今日は、昨日のお話の続きで、精神的なお話です。
「一度自分で下げれば、上がる」という信頼感をどう得るか、というお話です。
未来を考える人ほど、人生を波で考えるのもよさそう
昨日の記事で、「未来を考える人ほど、人生を波で考えのもよさそう」って触れましたよね。
人には「今がいい方が、幸せを感じられるタイプ」と、「今の状態がどうであれ、未来がよくなる方が、幸せを感じられるタイプ」の2種類がいて。
そして後者のような未来重視タイプほど、「短期で上げ続けて、落ちる恐怖を持つ」よりも、「短期の波はできるだけ減らして、長期で緩やかに続く上昇を作る」方が、安心できるし、幸せを感じられると。
その場合、「一度落ち始めて恐怖を感じたら、あえて自分から損切りをして、早めにどん底まで落とす。すると後は上がるだけになって、安心できる」と説明しました。
すなわち人生の波では、「一度自分で下げれば、上がる」ということですね。
こういう生き方は、高い利益は作れませんが、「これ以上は落ちない」という連続で生きられるので、安心して生きられるという強みがあります。
それでもやっぱり、人によっては「落ち始めたら、無限に落ちてしまう」とか、「一度落ちたら、二度と上がれなくなるかもしれない」って恐怖を感じることもあると思うんですよ。
なら、どうすればそういう「下げれば上がる」という信頼感を得られるか、ということですね。
「失うことに慣れる」という発想
その場合、「失うことに慣れる」とするのもいいかもしれません。
失うことは悪いことではなくて、可能性を広げることでもあると。
これが分かれば、後半の「陰の中にも、陽がある」という話が分かりやすくなるでしょう。
私たちは、いろんな「今まで通用した成功法則」という常識を持ちます。
その「自分なりの成功法則」の結果が、現状を作っています。
なら、「現状から出たい」と感じる場合、その成功法則の体系は、部分的にでも他の発想と組み替える必要があると分かります。
その「成功法則の体系組み替え開始作業」が「損切り」に当たります。
「こういうことは、私には重要だ。利益を作るはずだ」という思い込みを、実際では役に立っていないものから順に、切り捨ててゆくと。
切り捨てるほど、楽になれる
役に立っていないものから捨てていくので、最初はほとんど痛くないかと思います。
で、切り捨てると、少し気楽になれるんですよ。
例えば雑用でも、一つ済ませると、頭の中に居座っていた「これをしなきゃ」が減って、少し楽になれるじゃないですか。
それと同じで、小さいことから「もう手放そう、もうやめよう」とすると、少しずつ「人生の重たさ」が減って、自由が増えるんですよね。
この「身軽になる快感」を味わって欲しいんですよ。
これが「失うこと」になるし、損切りになると。
「陰の中にも陽がある」の意味
だから「失うこと」って苦しいことばかりではなくて、その中にも心地よいものがあるわけです。
陰と陽で言うと、得ることを「陽」、失うことは「陰」とすると、陰の中にも「自由になる」という独自の心地よさ、すなわち陽の部分があると。
なら、例えば私の場合、得ることを重視するよりも、自由でいることを重視する方が、心地よかったりするんですよね。
もうこの辺になると、「じゃあ陰と陽って何?」とかごっちゃになると思うんですが、ごっちゃにしていいわけです。
むしろ、「陰と陽って、実はごっちゃだよね」というのが、陰と陽の本質かなと思います。
それが、「落ちてもいいですよ。落とせば、上がる」ということです。
「陰にどっぷりつかれば、陽が見えますよ」と同じです。
そしてそれが、「自分の中にある成功法則の、体系組み替え作業」になるわけです。
「自分の中にある成功法則は、信用ならない」と実感できれば、「今の成功法則より外を見てみたい」と感じますからね。
すると、「あ、こっちでもいいんだ。今まで悪い方向に行っちゃダメだと思っていたけど、そっちでも可能性はあるんだ」と気づけます。
どの方向に行っても、何かしらの得るものはある
そうやって考えると、「どの方向に行っても、何かしらの得るものはある」と分かりますよね。
陰の中にも、陽はあるんですから。
そして、そういう「どの方向に行ってもいい。今の成功法則よりかはマシだ」と分かることが、「どん底」を意味します。
なら、どの「陰」と思い込んでいる方向にも新しい可能性があるし、その場所なりの「居心地のいい場所」もあると分かります。
だから「どん底」とは、「自由」を意味します。
「私はどっちに行ってもいいんだ。それで、動けば今より少しはマシになる」と、希望にあふれている状態が、どん底です。
そしてその状態だと、「今の場所では、これ以上は得るものはなさそうだ」と感じるし、「移動するために、今の場所から出る荷造りをしよう」とするのが損切りです。
「死への旅に出る」という感覚と同じ
で、そういう損切りや荷造りって、ある意味で「身辺整理」とも言えるでしょう。
「身辺整理」と言うとなんだか聞こえが悪いかもしれませんが、「人生で別の世界に出る」って、そういう「死への旅に出る」って感覚と同じだと思うんですよ。
だって、生き延びるために自分を最適化して、それでようやく今の世界にたどり着いたんですから。
そしてそれを手放すということは、自分から死の世界に旅立つのと同義です。
でも、今の世界では、望むように生きられないわけです。
だから、生きるために、死への旅に出るんだと。
死の中に、生を見いだす、ということですね。
私たちは「生きたい、死にたくない」と感じがちですが、「死に向かうことでも、生きることができうる」ということです。
これも、陰と陽です。
自由な状態で生きる、ということ
なら、「こうしなきゃいけない」という常識から解放されますよね。
どこに行ってもいいんですから。
そういう自由な状態がどん底であり、「落ちてもいい」という状態であり、ある意味で「いつ死んでもいい。だから、精一杯生きよう」という状態でもあります。
そしてそういう人には、しっかりした土台がありますよね。
だから、「短期的な上下はどうでもいい。長期的に上がってゆければいい」とできるわけです。
そして死ぬときが来たら、それはその時だと受け入れられます。
そういう覚悟ができるのも、どん底の力ですよね。
まとめ
この感覚が分かれば、「落とせば上がる」が少しは分かるかな、と思います。
ある意味それは、自由に生きるための考え方かなと。
実際、「ダメなら、またゼロからやり直せばいい」とできる人は、強いですよね。
それは、どん底を受け入れているからだろうと思います。
自分にとってのゼロのラインに降りられれば、後はまた上がるだけですから。
そして、私たちはみんな、どのみち「死への旅」をしているんですからね。
旅をする人ほど、荷物が多すぎると苦しくなるものです。
なら、身辺整理をしつつ、精一杯旅をして、味わって生きればいいように感じます。
すると、「上がるときもあれば、落ちるときもある。短期的な上下はどうでもいい」とできて、安心しつつ生きられるかもしれません。
ということで今日は、「一度自分で下げれば、上がる」という信頼感をどう得るか、というお話をしてみました。
今日はここまで~。