今日は、精神的なお話です。
愛されて育った人は、「引きこもれる場所」を持っている、という考え方のお話です。
愛されて育った人は、「引きこもれる場所」を持っている
精神的に疲れる時とか、エネルギーが欲しくなる時って、ありますよね。
ここ数ヶ月私はショックな出来事とか食物アレルギーとかで疲れる出来事が続いて、今はエネルギーを回復することを重視しています。
その過程で、ただ「在る」だけを目標にする生き方を始めたんですが、これがとても効果があって、続けてるんですよ。
これは、高い目標を持つのではなくて、「ただ存在するだけでいい」と目標を下げるという方法になります。
するとせわしない世間から切り離された感覚になって、それが安心とエネルギーをもたらしてくれる、というものなんですが。
で、この生き方をしていると、愛されて育った人の感覚が分かってきました。
それが今日の本題でもある、愛されて育った人は、「引きこもれる場所」を持っている、ということですね。
「人は引きこもれるから、引きこもらなくてすむ」という考え方
普通、「引きこもり」っていうのは、ネガティブなイメージを持つじゃないですか。
「健康な人は引きこもらない」、「不健康な人が引きこもる」みたいな。
でも実際はそうではなくて、「人は引きこもれるから、引きこもらなくてすむ」、「引きこもれない人が、引きこもりたがるようになる」ということなんですよ。
それはなぜかというと、安心できる場所があるから、人は打って出ることができるわけです。
先日も語りましたが、例えば冒険でも、「この場所に帰れば、少なくとも安心」という拠点があるから、少し不安な「外の世界」でも打って出ることができます。
そういう「絶対に安全で引きこもれる場所」を多く持つ人ほど、どんどん外の厳しい世界に冒険できるわけですね。
私たちの現実でも同じで、愛されて育った人というのは、「家」という心理的に安心できる絶対領域があります。
そこに帰れば、世間の厳しさや苦しさから解放されて、ほっとできる場所ですね。
「あの家に帰れば、自分を愛してくれる家族がいるから安心だ」という場所があるから、厳しい社会でも打って出ることができるわけです。
引きこもりになる人というのは、「引きこもる場所」を取り上げられた人
一方で、愛されずに育った人は、家でも安心できません。
だから、家に帰ってもほっとできずに、常に厳しさや苦しさにさらされている状態になります。
すると人は、「ほっとできる、絶対に安全な領域が欲しい」と思うようになります。
だから人は、引きこもりたくなるわけですね。
「引きこもり」が悪いのではなくて、引きこもりになる人というのは、「引きこもる場所」を取り上げられた人なんだと。
だから部屋に閉じこもって、安全な領域を確保しようとするわけですね。
「引きこもってはダメだ」は、「寝てはいけない」と強要しているのと同じ
でも一方で、例えば親とか教師は、強引に「引きこもってはダメだ」、「どうして引きこもるの? 出てきなさい」と、その部屋にまで侵入しようとするわけです。
するとその子は唯一の安全領域すら奪われて、ほっとできる場所が奪われてしまいます。
そして、休まることができなくなり、「気を抜いたり休んではいけない」、「強くならなきゃいけない」、「もっと頑張らなきゃいけない」と思うようになります。
でも、当然頑張り続けるにも限度があるので、それで力を出せなくなると、うつになったり無気力になったりするわけですね。
最後には、「これ以上は頑張れない」となって、自殺してしまうと。
この「引きこもってはダメだ」という教えは、言うなれば「寝てはいけない」と人に強要しているのと同じです。
家で安らげる場所がある人は、家でぐっすり眠れるから、翌日にも元気よく活動できるわけです。
でも、家で安らげる場所を奪われた人は、家でも眠れません。
だから翌日にも元気が出せずに、眠たくて、「他の人のように元気よく活動できない自分は、ダメな奴だ」と思い込むようになって、自信を失ってゆくわけですね。
まとめ
なので、疲れていたり、「頑張らなきゃいけない」と感じている場合、むしろ積極的に引きこもる方がいいように思います。
引きこもることは、いいことですよと。
引きこもらない元気な人たちほど、実は引きこもっているんですよと。
ただ、彼らはそれを自覚していないだけです。
そして、引きこもれる場所を奪われたからこそ、「疲れた」とか「でも頑張らなきゃ」、「強くならなきゃいけない」と感じるようになるわけです。
だから、その「引きこもれる絶対領域」がない限り、どんなに頑張って力をつけても、お金を稼いでも、稼ぐ能力を身につけても、地位や名誉を手に入れても、不安や疲れが消えることはありません。
根本的原因は、「ここに立ち返れば、安心できる」という絶対領域を作れていないことです。
それは、物理的にも、精神的にも、ということですね。
私自身、私が生まれ育った家庭環境は、「ほっとできる」という場所とは言いがたい場所でした。
だから幼い頃からずっと頑張っていたんですが、ついに限界が来たと。
そしてその対策をし始めて、ようやく「ああ、愛されて育った人は、『引きこもれる場所』を持ってるんだな」と分かった感じです。
そういうこともあって、疲れた場合、積極的に引きこもってみるといいかと思います。
すると、自然と安らげて、元気が出てくるかと思います。
ということで、今日は愛されて育った人は、「引きこもれる場所」を持っている、という考え方のお話をしてみました。
くぅっ、短く書こうとしても、どうしてもできない!(笑
今回はここまで~。