみじめな道を選ぶ」と考えると、動きやすくなるように思います。
「あえてそうする」ですからね。
「マイナスになると分かっていて、そっちに行く」ということです。
周囲からは馬鹿だと言われて、自分でも馬鹿だと思うかもしれません。
でも、「あえてみじめで遠回りな道を選ぶ」って、大好きなことでしかできないんですよね。
本当に大好きな道なら、そんな「あえて」を受け入れられるんですよ。
人生は一度きりですからね。
「人生」というくくりで考えると、一時的な軽蔑なんか、どうでもよくなります。
「人生は勝ち負けじゃない、満足したかどうかだ」と分かります。
だから、どんどん行動できるようになるわけですね。
新たな場では、周囲は自分よりもできない人たちばかりなので、どんどん自分の能力や豊かさを分かち合えるようになります。
自分が豊かな面や、恵まれている面ばかりが目に付くようになるので、精神的にも豊かさを感じられます。
そして周囲の人たちに喜んでもらいながら、充実して生きられるわけですね。
だから私は、「人より優れるための制作」じゃなくて、「人に分かち合うための制作」ができているんじゃないかと思います。
まとめ
なので、人生がうまくいかない場合、「あえてみじめな道を選ぶ」という考え方をしてみるのもいいでしょう。
最初のちょっとした痛みを乗り越えれば、驚くほどの豊かさと安らぎが手に入ります。
そうすることで、「大好きなことをして、頑張らずに、しかもすごい人になる」という一挙両得な状態が得られる、ということですね。
これが経験で分かってくると、「みじめな道」こそが「真の意味での成功する道だ」と感じられるようになります。
マザー・テレサやガンジーも、キング牧師も、きっと似たような思いで動いたんじゃないかな、と思ったりもします。
私はずっと「賞賛されたい」という気持ちで動いていましたが、最近になって何となく、彼らのそんな気持ちが分かってきたような気もします。
ということで、今日は「あえてみじめな道を選ぶ」というお話をしてみました。
今日はここまで~。