今日は精神的なお話です。

自分を変えるタイプほど、「他者のせいにする人からの教え」からは避けるとよさそう、というお話をしてみましょう。

 

「若い頃に苦労しろ」という教え

「若い頃に苦労しろ」って言葉、あるじゃないですか。

そういうのは、たいていが年長者から発せられるものなんですが。

 

私は苦労とかしんどいことは嫌で、できれば楽をして生きていたいんですよ(笑

もちろん「逆境が人を育てる」というのもあるので、「逆境に落ちてはいけない」というわけではないと。

私なりの言い方をすると、「上がるときも、落ちるときもあっていい。その時々で精一杯生きて、一歩一歩進めばそれでいい。必要以上に無理をすることはない」というノリが好きだったりします。

 

「若い頃に苦労しろ」が通用する人、しない人

おそらく、「若い頃に苦労しろ」というのは、「自分から動こうとしないタイプの人で、なおかつ相手のことを考えられない人(共感性が低い人)向けの教え」かなと思います。

自分から動こうとしないタイプの人ほど、いわゆる「口先ばかり」になりがちで。

そして、相手のことを考えられない人の場合、「相手がどれだけ苦しんでいるのか、理解できない」わけです。

 

すると、「相手の事情を想像できない人で、なおかつ自分から動かない人」は、世界の広さとか、世の中には様々な他者の事情や、価値観があることを理解できません。

すなわち、「自分の今まで生きてきた世界だけで、すべての世界を判断してしまう」という危険が出てきます。

だからそういう人がリーダーになったりすると、部下に無理難題をふっかけるわけです。

そういう「自分の狭い常識だけで、部下を動かそうとする人」って、絶対そんな人の下にはつきたくないでしょ(笑

 

なので、そういう人ほど「若い頃に苦労しろ」が有効になるのかな、と思います。

そういう人の場合、実際に自分が苦労することで、「世の中には苦労している人もいる」と体で理解できます。

すると、思いやりを持つことができるようになるのかな、と思ったり。

 

「教えている人がどのような人か」を重視する

裏を返すと、「自分から動ける人」もしくは「相手の事情を想像できる人(共感性の高い人)」のどちらかに当てはまる人は、そういう教えは合わないわけです。

じゃあ、どうすればそういう「自分の性質に合わない教え」を排除できるのか、ということですよね。

 

その場合、「教えの言葉」を重視するのではなくて、「教えている人がどのような人か」を重視するのもいいかと思います。

すると、実は「教えているようでいて、自分が変わらないでいいことを正当化していただけ」ということが分かるかなと思います。

 

実は上記のような「若い頃に苦労しろ」と言っている人は、たいていが「自分から動こうとせずに、なおかつ共感性が低い人」なんですよね。

なぜそう言えるのかというと、「自分を変えるタイプの人がいることや、そういう人の事情が理解できていないし、想像もできていないから」です。

もしそういう人がいることを知っているなり、想像や共感ができていれば、もっと違う言い方になるはずです。

例えば「人によっては、若い頃に苦労する方がいい人もいる」と言えると。

すなわち、その言葉自体が、その人の「生きている世界の狭さ」を物語っていると。

 

「自分以外の人のせい」にするタイプの人は結構いる

そしてこういう人は、とても「自分以外の人のせい」にするタイプの人が多いように感じます。

 

よくある例ですが、中年のオッサンが、「若い頃に不健康な生活をしていたから、今になってガタが来た」とか不健康自慢をしたりするじゃないですか。

でも、よくよく考えてみると、それは巧妙な「自分以外のせい」にしていると分かります。

そもそも、不健康というのは「今」のことです。

で、健康的な生活は、今から始めればいいわけです。

もちろん過去は変えられませんが、今から変えられることをどんどん変えればいいし、不健康自慢よりも、「こうすれば健康になれる」と語ればいいんですよ。

 

でも、そういう変化をしたくなくて、他人のせいだとも言えないから、「過去の自分のせい」にしてしまっているんですよね。

言うなれば、ただの「生活習慣を変えたくない」という言い逃れにすぎません。

そして、不健康な生活を正当化して、自分からは何も変えようとしないわけです。

ここまで来ると、もう究極の「自分のせいじゃないよ」という、自己正当化の権化(ごんげ)じゃないかと思うんですが(笑

それを、まことしやかに語っているし、自分でもそんな破綻した論理を信じているわけです。

 

「教えている人」から判断する

他にも、例えば収入状態が悪くなったときに「節約しましょうよ」と言うと、急に「国が悪い、政府が悪い、会社が悪い」と言い出す人もいるものです。

そして、支出は絶対に変えさせないどころか、「厳しいときほど使わなきゃ!」とか言って、支出を増やしちゃうわけで。

これも同じで、自分を変えようとしない典型例ですね。

まぁそれはそれで一つの「未来よりも今が大切。みんなで落ちれば怖くない」的なスタイルなんでしょうが、こういう人ほど下落時に破綻しやすいように感じます。

 

で、そういう人の教えを真に受けると、とんでもないことになりそうですよね。

だから、そういう人の教えは回避する方がいいように感じます。

そのために、教えの内容そのものではなくて、教えている人自身を見てみると。

 

逆に、教えている人がどんどん自分を変えている人であれば、同じ性質の人ほど「自分には合いそうだ」と分かります。

すると、自分に合う教えを得やすいかなと。

 

まとめ

なので、自分を変えるタイプの人ほど、「他者のせいにする人」からの教えは合わないことが多いかなと思います。

そして教えている人を見て、「こういう生き方はしたくないな」と分かれば、その教えは手放せばいいと。

 

まぁもちろん、「性格面では学ぶところはないけれども、ビジネスの面では、この人からは学べる」と分かれば、「いいとこ取り」ができるかと思います。

でも性格とか性質って、結構基礎的な部分なので、性格や性質でビジネススタイルとかも大きく変わるんですよね。

そういうこともあるので、土台となる性質部分での判断は、重要かなと思ったりもします。

 

ということで今日は、自分を変えるタイプほど、「他者のせいにする人からの教え」からは避けるとよさそう、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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