今日は、精神的なお話です。
「好きなことだけができない」という原因を考えてみることにしましょう。
「好きなことだけが、なぜかできない」という問題
先日、こういう質問をいただいたのでご紹介。
お仕事で書くような好きでも嫌いでもない文章、あるいは「それなりに好き」なことはスラスラ書けるのに、本当に好きなことだけは手が震えて書けないというのはどういうわけなのでしょうか。
好きなことをライフワークにするとは、このようなよく分からない苦痛と一生向き合うことなのか、あるいはどこかで克服することなのでしょうか。
簡単に言うと、「好きなことだけが、なぜかできない」という状態ですね。
こういうことって、よくあると思うんですよ。
好きなことをしようとしても、なぜか続けられなかったり、モチベーションが上がらなかったり。
好きなことだけができない、三つの要因
じゃあ、どういう原因があるのか、ということです。
こういうのは、どういう部分が本質なのか分かりにくいので、適当にアタリをつけて考えるといいでしょう。
すなわち、そういう「要所」を見極めて攻略していく、という発想ですね。
そこで思いつくのが、次の三つになります。
- 時が熟していない場合: 「書き始めてもすぐに止まる」という現象が起こる
- 精神的な枷(かせ)があって動けない場合: 「一つも完成できない」、もしくは「完成しても公開できない」という現象が起こる
- 成長して、卒業するタイミングに来ている場合: 「飽きてきた」という現象が起こる
それじゃあ、以下で詳しく説明してみましょう。
「時が熟していない」という場合
一番よくあるのが、「時が熟していない」という場合です。
これは、「作業を始めても、すぐに止まる」という場合に起こります。
何かをするのには、「動き始めるちょうどいいタイミング」というものがあります。
そういうタイミングであれば、一度動き始めたらどんどんひらめきの連鎖が起こって、動き続けられるようになります。
もしくは、まだ動き始めていなかったとしても、強烈な「作りたい!」という欲求が起きて、動き始めることができるんですよ。
ほら、よくあるでしょ、「アイデアが降ってきた!」みたいな瞬間が。
そういう場合って、雷にでも打たれたかのように、「これだー!」って多くのことが一つにつながったりするじゃないですか。
それとか、そういう「一つにつながった感」がある時って、動き始めたら次々とアイデアが浮かびますよね。
「あれもしたい、これもしたい」、「そうか、これはこうなっているのか」と、連鎖的に気づきが得られたりとか。
そういう瞬間は、強烈に「作りたい!」と感じるようになります。
2年間作れなかったものの例
例えば私の場合、今回の近日リリースの新作本でも、コンセプト自体は2年ぐらい前にできていたんですよ。
それで、ちょうど去年ぐらいにも一度、「このコンセプトを本にしたいな」と思って、目次をリストアップしていたわけです。
でも、全然書けそうになかったんですよね。
それは、機が熟してなかったからのように思います。
で、そこからずっと1年ほど、世の中を眺めつつ、「この人は内向型タイプだ」とか、「外向型ほどこう考えるよな」と経験値を積んでいきました。
すると、なんか「そろそろ書けそう」と分かってくるんですよ。
そして実際に目次を書くと、そこからどんどん新たなアイデアがつながって、1年前とは比較にならないほど良質な理論ができたわけです。
なので、「書き始めてもすぐに止まる」という場合、この「時が熟していない」というものになるかもしれません。
その場合、しばらくインプットを続けていたら、「全てがつながる瞬間」が来るかと思います。
それが、動き始めるタイミングになるかと思います。
「精神的な枷があって動けない」という場合
次によくあるのが、「精神的な枷(かせ)があって動けない」ということですね。
これは、「作品を一つも完成できない」、もしくは「完成しても一般公開できない」という現象を伴うことが多くあります。
ここで重要になるのが、「他者からの評価」です。
実はクリエイティブなことって、他者からの評価を気にしてしまうと、できなくなるんですよ。
というのも、「クリエイティブになる」というのは、「周囲から未だ評価されていないものに価値を作り出す」ことですからね。
「他者から評価されたい」と思うと、必ず「既に評価されている価値」を作ろうとしてしまいます。
そういう風に評価を得ようとするほど、クリエイティビティーが発揮できなくなります。
それは、既に敷かれたレールを走るだけで、競争になってしまうからですね。
すると新たな気づきも失われるので、好奇心を満たすこともできずに、モチベーションも落ちていきます。
「評価を得たい」と思うから、身の丈を越えて作ろうとしてしまう
で、そういう「評価を得たい」というプレッシャーにやられると、必ず自分の力量よりも大きなものを作ろうとしてしまいます。
それは、「私はこの程度ではダメだ」と感じるから、「今の自分以上の自分にならなきゃいけない」と思い込んでしまうからですね。
だから、全然作品を完成できなくなるわけです。
もし作品を完成できたとしても、自分の中でプロの作品と比べてしまうので、なかなか一般公開できなくなります。
もし公開したとしても、すぐに反響が得られなければ、「こんな作品には価値がない」と思い込んで、お蔵入りさせてしまいます。
言い換えると、自分の作品に対する愛着がない、とも表現できるかもしれません。
「未だ評価されていないもの」を作ること
この場合、「他者から未だ評価されていないもの」に目を向ける必要があります。
いわゆる、周囲や社会からは「そんなのゴミだ」と言われるけれども、自分は「ラブ!」と感じるものを作る、ということですね。
実はそういうものこそが、「周囲は理解していないけど、自分は価値が分かっている」という、自分の得意分野になります。
そういう「未だ評価されていないもの」を作る場合、自分の力量以上を作ろうとはしなくなります。
というのも、自分にとってもだえるぐらい好きなことであれば、「これって最高じゃあぁぁあ゛あ゛あ゛」と満足できるだけ作って、それを一つの形にまとめることができますからね。
そういう場合、必ず小さいところ(コアとなる部分)から作ろうとするので、きりのいい場所で切り上げることができます。
だから、完成することができるわけですね。
例えば絵が好きな場合、「1枚のラフ絵を描く」のは多くの人ができるかと思います。
健全な人は、それで十分なら、そこで「満足した」と感じて、「私の大好きなキャラの絵です」として公開できます。
というのも、そこには自分にできる限りの愛が詰まっているからですね。
ラフだろうが着色していようが、愛があるには変わりません。
でも、そこに「今の自分以上の自分にならなきゃいけない」とか恐怖を感じると、必ずより上のレベルの人と比較してしまい、「こんなラフ程度じゃダメだ」と感じます。
で、「漫画にしなきゃいけない」とか、「イラスト集を作らなきゃいけない」、「背景も描けるようにならなきゃいけない」とか思うようになってしまうと。
「しなきゃいけない」とか、そこには愛がありませんよね。
だから、仕上げられなくなってしまうわけです。
「成長して、卒業するタイミングに来ている」という場合
最後に、「成長して、卒業するタイミングに来ている」という場合もあります。
これはもう単純に、「飽きてきた」ということです。
今まで好きだったとしても、多くのことで飽きは来ます。
いくら小学生の頃に鬼ごっこが好きだったとしても、人は成長するにつれて、もっと高度な遊びを欲するようになりますからね。
すると、飽きるのは悪いことではなくて、どんどん次のレベルに上がっていけばいいだけです。
まとめ
こういう現象を踏まえた上で、どういう部分が問題なのかを考えてみるのもいいでしょう。
「時が熟していない」か、「精神的な枷がある」か、「卒業するタイミング」か、そのあたりかなと思います。
ちなみに質問者さんの場合、「時が熟していない」がメインじゃないかな、と予想したりもします。
というのも、質問者さん自身が、以前にモチベーション高く作られていた時は、やっぱり「一つにつながった感」があったかと思います。
今はまだ、その瞬間が来ていないだけかなと。
それに、質問者さんは同人作品も結構作れているので、精神的な枷も少ないかと思います。
また、北欧言語の壁をものともせずに、外国の文化を学ぶのも大好きなようなので、「卒業するタイミング」も違うかと予測しています。
こういう風に、要所を絞り込んで攻めてみる、という発想ですね。
すると、解決のきっかけになるかもしれません。
ということで今日は、「好きなことだけができない」という原因を考えてみました。
今日はここまで~。