今日も精神的なお話です。
「正反対もまた正しい」と分かると、現状から出やすくなる、というお話をしてみましょう。
どうやって現状から出るか
このブログでもよく触れていますが、「現状から出たい」ってこと、ありますよね。
今のストレスな会社を辞めたかったり、もっと収益を作れるようにしたかったり、「人生を通してやりたいこと」を実現したかったり。
でも、なかなか現状から出られずに、頑張っても成果が出ないことが多くて。
そういう場合、「正反対もまた正しい」と分かると、現状から出る手段を見つけやすいように思います。
罵倒言葉や嘲笑言葉で考えてみる
これは、「罵倒言葉」とか、「嘲笑言葉」を考えると、分かりやすいかと思います。
罵倒言葉とか嘲笑言葉って、常識では「劣った手段」になるものです。
それは当然で、相手に「(明にも暗にも)お前は劣っている」と言うから罵倒や嘲笑が成り立つわけで。
でも実は、「その正反対も、また正しい」になるものなんですよ。
例えば、「逃げてやんの、弱虫!」みたいな罵倒・嘲笑言葉があったとしましょうか。
その場合、「逃げないのが強い」、「今までと同じことを続ける方が強い」という常識があることを意味します。
なら、その正反対を直視して、あえてそれを使えば、現状から出やすくなるわけです。
例えば「逃げる」を真剣に考えて、解釈を裏返してみると、「逃げる=手段を変える」ですからね。
なら、「逃げることを手段に組み込んで、いろんな手段を準備して、使えそうなものを片っ端から試してみる」というのも、ひとつの方法だと分かります。
私自身、そういう「とにかく手段を多く持つ。その中からいいものを選ぶ」ということを重視しています。
そして「今の手段を続ける」というのは、その中のひとつの手段でしかないと。
いろんな「正反対」を直視する
他にも、例えば「根性なし!」とか「臆病者! こんなこともできないのか!」、「馬鹿野郎!」、「愚か者!」とかあるかもしれません。
ならここで、「根性なし」や「臆病者」を真剣に直視して、解釈を裏返してみると、「根性なし=リスクを重視する」だと分かります。
なら、正反対を堂々と進んで、「低リスクにする方法を考えて、実現する」とできると、それもひとつの可能性やビジネスになりそうだと分かります。
「馬鹿野郎」とか「愚か者」も同じです。
それらを裏返すと、「愚か=常識的なメリットとは反対のことをすること」です。
すると、あえて愚かな道を選ぶことで、別の生き方や可能性を見つけられるわけです。
そういう風に、実は結構、「正反対もまた正しい」になりやすいんですよ。
だいたい、今までの方法論でうまくいかないから、行き詰まっているんですよね。
なら、行き詰まりを解決するのは、対極の方法だったり、ねじれた方法であることが多いものです。
「陰と陽」で正反対を考える
最近の私は「陰と陽」にはまっていますが、まさにこれがその「正反対」を考えるのにいい枠組みだろうと思います。
「陽(ポジティブ、明るさ、積極性)が素晴らしい」というのが世間の常識でしょう。
でも、「陰(ネガティブ、暗さ、消極性)が素晴らしい」というのも、実は同じほど正しくなりやすいわけです。
「どちらが素晴らしい」ではなく、「どちらも同じように素晴らしい」という感覚です。
例えば陽は、「勝利するもの」ともとらえられるかもしれません。
なら、陰は「勝利を生まないもの」と言えるかもしれません。
実際、安眠枕やベッドとか、癒やしとか、健康食品とか、医療とか治療とか、いろんな「陰」のビジネスが成り立ってますよね。
特に医療行為とか、誰かを助けることなんて、勝ち負けではありません。
もちろん、陰陽では「陰の中にも、わずかに陽はある」ので、どちらがどうだとは一概に言えるものではないんですが。
なので、「陽で生きよう」として合わなければ、「陰に生きるのもいいじゃない」とする方が、自分に合うこともあると。
陰も陽も、どちらがいいとは言えないわけです。
すなわち、「正反対もまた正しい」ということです。
陰と陽で、「より広い視野」を見る
この「正反対もまた正しい」と理解するには、「より広い視野」が必要になります。
というのも、罵倒言葉や嘲笑言葉というのは、「陽の中」という、ひとつの社会でしか通用しないからですね。
「陽ばかりが素晴らしい」という世界だから、罵倒や嘲笑が通じるわけです。
実際に、例えば「男性(陽)と女性(陰)が一緒にいる人たち全員」に向かって、「お前らの社会、男らしくないんでやんの!」と嘲笑しても、無意味でしょ(笑
「いや、そりゃ女性もいるから、当然だろう」みたいに。
他にも、「仕事(陽)と睡眠(陰)、両方を大切にしよう」とできている医者に向かって、「8時間睡眠してやんの! 俺なんか3時間だぜ!」と嘲笑しても、無意味だと分かります。
それは、医者からすると、「ああ、こいつは短命に終わるな。じきに分かるだろう」と分かるからで。
もっと言うと、「お金(陽)も大切だけど、遊びとか自由、生きること(陰)も大切にしたい」とできている人に、「年収それだけかよ!」と嘲笑しても、無意味です。
それは、「生きる意味を考えて、やりたいことをしておかないと、たぶんあいつは歳を取ってから、もしくは死ぬ前になって後悔するだろうな」と分かるからで。
罵倒や嘲笑に引っかからなくなる
だから、広い視野を持てている人は、罵倒や嘲笑に引っかからなくなります。
それは、「正反対もまた正しい」と分かっているからですね。
そして、その「罵倒や嘲笑をする人」は、「自分の外部の人」とは限りません。
「自分の内側に植え付けられてしまった別の価値観」が、自分に「こうしなきゃ、ダメ人間だぞ。人間失格だぞ」みたいに語ることもあるわけです。
それを克服できるのは、広い視野、すなわち「正反対もまた正しい」ととらえる習慣かなと思います。
で、「陰と陽を併せ持っていい」とできたとき、冷静になれるように思います。
すなわち、「ダメな自分とか、他者から影響される自分もいていい」とできて、自分という個が確立するのかなと。
「完全な個ではないと受け入れることで、個ができる」みたいに、矛盾して感じるかもしれませんが、そういう現象が「陰と陽」なんですよね。
まとめ
そういう風に、「正反対もまた正しい」ととらえると、現状を打開しやすくなるように思います。
その「混沌でいい。完全でなくていい」という状態が、完全性を生む、というイメージです。
これは、「完全性を目指して苦しんでいる人」にはいい考え方になりそうに思います。
で、これが分かると「こうしなきゃ」という強迫観念からも逃れられて、より自由に手段を選べて、現状から出やすくなるように思います。
ということで今日は、「正反対もまた正しい」と分かると、現状から出やすくなる、というお話をしてみました。
今日はここまで~。