今日も精神的なお話をしてみましょう。

「転売ヤー」への怒りを静められるかもしれない、ひとつの考え方を語ってみましょう。

 

いや、最初に言っておくと、あまり怒りは静められないと思うので、しょーもないお話だと思ってください(笑

 

転売ヤーって腹立つ!

「転売ヤー」って、いますよね。

これは文字通り「転売する人」を意味するんですが、特に悪質なものとなると、品薄になったものを買い占めて、世の中に出さずにため込んで、高値で売ると。

コロナウイルスが起きた時のマスクもそうでしたし、ゲーム機、トイレットペーパー、除菌用アルコールとか、いろいろありましたよね。

だから、必要としている人になかなか行き届かず、困らせてしまっているわけなんですが。

 

だいたい、私たちから見ると、すっごい腹が立つじゃないですか。

困っている人を食い物にして、荒稼ぎしているわけで。

だから、「ぶっ○せ!(伏せ字)」とか、過激な発言をしたくなったりもするんですが(笑

 

なので、今日はそんな悪質転売ヤーに対して、どうすれば怒りを静められるかという、ひとつの発想を書いてみようかと思います。

 

繰り返しますが、たぶん怒りは収まらないので、時間を無駄にしたくない人は以下はスルーしてください(笑

そして、「こういう社会にすべきだ」というような、社会的なテーマは扱いません。

あくまで「自分の怒りを収めるには、どう考えるか」という、「自分の考え方」という次元に限ってのお話です。

 

「転売ヤーは、市場原理に従っている」という問題

先述したように、転売ヤーって腹が立ちますよね。

ただその一方で、自由経済原理から見ると、「安く買って、高く売っているんだ。何か文句あるのか」みたいに言えるわけです。

「より高くお金を出せる人は、より必要としている人だと言える。だからそういう人から売っているから、市場原理に従っている」ということです。

 

時々、「転売ヤーは、市場原理に従っていない。奴らは人の家の水道管をわざと切って、水を売っている。だから悪質な詐欺だ」と言う反論もあるんですよ。

でも、それは少し外しているように感じます。

確かに品薄な状態で買い占めるからそう見えるんですが、それは「その後も安定した供給が続くこと」が前提になっているんですよね。

 

ダムで考えると分かりやすい

これは、ダムで考えると分かりやすいでしょう。

上流から水が流れてきているんですが、途中にダムがあって、水をせき止めます。

このダムが、転売ヤーというか、言うなれば「小売り業者」です。

 

で、「何もせずとも水量があるのに、それをわざとせき止めて、下流の人たちを干上がらせて、そして水を高く売る」というのが、悪質になるものだと言えるでしょう。

これが、「人の家の水道管をわざと切って、水を売る」というのと同義です。

確かにこれは、「ぶっ○せ!」と言いたくなりますよね(笑

 

ただ、「何もしなくても、どのみちみんなに行き届く水の量は、足りなくなる」という場合、状況は変わります

じゃあそれでダムをなくせばどうなるかというと、ダムより下流の人たちは、上流側の人から安全のために、普段より多めに水を多めに確保しようとします。

なら、結局のところ、同じように「上流に住んでいる人ほど有利、最下流の人ほど水が得られない」という状態になってしまいます。

 

「どう水を管理するのか」という問題

だから、「何もしなければ、どのみち足りない」という状況においては、「どう水を管理するのか」というのが主な問題になると分かります

すなわち、「国や行政が一括で管理するのか、ひとりひとりが危機に対応する能力を準備しておくか」という対立になります。

 

なら、「国が管理して、弱者から水を得られるように再配分すべきだ」というのが、社会主義的な考え方です。

これは、国民にとっては、とても楽ですよね。

何もせずとも「偉い人たち」がなんとかしてくれるので、「なんとかしろ!」と言えばいいだけですからね。

ただ、それは「偉い人たち」に権力を持たせるし、監視も必要になるので、これを強めると、中国のように監視・統制社会になります。

 

一方で自由主義が好むのは、「ひとりひとりの能力で、サバイバルをしよう」というスタイルです。

「悪い奴はいつでも、どんな状況でもいる。水に限らず、エネルギーでも、食料でも、空気でも、金融でも、商売でも、どんな分野でも、悪い奴はいる」

「だからたとえ面倒でも、生き残りたいなら、自分でサバイバルできるように知識や技術を身につけておけ」

「国は頼りにならない。国に限らず、周囲に『自分を支配させるため』の力や権力を与えるな」

そういう発想です。

 

国ごとに違うスタイル

例えばアメリカとかオランダなんて移民が集まってできた国家なので、「危機対応は、普段から個人で学んで、備えておけばいい」という傾向が強い地域です。

スイスなんて「戦争が多い強国に囲まれた、小さな永世中立国」ですからね。

なのでとばっちりも受けやすいので、国民ひとりひとりがどう生き抜くのか、そういう備えをしている国です。

だから、水や食料も普段から多めに確保しておくし、「いざとなれば、国から出てでも生き残る」という考え方です。

 

日本は制度的には自由主義側ですが、マインド的には世界でトップクラスの社会主義側なので、「国に管理させろ!」という側が多いように感じます。

いやまぁ、ここ一年ちょいで、アメリカやフランスだけでなく、世界中でそういう社会主義側に振れているんですが。

それはそれでいいので、そういうスタイルが好きな人は、社会をよくするように頑張ってもらえればと思います。

ただこの記事では、そういう社会的なことは扱いません。

 

で、ここでは、自由主義側のスタイルで、さらに「個人でどう怒りを収めるか」という精神的な部分に絞って、お話をしてみようかと思います。

 

「自分ひとりひとりがダムだ」と思う

自由主義側で考えるなら、「自分ひとりひとりがダムだ」と思うことですね。

「自分の手元にあるものを、うまく管理できるようになっておきましょう」ということです。

 

「上流の一つのダム」に頼るのではなくて、「自分の中にもダムを造っておいて、それで自分を満たす」というスタイルです。

なら、上流のダムからせき止められても、ある程度は自分の中にもダムの水があるので、耐えられます。

 

で、悪意を持ってダムをせき止める人がいたとしても、その人に頼らなくてもすみます。

すると、結局「悪意をもってせき止めたけど、無駄になった」と、悪い奴らが大損をするだけになります。

 

ダムをせき止めるのにも限界がある

というのも、ダムだってせき止めるのにも限界はありますからね。

製造されてゆくマスクやトイレットペーパーを、無限に買い占め続けることはできません。

だから、転売ヤーが長く買い占めるほど、悪い奴らは大損をして破滅します。

 

ゲーム機みたいな新商品でも同じです。

「新作がすぐには遊べなくても、十分に遊べるものがあるように、他のゲームを準備しておこう」

そういう風に、「幸せという水を保つダム」を確保しておくと。

 

自由主義国にある、生きるためのスタイル

ほら、例えばアメリカとか欧米の国は、転職率が高かったり、会社よりも家族を大切にするじゃないですか。

それは、「いつ仕事がなくなっても、生きられるように」、「ひとつの収入源に頼り切らないように」ということで、身軽に仕事を移動できるからだろうと思います。

そして、「上流の大きなダムよりも、自分たちのダムを大切にする」ということで、家族を大切にするんだろうと思います。

 

で、各家庭には「パントリー」みたいな、「(暴動や戦争が起きても)しばらくは生きられる食料庫」という概念があったり。

聖書を通して、そういう内容の教えを学んだり。

それとか、例えばユダヤ教の人たちは、各家庭で「収入の何割をこういうことに使いなさい」みたいに、お金の使い方や投資の仕方を教えたり。

「戦争で逃げる時は、金やダイヤを持ちなさい」みたいに、国からの逃げ方だとか、「生き残り方」を教えているわけですね。

 

「自分たちがうまく管理する」発想

そういう風に、「自分たちがうまく管理して生き残れば、悪い奴らは長くは栄えない」という発想です。

もし悪い奴らが栄えるような、ブラックな会社や環境にいるならば、早めに脱出できるように準備しておきましょう、ということです。

 

そして、逆に自分のダムをうまく活用できれば、「水が足りない場合でも、少しずつ流して下流の人たちを助けられる」とできます。

だから、「うまく蓄えて、より弱い人たちに寄付する」みたいな習慣もあると。

すなわち、「人を助けることも、国や権力者に頼らずに、自分でやる」ということですね。

 

まとめ

そう考えると、転売ヤーに対する怒りも抑えられるかもしれません。

「転売ヤーには頼らずにすむように、準備しておく」ということです。

 

いや、人によっては、これぐらいの考え方では無理かもしれませんが(笑

でもまぁ、自由が好きな人は、こういうのが合いそうに思います。

 

ということで今日は、「転売ヤー」への怒りを静められるかもしれない、ひとつの考え方を語ってみました。

今日はここまで~。

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