今日は日記です。

私がどういう状態で抑圧を解放したのか、覚えているうちに大まかな流れをメモしておこう、という日記です。

 

抑圧を解放するまでの流れ

この夏から抑圧についてだとか、ネガティブ療法、ネガティブ心理学について語っていますよね。

それで今日は、改めてどういう状況で抑圧を解放したのか、その細かい流れを書いておこうかと思います。

 

いや、こういうのは残しておかないと、2~3年もすれば完全に忘れちゃってるんですよ(笑

大きい要因はインパクトがあるので覚えているんですが、細かい流れや時系列は忘れることが多くて。

実際に、以前の本でも「あの出来事はどういう流れだったかな?」と悩むことがありましたからね。

 

それに私の場合、特に今年は人生レベルでいろんな大きな変化があったわけで。

 

なので今日は、抑圧を解放するまでの流れを、日記として残しておこうかと思います。

まぁ未来の私のための、備忘録ですね(笑

 

1月中旬:金融理論の確立と、健康状態が劇的によくなる

今年に入って、私の中では2つの大きな状況変化がありました。

1つが「当面のお金の心配がなくなったこと」で、もう1つが「健康面で絶好調になったこと」です。

これら2つが、大きな安心を作っていたように思います。

 

地味に大きかったのが、今年の1月に金融の理論を自分なりに構築できたことですね。

これで経済と金融の大きなロジックが理解できて、「この流れで運用していれば、当面はお金の心配はなさそうだな」と安心できたことがあります。

 

また、同時にこの時期から「食事をよくかんで食べる」ということを実践し始めました。

去年に肝臓を痛めて、それでいろいろ理屈を考えて、結果として「よくかんで食べるのが、肝臓に一番いいんじゃないかな」と予想したわけです。

 

そしてこの「よくかんで食べる」というのが大ヒットで、3月ぐらいから「今までにないほどに、体調が絶好調になる」というすっごい劇的変化が起きて、健康体になったと(笑

そういう点で、身体の調子が劇的によくなった安心感もありました。

 

これらの金銭面、体調面双方での劇的改善と安心感があったことが、後に「無理に制作をしなくてもいいや」という、「抑圧源から距離を取れたこと」につながったように思います。

 

3~4月:最後の本を出して、海に行くようになる

そして3~4月の時期に、「安心を得つつ、ネガティブな心理になる」という希少な条件がそろいます

3月に小説「男装少女青海ちゃん~」を出して、それで私の中では「出せるものは、すべて出し切れたな」という思いがありました。

私の中にあるノウハウや理論、出したいものは、今までの本ですべて出し尽くした実感でした。

 

確かにプロット本とか、共感性についても書けることは多少残っていたんですけどね。

でも私の中では、「無理に出すほどでもないな。自分がやらなくても、未来に誰かがやってくれるだろう」という、妙なネガティブ意識があって。

そして、「これからどうしよう。なんだか生きる意味も目指す先もなくなっちゃったな」というネガティブな状態でした。

 

一方で、今までは金銭面で不安があったので、無理をしてでも「収入源を作らなきゃ」と自分を追い込んでいたんですよ。

でも今年はその金銭面での不安がなくなっていたので、「少し何もしない時期を作ってみよう」と、制作から離れるようになりました。

 

こうして、「抑圧源から離れられて、安心してネガティブになれる」という、希少な条件がそろったように思います。

普通は「安心すると、ポジティブになる」ですが、私の場合は「安心してネガティブになれる」という、珍しい条件ができたんだと。

 

海に行き始める

で、4月ぐらいに暖かくなり始めてから、ちまちまと海に行くようになりました。

少し離れた場所にお気に入りの、誰もいない砂浜(5月26日の日記)があって、少し時間をかけて自転車で向かって、歩いて楽しんでました。

その誰もいない砂浜で、一人で自然に触れているのが心地よかったんですよね。

 

ここはちょうど、「気軽に行けない程度に離れているけど、少し自転車を走らせれば行ける場所」という、私にとっては「目新しい場所」でした。

そして誰もいないので一人きりになれるし、大きな自然があって、波の音に癒やされるので、ウォーキングをした後にぼーっとして癒やされてました。

今思えば、それが瞑想になっていたのかもしれません。

 

5~6月:新しい景色や文化を楽しむ

ちなみにこの春(3~7月ぐらいまで)は、「新たなものを楽しむ」ということをしていました。

 

私は本執筆も制作もすべてやめていたので、「生産的な(社会的)活動」と言えるのはブログ執筆ぐらいでした。

なので少し手持ちぶさたで、「それなら新しいものに触れてみよう!」ということで、いろんな新しいものに触れていました。

 

自転車でいろいろ遠出して、今まで歩いたことがない場所を歩いて、新鮮な雰囲気を味わって。

で、経済の流れで「もう日本円に価値はない」と分かっていたので、お金を使ってスーパーで目新しい食材をいろいろ買ってきて、味わって楽しんだりしてました。

 

そういう「新しい景色や文化」に多く触れたことも、「今までとは違う世界があるんだな」と別世界の感覚を味わえたように思います。

これも、私が言う「抑圧源から離れて、新しい感覚を得る」という抑圧解放の要素になっていたのかもしれません。

 

7月中旬:海で、ふいに涙があふれる瞬間を迎える

で、7月中旬だったかと思うんですが、いつものように海を眺めていると、ふいに涙があふれる瞬間を迎えてました。

 

でもこのときは、もう不思議な心地よさでいっぱいで、私自身自分に何が起きているのかよく分からなかったんですよ。

ある意味、自分でも自分の心理状態がうまく理解できていなかった、という状態です。

 

実際にこの時の内容をブログに書けるようになったのが、8月19日のこの日記です。

なので1ヶ月ぐらいは、「なんか不思議な心地よい体験をした。すっきりした」という、漠然とした感覚でした。

そしてこの頃は当然ですが、深層意識についてなんて理解できていないので、私の中では「自然が抑圧を解放してくれた」という感覚でした。

 

ちなみに近所にも海はあるので、近場で楽しむのも含めて、ほぼ毎日のように海には触れてました。

まぁ今年の梅雨は長かったので、行けなかったこともよくありましたが。

だいたい午後の2時間ぐらいを、海辺でウォーキングするなり、くつろいで過ごしてました。

 

8月~10月:言語化と理論化を開始

で、8月ぐらいから「不思議な体験だったな」となぜか興味が出て、「どういう心理が動いたんだろう?」と、それについていろいろ考えてました。

 

ちなみに7月終わりからは真夏の暑さになってきたので、海よりも、川の方に浮気していたりもします(笑

いやぁ、7月中旬ぐらいまでは心地よかったんですが、真夏の海はやっぱり暑いんですよ!(笑

それに、その頃は「海は少しお腹いっぱいだな」という感覚も出てきて。

なので山の方に自転車を走らせて、川辺を歩いて涼みつつ、いろいろ「あれはどういう原理だったんだろう」と考えていたのを覚えてます。

 

で、抑圧の解放だと分かり、陰と陽とか、ポジティブとネガティブと結びつき、反抗期と結びつき、ユング心理学と結びついていったと。

そして9月21日のこの記事で、「自分の価値観、他者の価値観、代償欲求」という3つの柱がある、という新たな心理モデルを出せたことになります。

ここが大きな転換点だったように思います。

 

そこからは、このモデルを元に、断層図にしたり、理論を発展させただけですね。

で、ネガティブ療法、ネガティブ心理学というコンセプトにした、という流れです。

 

釈迦の気持ち

これは私の想像でしかないんですが、釈迦の気持ちが少しは理解できるようになったようにも感じます。

こういう不思議な体験をすると、「釈迦がなぜああいう行動を取ったのか」という理由が分かるんですよ。

 

例えば釈迦は、苦行をやめて、菩提樹の下で瞑想をするようになりました。

そこで釈迦は、栄養を取って、落ち着いて安心して瞑想できるようになったんじゃないかな、と思います。

だけどその一方で、釈迦は内心では「苦行から脱落した。うまくいかなかった」と、挫折感や落ち込みを味わっていたんじゃないかと思います。

 

つまり、「苦行をしなきゃ」という抑圧源から解放されたけれども、それで「自分は苦行について行けなかった」とネガティブになれていたんだろうな、と。

ですが逆に、それが運良く抑圧を解放する条件に重なって、釈迦は抑圧を解放できたと。

 

「瞑想」とは「ぼーっとする」でいい

ちなみに「菩提樹の下で瞑想をする」とか言うと格好いいですが、私は「木の下でぼーっとしていた」というのが適切な表現かなと思います(笑

瞑想って、単純に言うと「無我の境地に入ること」で、究極を言うと「ぼーっとすること」ですからね(笑

 

で、例えば仏教の釈迦像もぴしっとした座禅のような姿をして瞑想していますが、きっと実際の釈迦は、ウォーキングをしたりしつつ、くつろいでぼーっとしていたんじゃないかと思います。

特にインドは暑そうなイメージなので、「木の下でぼーっと涼んでいた」という感覚なのかな、と予想したりもします。

 

ですが、それだとさすがに様(さま)にならないので、古い人は「瞑想」と格好良く名前をつけたんじゃないかなと。

そして釈迦像も、格好良く見せるために、信者がびしっとした座禅の姿をさせて像を造ったと(笑

 

最初は夢心地でしかない

そして釈迦はその菩提樹の下で、いろいろ自由について理解した流れになります。

ですが、最初は「心地よくて、別に教えるとかせずに、そのままでいよう」としていました。

 

これも、実感でとても理解できるんですよ。

というのも、最初は「なんだか涙があふれてきて、すっごい楽になれて、気持ちよくなった」という感覚でしかないんですから。

なんかもう、1週間ぐらいはただ「心地よい」だけで、夢心地でしたから。

 

深層意識に入ると、客観視はできなくなる

ちなみに抑圧領域のような深層意識に入るまでネガティブになると、自分を客観視できなくなるんですよね。

というのも、理屈は表層意識で考えるものですが、深層意識は感じるものだからかな、と予想します。

だから昨日の記事でも触れましたが、「ネガティブになる」というのは、「自己中心的になる(客観性を捨てる)」ということでもあります。

 

つまり自己中心的にならないと、抑圧は手放せない、ということです。

実際に14歳ぐらいからの反抗期でも、完全に自己中心的になりますよね。

それは客観性を持つと、必ず社会性(表層意識)にとらわれてしまうので、抑圧領域には入れなくなるからだと思います。

 

なので「考えて深層にたどり着く」ではなく、「ネガティブな心地よさを頼りに、その感覚に導かれて深層にたどり着く」というイメージです。

私自身も、最初からいきなり「深層意識に入ろう!」とか「ネガティブになろう!」としていたわけではありません。

私の場合、最初は「なんか海を眺めるのが心地いいし、その気持ちよい感覚に身をゆだねていた」という程度です。

そういう漠然としたものでしかなかった、ということですね。

 

で、抑圧を解放した後も、主観目線の感覚でしか見えていないから、「客観視点で全体像を理解するのに、その後数ヶ月必要だった」と、やたらと時間がかかったように思います。

 

変化したこと

でもまぁ、抑圧を解放したら、いろいろ変化が出てきます。

 

まずは、ショックなことがあったら、素直に落ち込めるようになりました

以前は「これはきっと未来にいいことになる」とか、無意識でポジティブになろうとしていたし、損を受け入れられなかったんですよ。

それでショックな感情を抑圧して、胸の中に押し込めて、忘れ去ろうとしていたんですが。

 

ですが今は、ショックなことがあったら、普通にその日にショックを受けて落ち込むようになりましたから(笑

先日も、家の器具が壊れて予想外の出費があって痛かったんですが、普通に落ち込めましたから(笑

 

フラッシュバックがなくなる

他にもこれはよく言うことですが、抑圧を解放すると、フラッシュバックが劇的に減ります

独立直後は、起きている時でも5~10分に一度はフラッシュバックに苦しんでいたし、特に食事中や寝る前、くつろぐ時間、意識がまどろむ瞬間なんて、必ずフラッシュバックが出てました。

ですが今では、起きている時はまず出ずに、夜にリラックスした時に、1~2回出て、それも全然痛くない、という程度です。

 

それでようやく、「あぁ、これが抑圧のない、普通の人の感覚なのか」と、あまりの「日常感覚の差」に驚いたりもしたんですが。

裏を返すと、「学生時代や独立直後は、よくもまぁあんなフラッシュバックの嵐の中で、正気を保って生きられていたな」と思ったりもします(笑

今思えば、あれは狂気の世界というか、二度と戻りたくない「膨大なゆがみとひずみで、現実がねじ曲げられて錯覚されてしまった世界」だったように思います。

 

抑圧は必ず少しは抱えるもの

ちなみに抑圧は、社会生活をする上では必ず少しは抱えるものです。

だから、「すべての抑圧を解放する」というのは、難しいように思います。

 

また、私自身が過去に数回にわたって抑圧を解放しているように、「抑圧を部分的に解放する」ということもあります。

ある意味、「抑圧源から離れられた抑圧だけを、解放できる」ということですね。

 

そういう意味でも、一度抑圧を解放してすっきりしたように見えても、別の抑圧源にいたり、別の抑圧源に入ることで、フラッシュバックが残ることもあります。

ですが大まかには、「残っているフラッシュバックの量」が「残っている抑圧の量」だと思っていいかと思います。

そうやって、少しずつ抑圧を解放することもあるかと思います。

 

抑圧を解放するほど、ため込まなくなる

で、抑圧を解放するほど、精神的な余裕が多くなります。

もちろんショックを受けて落ち込むことはあるんですが、それを我慢してため込むことがなくなります

「ショックを受けて、落ち込んで、泣いて損を受け入れて、翌日すっきり」という流れですね。

 

ちなみに抑圧は、「ショックを受けて、感情を胸の中に押し込んで、損を受け入れずに、翌日忘れる」という流れです。

似たような流れですが、「ため込まない」というのが分かるかと思います。

 

そして「抑圧を解放する」というのは、さして大げさなものではなく、その程度だということでもあります。

特に抑圧をため込みやすいタイプの人にとっては、抑圧を解放するのは日常的で、反抗期と同じぐらい「人生で起きうる身近なもの」です。

それは釈迦だけでなく、高共感で個性があるタイプなら、普通に起こしうることだと思います。

 

なので共感性の高くて個性を持つ人ほど、抑圧を解放することで、より楽になれるかと思います。

 

まとめ

まぁそんな風に、覚えているうちにいろいろと流れと感覚を書き残しておきます。

細かいことは、時間が経つと忘れちゃいますからね。

 

私の場合、ただ単純に「運がよかった」と言えるように思います。

だって、私は何も知らずに、たまたま「安心できて、ネガティブになれる」という希少な条件がそろっただけですから。

その結果、今回のような「抑圧を解放する」という体験ができて、それを体系化できただけですから。

 

なので、条件さえそろえば、誰にでもできることだろうと思います。

今回の内容が、少しでも参考になれば嬉しいです。

 

ちなみにネガティブ療法については、だいぶ出し尽くしたように思います。

なので明日からは、短めの日記になるかと思います。

「今回で、ネガティブ療法については最終回です」と言いたいんですが、これはすでに過去2回も最終回をやっているので、さすがにやめときます(笑

 

ネガティブ療法についても、いろいろまとめようとは思っているんですが、これは私のモチベーション次第です(笑

どうなるかは分かりませんが、まぁお待ちくださいませ。

 

ということで今日は、私がどういう状態で抑圧を解放したのか、覚えているうちに大まかな流れをメモでした。

今日はここまで~。

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