今日は、精神的なお話です。
個性が強い人ほど、早めに「自分には合わない」の見切りをつけるのでもよさそう、というお話です。
「とりあえず3年続けてみろ」の教え
会社に就職したときとかで、よく「何も言わずに3年続けてみろ、すると面白さが分かってくる」とか言われるじゃないですか。
で、Twitterを見ていると、「そんなことはないだろう」という反論もそれなりにあって。
ただ、私が過去に見た人や本の中では、「実際に3年ぐらいやってみて、分かってきた」という人も確かにいたんですよね。
じゃあ、これに対してどう考えるか、ということです。
それで私が提案するのは、個性が強い人ほど、早めに「自分には合わない」の見切りをつけるのでもよさそう、ということです。
個性がない人ほど、「とりあえず3年」が合う
これは私の感覚ですが、特に好きなことがない人とか、個性がない人ほど、「とりあえず3年」が合うように感じます。
そして、実際にそう言っている人も、そういう個性がないタイプのように感じます。
それは、個性とか自分軸がないから、社会の歯車にうまく合うことで、初めて自分の形を作れるんですよね。
そういう個性がないタイプの人ほど、ある程度同じ場所に居続けて、長期的に学んでなじむことで、居場所や役割を得ることができます。
でも、そういう人がころころと居場所を移すと、何も学べないし、どこにも根ざすことができないと。
だから「嫌でも3年は続けろ」と言う教えが合うし、実際に個性がないからこそ続けることで、「自分にはこれができるようになった」と自信を得られるわけです。
個性が強い人は、早めに見切りをつければいい
一方で、好きなことがある人とか個性が強い人みたいに、強い自分軸を持つ人ほど、見切りをつける期間は短くてよさそうに感じます。
それは、個性が枠に合わければ、どうあがいても合わないからですね。
それに、個性は強みになりうるので、「個性をつぶして枠に当てはめる」よりも、「先に枠を選んで、その後で継続的に強みを発揮できる」方がいいと分かります。
もちろん、「コツが分かれば、楽しくなる」っていう要素はあるんですよ。
ただ、楽しさとストレスは違うんですよね。
いくら楽しくても、ストレスはストレスなんですから(笑
例えば私は、以前にスノボをやっていて、コツをつかめるとすごく楽しかったんですよ。
でも、それを毎日やれるかというと、そうではないと。
面白いんですが、「まぁ1シーズンに数回でいいな」というイメージです。
もし私がスノボを毎日続けることを強制されると、たぶん相当しんどくなるんじゃないかと思います。
「無知のストレス」と「継続のストレス」
別の見方をすると、ストレスには「無知のストレス」と「継続のストレス」があります。
無知のストレスは、無知によって起きるもので、続けると減っていきます。
一方で継続のストレスは、継続によって起きるもので、続けると増えていきます。
そして、誰もが最初は、「無知のストレスが大きい」なんですよね。
ただし、個性のない人ほど社会の歯車になじみやすいので、「継続のストレスが小さい」と言えます。
逆に、個性の強い人ほど、合わない歯車に割り当てられてしまった場合、「継続のストレスが大きい」となります。
本当に慣れるものは、短期間でもストレスが減る
なら、個性の強い人ほど、早めに見切りをつけるのでいいように感じます。
実際に、慣れてストレスが低くなるものは、3年とは言わず、1年でも半年でも続けた段階で、「ストレスが減っている」と分かります。
でも、それでも減っていない場合は、「継続のストレスがかかっている」ということですね。
だいたい、「個性をつぶすストレス」は苦しいし、そういうのは3ヶ月と言わなくても「あ、これは苦しい場所だ」と分かるものです。
個性の強い人なら、この押しつぶされる感覚が分かるでしょ。
でも、個性のない人、すなわち歯車になれる人は、この「個性が押しつぶされる感覚」が全く理解できないんですよ。
だから、「3年続けてみろ」と言うんじゃないかと思います。
まとめ
そう考えると、個性が強い人ほど、早めに見切りをつけるのでもいいように感じます。
そして、「個性が強い人は、先にいろんな枠を試す方が、より多くの得るものがありそう」という予想です。
そしていい枠を見つけるなり作るなりして、そこから長年続けるのでも、いいように感じます。
実際に私とか、もうかなり早めに「合わないものは合わない」で逃げますからね(笑
そう考えると、個性の強い人ほど、「合わないものは合わない」で、さっさと逃げていいように思います。
すると、より楽に自分の個性を発揮できるかもしれません。
ということで今日は、個性が強い人ほど、早めに「自分には合わない」の見切りをつけるのでもよさそう、というお話でした。
今日はここまで~。