今日は人間心理と、ネガティブ心理学のお話です。
ネガティブ言葉をうまく使えると、深層意識が見えるし、抑圧も解放しやすくなる、というお話をしてみましょう。
最初に少しお知らせですが、ネガティブ療法とネガティブ心理学関係の記事は、このブログの「心理学」カテゴリに移しました。
なのでネガティブ療法・ネガティブ心理学の内容をたどりたい場合、心理学カテゴリを見るといいでしょう。
今年の初夏(2022年の5月)ぐらいから、関連する内容が地味に始まっています。
なぜ抑圧を持つと、自分の価値観が分からなくなるのか
で、今日の本題です。
「自分の価値観が分からない」とか、「自分と他者の境界が分からない」、「自分が何をしたいのか分からない」みたいなこと、ありますよね。
最近は抑圧について語っていますが、これも抑圧によって自分の価値観が分からなくなっていると言えます。
というのも、抑圧というのは無意識の中でも最も深い部分にあるので、真っ先にその情報に照らし合わせてしまうからですね。
抑圧があると、情報が真っ先に書き換えられる
これは、次図のような深層意識の階層を見ると分かりやすいでしょう。
↑ 最近よく出てくる、この図(意識階層図)です。
第1層ほど表層で、第4層ほど深層意識になり、第4層より下は肉体の領域になります。
で、情報は下(肉体側)から上(表層意識)へと流れます。
すると、第4層の抑圧領域で「それは許されないことだ」と判断されると、そこで「許されない」と情報が加工されて、表層側へと上げられてしまいます。
そして自分の価値観かどうかを判定するのは、第3層で、第4層よりも上側です。
だから自分の価値観かどうかが分からなくなって、上記のような「自分の価値観が分からない。他者との境界が分からない」という現象が起きてしまうわけですね。
「ネガティブ言葉」をうまく使う発想
そういう場合、「ネガティブ言葉」をうまく使うことを意識してみるのもいいでしょう。
すると、深層意識が見えるし、抑圧も解放しやすくなるように思います。
普通は「ポジティブ言葉を使おう」ですよね。
ですがポジティブ言葉というのは、基本的に「社会に評価されること」、「現状維持」でしかありません。
上記の意識階層図で言うと、これは第1層の次元でしかありません。
逆に自分の価値観を知りたかったり、抑圧を解放したい場合、深層意識に入る必要があります。
そしてネガティブになることで、深層意識に入れて、フィードバックを得られます。
そのために、ネガティブ言葉をうまく使いましょうよ、ということです。
深層意識に入る流れ
で、ここからその深層意識に入る流れを説明しましょう。
まず大前提として重要なのが、「抑圧源から離れていること」です。
抑圧が生まれる場所にいる場合では、どんなにネガティブな言葉を使っても、自分の価値観は見えないし、抑圧も解放できません。
それは当然で、抑圧環境にいる場合、常に周囲から情報を得て、それが第4層の抑圧ルールに引っかかってしまいます。
すると、表層意識には高頻度で「それは許されない」という情報ばかりが届くので、深層意識を見るどころではなくなるからですね。
だから多くの人が、愚痴や不平不満、「疲れた、もう死にたい」とネガティブなことを言っても、自分の価値観に気づけないし、すぐに元通りの「苦しい毎日」に戻ってしまうわけです。
なので「抑圧源から離れていること」が大前提で、そこから離れることで初めて深層意識を理解できるようになります。
その上で、完全に一人きりになり、今までとは違う環境で、自然に触れると、深層意識が開きやすくなるでしょう。
これらはすべて、「社会の価値観」(第1層)から離れることを意味します。
各層で効果的なネガティブ言葉
その上で、自分が今どの階層を意識できているかによって、以下のようにネガティブ言葉を使ってゆくといいでしょう。
- 第1層「日常意識」でのネガティブ言葉: 「評価されたい、憂さ晴らしをしたい」という普段の意識状態。ここでは「愚痴や不平不満、泣き言」と「資源枯渇と自嘲」を言う。「社会的評価」と「代償欲求」に対して否定的になる。
- 第2層「問題対応意識」でのネガティブ言葉: 自信を失ったり、うつになって活動量が減っている状態。ここでは「疲れた、もう無理」などの疲弊言葉で活動量を減らす。
- 第3層「自己欲求意識」でのネガティブ言葉: 自分の価値観が見える状態。前半は無意味さ理解して、後半は罪の告白をする。「自分のポジティブな活動」と「自分の存在性」に否定的になる。
- 抑圧を解放した後のネガティブ言葉: 「損した」と損切りをすることで、「抑圧で引っかけたゴミ」を捨ててゆく。
まずは、自分がどの意識階層にいるのかを見てみましょう。
ほとんどの場合で、第1層の「評価されたい、憂さ晴らしをしたい」という状態でしょう。
もしすでに何らかのショックやクラッシュがあって、大いにエネルギー量が落ちている状態であれば、第2層から始めるといいでしょう。
第1層では「愚痴や不平不満、泣き言」と「資源枯渇と自嘲」を用いる
で、第1層では、「愚痴や不平不満、泣き言」と「資源枯渇と自嘲」を言います。
「愚痴や不平不満、泣き言」を言うことで、社会的評価に対してネガティブになれて、社会的な評価を追い求めなくなります。
すると、自然と心理的に「憂さ晴らしをしたい」と、代償欲求を求め始めます。
まぁ愚痴や不平不満自体が代償欲求なので、そういう愚痴や不平不満を言うほど、自然と「やってられるかよ!」と憂さ晴らし欲求が強まるかと思います。
そこで、「資源枯渇」を語るわけですね。
これは簡単に言うと、「お金がない、時間がない」みたいな、「○○がない」というネガティブ言葉です。
そして代償欲求が限度に来ると、自然と自嘲が始まります。
自嘲というのは、「周囲が悪いって言っても、結局は自分がダメなだけじゃないか」と、その矛先が周囲から自分に反転した状態です。
これは実感としても、よく分かるんじゃないかと思います。
私たちが思いっきり愚痴や不平不満を言って嘆くんですが、否定し尽くすと、最終的に反転して自分に向かうものです。
「嫌い、嫌い、みんな大嫌い! みんな社会のクソ野郎だ! ……でも本当にクソ野郎なのは、自分自身だ」と気づく、その反転です。
ポジティブ側に振れるのにエネルギーや波があるのと同じように、ネガティブになるのにもエネルギーや波があります。
だから、「嫌い、嫌い、みんな大嫌い!」という風に、ネガティブなエネルギーを高めることで、ぐっと下の層に落とせることもあります。
第2層では「疲れた」が効果的
そして深層意識でも第2層になると、自己否定が始まります。
自信を失ったり、エネルギーを失ったり、時にはうつっぽくなることで、活動量を抑えている段階です。
ここでさらに「疲れた、もう無理」と疲弊言葉を使うことで、よりエネルギーを落とせて、深層に入れます。
多くの人が、ここで「そうは言っても、頑張らなきゃ」、「でも毎日は続けなきゃ」とポジティブにしてしまうことで、いつもの3つの板挟みが始まります。
それが、「評価されたい。でもできない」、「憂さ晴らしをしたい。でも資源がない」、「自己否定をやめたい。ポジティブでなきゃ」という、魔のトライアングルです。
SNSでも「疲れた」と言う人は多いですが、なぜほとんどの人がここからさらにネガティブになれないかというと、それが「抑圧源から離れられていないから」かと思います。
「朝ご飯を食べて、学校や会社に行って、家に帰って寝る」という、抑圧のライフサイクルの中で「疲れた」と言い続けているだけです。
その場合、抑圧源から離れるなり拒絶されるなり、もしくは目新しい風景や場所に出るなりして、そのライフサイクルから離れる必要があります。
その上でさらにネガティブになって活動量を落とすことで、より深層に入れます。
もしここでポジティブに活動すると、第1層の代償欲求ポジティブになって憂さ晴らしになるだけなので、活動量を抑えてネガティブであることが大切になります。
ストレッチやウォーキング、サイクリング程度の「心地よく瞑想(無我の状態)に入れるぐらいの活動量」とすると、いい具合に深層に入れそうに思います。
第3層で自分の価値観が見える
そして活動エネルギーを落としてネガティブになると、次に第3層として、自分の価値観が見えてきます。
実際にエネルギーが落ちてその場から動けなくなり、抑圧源の活動から離れて、ぼんやりとベッドに横たわっていたり、景色や風景を眺めてみるといいでしょう。
すると、抑圧源から離れられているほど、「そういえば私は、これが好きだったな」、「こういうのは、嫌だったんだ」と、ふいに出てくるものです。
それとか、「昔はこういうことで評価されたな。嬉しかった」とか、「昔はこういうことに熱中できていたな」みたいに、過去に味わった嬉しかったことや、情熱を持てたことも出てくるでしょう。
活動だけでなく、食べ物だったり、ライフスタイルとか、人付き合いのように、いろんな方面で「自分に合うもの、合わないもの」が出てきます。
場合によっては、「そうだよ、私はこれが好きだったんだ! 今からでもできるじゃないか!」と、ポジティブな活動エネルギーが出てくることもあります。
もしこれで十分なら、その自分の価値観を元に、表層意識にフィードバックを加えるといいでしょう。
これだけでも、十分にストレスを回避できることも多いでしょう。
第3層では「無意味さの理解」、「罪の告白」が効果的
ですが根本から解決したい場合、ここでさらにネガティブ言葉を使います。
それが、第3層前半では「無意味さの理解」をして、後半は「罪の告白」をすることです。
第3層前半では、前述のように「こういうことをしたいな」、「こういうのはやめたいな」という、ポジティブで活動的な価値観が見えてくるでしょう。
そこでこの第3層前半では、「無意味さ」を理解するといいでしょう。
これは単純に、「そんなことをしても、意味ないよ」と、自分の好きなことをぶった切ることになります。
自分の価値観のポジティブ側では、主に「自分を満たすもの」と「社会のためになること」の2本柱があるものです。
そして「自分を満たすもの」には、「おいしいものを食べたい」とか、「快楽を味わいたい」、「豊かになりたい」というものがあるでしょう。
ですが、それに対してはむなしさで切り捨てます。
「そんなことでつかの間の快楽を味わっても、むなしいだけだ」、「結局一瞬の快楽でしかない。未来は変わらない」、「生きる意味にはならない」と、一時的な欲求として切り捨てます。
また、「社会のためになること」は、「自分がやる意味がない」と切り捨てます。
「自分がわざわざそれをする必要はない。世の中に必要ならば、必ず他にやる人がいる」、「いつか誰かがやるものだ」とするわけですね。
抑圧を持つ限り、それは真実である
そしてこれらは、真実であることがほとんどです。
だって、その感覚は抑圧(他者の価値観)が作るものですからね。
なので、仮面をかぶってその価値観でいる限り、すべてのことは「一瞬の快楽でしかない」か「自分以外の誰かができるもの」、つまり「社会的評価を得るための行動」です。
ここで変に「ポジティブに考えよう」と嘘をついてごまかさないことで、よりネガティブになれて、より深層へと降りられます。
ちなみにクリエイターの人には、この第3層前半レベルまでは、普段から意識できている人がいます。
それぐらい、クリエイターには深層意識を理解できている人が多い、ということですね。
そしてもう少しネガティブになると抑圧の解放になるので、他の人よりもはるかに抑圧を解放しやすいと言えるでしょう。
第3層後半では「罪の告白」が効果的
すると、第3層後半で「自分の存在性」についての価値観が見えてきます。
ここでは「もう休もう。休んでいい」と、自分の価値観でも休息方向での欲求が意識できるようになります。
そしてここからは、かなり漠然とした意識状態ですが、なぜだか「休むのが心地よい」という恍惚(こうこつ)状態になれます。
で、抑圧領域に踏み込む最後の仕上げとして、「罪の告白」がいいでしょう。
「罪の告白」というのは、ある意味究極のネガティブであり、真の自己否定です。
というのも、それは自分の罪を認めることに他ならずに、「社会的価値を作る」というポジティブとは正反対の向きになります。
これは、第3層後半(もしくは第4層の抑圧領域に入りかけ)の状態になると、自然とそういう「罪の告白」という感覚が出てくるかと思います。
そしてこれは、誰か他の人間に向けて告白する必要はありません。
自然に向けて、心の中で思うだけでも大丈夫です。
もし意図的に引き起こしたければ、ノートに書くのでもいいでしょう。
後は止まらなくなる
ここで抑圧源から離れて、一人きりでいられて、自然や今までとは違う環境にいると、その罪が「許された、受け入れられている」と実感できます。
というのも、周囲にはそれをとがめる人はいません。
その上で、自分は「ここでは少なくとも、こんな自分でも生きることを許されている」と実感できるからですね。
そしてそれは、「完全に無価値な自分」なのに、「世界から受け入れられてゆく」という、不思議なぬくもりを実感できます。
すると、後は止まらなくなるでしょう。
ドロドロと、胸の中にたまった過去が出てくるでしょう。
そして涙が止まらなくなって、気がつくと抑圧領域に踏み込んでいて、仮面がはがれ落ちて、「本当の自分と、自由」を知っていることでしょう。
抑圧を解放した後は、「損した」が効果的
で、抑圧を解放した後は「損した」というネガティブ言葉を使うといいでしょう。
抑圧を解放した後も、習慣で、今までの「フラッシュバックのきっかけとなる思い出」がよみがえることがあります。
その場合、「損した」と言うことで、過去を手放せます。
過去を損として確定することで、損切りができるわけですね。
「損を確定する」というのは、ポジティブとは正反対の、ネガティブな方向性です。
すると、今までフラッシュバックとして何度も苦しめられていた過去が、思い出しても「そういう過去があったなぁ」程度になります。
抑圧を解放しているので、過去を思い出しても、「それは許されない」というルールに引っかからなくなるわけです。
だからこの段階になると、フラッシュバックもどんどん消えてゆき、すっきりするでしょう。
まとめ
そんな風に、ネガティブ言葉をうまく使えると、より深層意識へと入ってゆけるかと思います。
普通は「ポジティブ言葉を使おう!」ですが、ネガティブ言葉にも意味がある、ということです。
そしてこういうネガティブ言葉は、美しい言葉ではなく、むしろ醜い言葉として認識されやすいものです。
「中二病的な、14歳ぐらいからの反抗期で使う言葉だ」と思えば、分かりやすいでしょう。
美しい側の言葉としては、例えば「ありがとう」、「ごめんなさい」、「許してください」、「愛しています」という言葉があります。
これらは、どちらかというと社会的地位や評価を求めるものです。
特に「ごめんなさい。許してください」は、一見ではネガティブなように見えますが、これは「他者から認めてもらう」という、社会的な地位を求める社会評価側の言葉です。
なのでそういう言葉は、ポジティブにはなれますが、ネガティブにはなれないということですね。
一方で中二病的な言葉は、「腐っている」とか「何もかも滅びろ」、「誰も彼も嘘つきで、クソ野郎だ」、「世界が間違っている」みたいな、自己中心的で否定的な言葉です。
闇とか血、邪悪、炎、堕天使、そういう響きの言葉です(笑
そういう「社会で評価されない言葉」の方が、よりネガティブになりやすいように感じます。
特に、自己中心的になることは大切です。
自己中心的でなければ、ネガティブになれずに、深層意識へと入れません。
「他者のことを考える」=「社会的評価を考える」で、第1層の表層に戻されますからね。
自己中心的になることで、社会から切り離されて、自分固有の抑圧領域へと入れるわけです。
これが分かると、うまくネガティブ言葉を使って、深層意識が見えるし、抑圧も解放しやすくなるかもしれません。
ということで今日は、ネガティブ言葉をうまく使えると、深層意識が見えるし、抑圧も解放しやすくなる、というお話でした。
今日はここまで~。