今日も精神的なお話です。

しんどいときは、「陰から応援してくれている人たち」の存在に気づこう、というお話です。

 

「不運が続く時期」は、やはりある

いやぁ、ここ1週間ぐらいで4つほど避けられない不運の連続があって、ちょっと落ち込んだんですよ。

まぁどうあがいても事前には避けられないことだったので、ある意味すがすがしくもあるんですが(笑

 

とはいえ、人生でも不運が続く時期ってありますよね。

それは数日という小さな期間から、数年、時には十年以上にもなるような、大きな不運の時期もあって。

苦しい環境でもがいているのに、全然光が見えずに、頭を抱えるしかなかったり。

極限まで力を出し尽くしているのに、まるで嵐のように、人から土足で踏み込まれて、今まで必死で作り上げたものが壊されたり。

 

そういう場合、「陰から応援してくれている人たち」の存在に気づくのもいいかと思います。

すると、「自分はひとりじゃない」と感じて、元気が出るかもしれません。

 

陰からこっそり応援してくれている

実のところ、「本当に応援してくれている人」っていうのは、陰からこっそり応援してくれているように感じます。

これは、私たちが逆の立場になって、本当に大好きな人に向き合うことを考えるといいでしょう。

心の底から大好きな人って、もう「自分が『頑張って!』なんて、直接言うのもおこがましい!」みたいな感じでしょ(笑

「ファンのひとりとして、こっそり、ひたすら応援してます」みたいな。

 

そういう人たちがいることに気づくことかな、と思います。

 

「天から愛されている」という実感

で、もしそういう人が実感できなければ、「天から愛されている」と思うのもいいでしょう。

例えば生まれてきたばかりの子がいて、だけど病気か何かで「余命1ヶ月です」と診断されたとしましょうか。

もしくは、どこかで子猫がいて、1ヶ月しか生きられないような状態だったとしましょう。

そして、私たちにはその運命を変えられないとします。

 

なら、そういう子の命が無価値なのかというと、そうではありませんよね。

余命1ヶ月でも、無力でも、できれば精一杯生きてもらいたいものです。

「限られた短い命かもしれないけど、精一杯生きて、少しでも楽しんでお帰り」って言いたくなるじゃないですか。

 

「少しでも楽しんでお帰り」と願われている

私たちは、そういう風に天から思われている、ということですね。

別に天でなくとも、先祖でも、釈迦でもマザー・テレサでも、何でもいいでしょう。

「苦しいことも多いかもしれないけど、少しでも楽しんでお帰り」と願われている、ということです。

 

だいたい天とか先祖って、私たちにどうすることもできませんからね(笑

だから、願うしかできないと。

でも、そういう願いがあると分かると、元気が出るかと思います。

 

まとめ

なので、「陰から応援してくれている人たちがいる」と気づくのもいいかと思います。

もしいなくても、天から応援されているんだと。

 

「苦しいことの中でも、楽しんでいいよ。少しでも楽しんでくれることが、私の願いだよ」と願われていることを、実感することですね。

すると勇気も出るし、「この状況だけど、少しは肩の力を抜いて、ほっとする時間を作ろう」とかできて、くつろげるかもしれません。

そしてそういう時間が、後に振り返ると「もがいていたけど、いい時間だったな」となったりするんですよね。

 

ということで今日は、しんどいときは、「陰から応援してくれている人たち」の存在に気づこう、というお話でした。

今日はここまで~。

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