今日も精神的なお話です。

「スタートラインが遠くても、ゴールまでの道のりを楽むのもいい」というお話です。

 

「ゴール近くで生まれた人が、うらやましい」という気持ち

とあるところで、こういうツイートがあったんですよ。

それは、「自分は毒となる親の下で生まれて、人よりもはるかにスタートラインが遠い場所で生まれた」みたいな。

「だから苦しいし、悔しくて、いい環境の下で生まれた人がうらやましくて涙が出る」と。

 

確かに、こういうことってありますよね。

毒となる親の下で生まれると、生まれた時から自分のままで生きることを許されずに、無理矢理いびつな形にされてしまうわけです。

 

ゆがんだまま生きるか、矯正するか

そういう場合、「ゆがんだまま、だましだまし生きる」か「こじれを治す」かのどちらかになるかと思います。

「ゆがんだまま、だましだまし生きる」は、短期的には楽ですが、長期的には苦しくなりやすくて。

一方で「こじれを治す」は、短期的には苦しいんですが、長期的には楽になりやすいと。

どちらにしても、しんどいのは変わらないと。

 

で、例えばこじれを治すするのにも、それなりに時間がかかるものです。

自分を見つめて、どこがおかしいのかをひとつひとつ見つけていって、長時間をかけて少しずつ「いびつな形がなくなる」という流れになるわけで。

すなわち、「長時間かけて、ようやく毒を排出しきって、普通の人のようになる」ということですね。

 

「普通の人」への負の感情をどうするか

そういう「幼い頃に毒を受けた」みたいな場合、やっぱり裕福だったり「普通」だったりする人を見ると、いろんな感情がわき出るかと思います。

嫉妬とか、怒りとか、哀しみとか、いろいろあるかと思います。

 

それで理解してくれる人とか、助けてくれる人がいれば、それはそれでいいんですよ。

ただ、そういう人を求めても、誰も助けてくれないこともあって。

 

じゃあそういう場合にどう考えればいいのか、という精神的なお話です。

で、「スタートラインが遠くても、ゴールまでの道のりを楽むのもいいですよね」というお話です。

 

「宝」と「宝探し」、どっちが好きなのか

突き詰めて考えると、私たちは「宝」が好きなのか、「宝探し」が好きなのか、ということだろうと思います。

で、特に好奇心を持つようなタイプは、「宝」よりも「宝探し」の方が好きなんじゃないかな、と思います。

これが分かると、「あ、ゴールに遠いか近いかはどうでもいいんだ」と分かって、自分なりに進めるかと思います。

 

例えば「漫画家になりたい」という人がいたとしましょうか。

で、念願の夢が叶って、漫画家になれたとしましょう。

すると、それで人生が完全にハッピーになって、満足するかというと、たいていがそうではないと思うんですよ。

 

夢が叶った後も、いろんな夢や願いが出てくるものです。

「もっと喜んでもらいたいな」とか、「もっと売れたいな」、「もっといろんなことを楽しみたいな」、「もっとおいしいものを食べたいな」みたいに。

 

実現しても、それで満足しきることはまれ

他の例で言うと、子供が「自転車に乗れたら最高だな」と思っても、もう少し成長すると「バイクに乗れたら」、「車に乗れたら」とか思うようになるわけです。

すなわち、何かを実現したとしても、それで満足しきることはまれだと。

私はそれで自然だと思うし、そうやってどんどんいろんなことができるようになって、豊かになっていけばいいと思うんですよ。

 

じゃあそれって、「漫画家」とか「自転車に乗れる能力」という「宝」が欲しかったのではなくて、「○○になりたいな」という「宝探し」をし続けたいんだと分かります。

宝はその時々でどんどん変わるので、さして重要ではないと。

大切なのは、宝探しを続けて、「やった、見つかった! じゃあ次はこの宝探しをしようかな」と、希望を持って宝探しを続けていくことかなと思います。

 

ゴールの遠さは、どうでもいい

なら、ゴールが遠いか近いかなんて、さしてどうでもいいと分かります。

だって、私たちは「宝(ゴールにたどりついた状態)」よりも、「宝探し(ゴールに向かって近づいてゆくこと)」が好きなんですから。

 

これは言うなれば、旅をしているようなものです。

普通の人は、大阪近辺で生まれて、東京というゴールに向かうとしましょうか。

でも、私たちは九州の博多で生まれたようなものです。

だから、「ゴールまで遠い。不利だ。普通の人がうらやましい」と言っていると。

 

でも、「大阪から東京までを目指す旅」と、「博多から東京までを目指す旅」は、どちらが楽しいのか、ということですよね。

確かに、「東京にいることが素晴らしい」のであれば、大阪生まれの方が有利かもしれません。

ただ、「旅をするのが好き」という場合、博多からでも十分に面白いですよね。

むしろ、「普通の人が見ないような、たくさんの景色を見てきたよ」と言えると、それだけですてきじゃないですか。

 

旅の進み方なんて、人それぞれ

確かにしんどいのはしんどいんですが、「人生は宝探しだ」と思えれば、「どの地点にいるか」は気にならなくなります

すると、遠回りだろうが、マイペースだろうが、地味な進み具合だろうが、それはそれでいいと分かります。

旅の進み方なんて、人それぞれですからね。

 

さらに現実では、ゴールだって自由に選んでいいわけです。

すると、自分軸がある人ほど、「迷ってもいいから、自分の心に従って生きてみよう」というのも、普通にいい生き方だと分かります。

 

まとめ

なので、スタートラインが遠かったとしても、嘆く必要はないかなと思います。

「宝」よりも「宝探し」の方が好きだと分かれば、「自分がどの状態にいるのか」なんて関係なくなります。

特に自分軸を持つ場合、ゴールは人とは違う場所にあるので、場所で比較することなんて無意味です。

 

実際に、少しずつでもよくなっていると、希望が持てますよね。

なら、「宝探しを楽しめばいい」、「人生の旅を楽しめばいい」と分かって、自分なりに進みやすくなるかと思います。

「いろんな景色を見てきたよ」と笑って言えれば、それはそれで魅力なんですよね。

 

すると、「豊かな人」とか「普通の人」に対する嫉妬もなくなって、自分なりに歩いて行けるかもしれません。

 

ということで今日は、「スタートラインが遠くても、ゴールまでの道のりを楽むのもいい」というお話でした。

今日はここまで~。

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