今日は昨日に引き続き、人間心理のお話です。

抑圧のメカニズムで、さらにいろんな心理現象を説明してみることにしましょう。

 

簡単なおさらい

昨日の記事でも触れましたが、私が提案している精神構造図を使うことで、いろんな抑圧に絡む心理現象を解説できるようになります。

↑ この図ですね。

私たちの精神は、「自分の価値観、他者の価値観、代償欲求」という3つの柱と、それぞれに「ポジティブ、ネガティブ」という2つの状態の組み合わせでできている、という構図です。

 

抑圧を持つ場合の状態

で、抑圧を持つ場合、「他者の価値観ポジティブ、代償欲求ポジティブ、代償欲求ネガティブ」という3つの状態がメインになります

 

この3つは、どれも「自分の価値観」ではありません

だから「本当の自分が分からない」とか、「どうすればいいのか悩む」、「自分と他者の境界が分からない」、「依存的な憂さ晴らしや、自己否定をやめられない」といった現象が起きます。

また、人によっては「希望が見えず、暗いトンネルの中を歩いている」みたいな感覚になることもあるでしょう。

 

なら実際に、ここから具体的な心理現象を説明してみることにしましょう。

 

「有名アイドルが警察につかまった」という出来事

もうだいぶ昔ですが、「有名アイドルが深夜にお酒を飲んで、全裸で町を走って、警察に捕まった」というニュースがありました。

これがまさに、抑圧によって、「代償欲求のポジティブ側」が暴発してしまった現象のように思います。

 

こういった「衝動的に何かをしてしまう」というのは、だいたい「代償欲求のポジティブ側」の暴発です。

普段は「他者の価値観ポジティブ」で自制しているんですが、我慢をするほどストレスがたまってゆくものです。

そしてストレスが限界点まで到達すると、瞬間的に強烈に「代償欲求のポジティブ」に移行します

 

だから、その行動を止められないんですよね。

つまり我慢強い人ほど、こういう「極限まで我慢して、強烈な反動を作る」ということが起きやすいわけです。

 

そしてその代償欲求は、「今まで積み上げたものを壊す」という行動になりやすいものです。

例えば我慢してお金を貯めていた場合、突発的に「高額な買い物をする」とかあるでしょう。

もしくは、我慢してダイエットをしていた場合、突発的に暴飲暴食をしてしまったり。

 

それはおそらく、自分の中で「他者の価値観ポジティブは、必要ない」と分かっているからじゃないかと思います。

だから「代償欲求のネガティブ側」では、自己否定を起こして、「他者の価値観ポジティブ」を攻撃するわけです。

こうして、「自分をストレスから解放するために、ストレスを作る根源を、自分で壊す」という現象が起きるように思います。

 

「裸になる」のは、抑圧解放でよくある現象

ちなみにこの「裸になる」というのは、急激に抑圧を解放する時によくある現象のように思います。

例えばサッカーの試合でも、ゴールを決めた選手がユニフォームの上着を脱いで、上着をぶん回しつつ走って喜んだりしますよね。

 

あれがまさに、抑圧の解放です。

今まで敵との戦いで抑圧(我慢)を重ねていたのが、その我慢の必要がなくなって、我慢を解放するわけです。

その象徴で、「自分を不自由に締め付けている服を脱ぐ」という行動が起きやすいように思います。

 

実際に私たちが中高生の頃でも、親や兄弟がすべて出払って家に誰もいなくなったら、サッカー選手と同じように「自由だー!」と服を脱ぎ散らかして、踊り出すでしょ(笑

私の中では、あれは誰もが通る道だと思ってるんですが(笑

それは変なことではなく、むしろ抑圧を持つ人にとっての自然な反応である、ということですね。

 

そんな風に、「裸になる」というのは、抑圧を解放する時によくある現象かなと思ったりもします。

 

「自己否定」と「自己救済」の誤認

「他者の価値観ポジティブ」で周囲から評価されずに、「代償欲求ポジティブ」で憂さ晴らしもできなくなった場合、私たちはストレスを感じてしまいます。

そしてその場合、「代償欲求ネガティブ」に落ちて、自己否定をします

 

ですが実のところ、私たちはそれを「自己否定」と呼んでいますが、全体で見るとそれは自己否定どころか、むしろ「自分を助けようとしていること」だと言えます。

だって、「~しなきゃ」という思い(他者の価値観ポジティブ)さえなくなれば、苦しまずにすむんですから。

 

だからある意味、「代償欲求のネガティブ」だけは、根本原因を理解できているんですよ。

「他者の価値観ポジティブさえなくなれば、自分は自分の価値観で生きられる」と分かっているわけです。

そして本当の意味で、「代償欲求のネガティブ」だけは、「自分」を助けようと戦っているんだと。

 

つまり、「自己否定」と言うよりも、「仮面否定」と言う方がより正確でしょう。

というのも、「他者の価値観ポジティブ」の正体は、「仮面」であると言えます。

だから「代償欲求のネガティブ」は、「自己(ありのままの自分)」を助けるために、「そんな仮面は必要ない!」と仮面を攻撃しているわけです。

そして「代償欲求のネガティブ」は、自己そのもの(自分の価値観)は一切否定していません。

 

そんな「自分を助けようとしていること」を、自分では「自己否定」と呼んでいる時点で、盛大に誤解をしているし、こじれていますよね。

唯一自分の中で自分を助けようとしている人格を、「自己否定だ、ネガティブだ」と呼んで攻撃して、排除しようとしているんですから。

だから、「抑圧を持つ人は、価値観で大いに混乱している」と表現できるように思います。

 

「投影」というシステム

心理学用語で、「投影」という言葉があります。

これは「自分が持つ、受け入れがたい性質」が他者の中にあった場合、その他者を攻撃してしまう、という現象です。

 

例えば自分が本当臆病な性質なのに、それを隠している場合、臆病な人を見ると「臆病者!」と攻撃したり。

自分が「自分は愚か者だ」と思い込んでいるけどそれを隠している場合、社会的に愚かなことをした人を見ると、「なんて信じられないほどのバカなんだ!」と見下したり。

自分が「無価値だ」と思い込んでいて、それを隠している場合、失敗した人を見ると「無価値な人間が!」と嘲笑したり。

まぁよくある、「バカと言っている側の方が、自分の方がバカだと痛烈に知っている」という奴です。

 

一見では、これって無関係のように見えるじゃないですか。

「他人と自分は全然関連性がないのに、攻撃してもメリットがないのに、なぜ相手を攻撃するんだ」と感じるものです。

でも実際は、心理的に見るとしっかりと関連があるし、心理的なメリット(と本人は感じること)があると分かります。

 

そのメリットというのが、自己否定を起こす「代償欲求ネガティブ」を、自分の中で抑えられる、ということです。

もしその「臆病な相手の存在」を許すと、自分の中にある「代償欲求ネガティブ」も勢いづいて、より自己否定(仮面否定)をしてしまいますからね。

だから「自分で受け入れたくない性質」が他者の中にある場合、その他者を攻撃してしまうことになります。

 

この「受け入れられない相手への攻撃」は、「他者の価値観ポジティブ(仮面)」が行います

だって、例えば「臆病者を、臆病だと批難すること」は、とてもポジティブですからね。

「大胆に行動することこそが、ポジティブ」だと思い込んでいるならば、臆病や臆病者は排除するのが正義だし、究極のポジティブです。

ある意味、ポジティブになるからこそ、ネガティブな相手に対して差別や偏見を下してしまう、とも言えるでしょう。

 

そんな風に、「自分と他者」で関連がないように見えて、実は心理的には関連がある、ということです。

こうして「投影」という現象が起きていると分かります。

 

「私のすべてを受け入れて」と、他者にひどいことをしてしまう現象

精神的に病んだ人が、「私のすべてを受け入れて欲しい」と、自分を好きな相手にひどいことを続けてしまう、という現象があります。

それは、「こんなにひどい私でも、受け入れてくれるの?」と確かめたくて、相手にひどいことをしてしまうわけです。

そして結果として相手から嫌われて、「ああ、やっぱり私は嫌われ者なんだ」と確認して安心する、という流れなんですが。

 

これは、先日語った抑圧解放の流れからすると、とても自然な現象だと分かります。

そして問題なのは、それを自然に向けるのではなく、人間に向けてしまっていることだと分かります。

 

本来なら反抗期になると、「今までいた社会」から距離を取って、孤独になって、そこですべてに対してネガティブになります。

そうすることで、「自然はどれだけネガティブになっても、受け入れてくれる」という安心感を得て、よりネガティブになれて「他者の価値観」を手放せます。

 

だけど現代では、そういう「社会から距離を取って、孤独になって、ネガティブになる」ということができないんですよね。

 

おそらく狩猟採集時代には、これが自然とできていたんだろうと思います。

狩猟採集時代は、人口は今の1/1000ぐらいで、人口密度も低く、自然が多かった状態です。

また、社会も30人前後、学校の1クラスぐらいの集団で、移動しつつ狩猟や採集をして暮らしていました。

だから社会から離れるのも、自然に触れるのも、すぐにできていたんだろうと思います。

 

ですが1万年前ぐらいから農耕時代になって、安定的に食料が得られるようになって、人口が急増します。

同時に農地が必要なので、土地から移動できなくなり、人口密度の高い都市が生まれます。

こうして「社会から距離を取って、孤独になって、抑圧を解放する」ということが難しくなったんだろうと推測しています。

 

だからその「こんなにひどい私でも、受け入れてくれるの?」という心理は、抑圧を解放するために必要な心理状態です。

そういう人ほど、「人間」ではなく「自然」に対してそのネガティブを向けると、短期間で根本原因を解決できるかと思います。

 

「ネガティブで病んでいる人」ほど、抑圧解放に近い場所にいる

また、そういう「こんなにひどい私でも、受け入れてくれるの?」という心理状態は、抑圧を解放できる直前の状態だと分かります。

つまり、「ネガティブで病んでいる人」ほど、よっぽど抑圧解放に近い場所にいると言えるでしょう。

 

例えば上記の「こんなにひどい私でも、受け入れてくれるの?」と言っている状態って、一般的な目線で言うと、とても病んでますよね。

でもそれは抑圧解放の観点から言うと、「十分なネガティブな状態に入れている」ということです。

 

だから、ポジティブな社会ではそれを「病だ」と言っていますが、実際のところはそれは「根本原因を解決する一歩手前の、救いに近い状態」だと分かります。

私から言わせると、それは病でも何でもなくて、「ありのままの自分を受け入れるための、条件がそろっていない」というだけです。

 

同じように、例えば「中二病」という現象も、あれは「病」ではなく、「治癒過程の副反応」と言う方がより正確でしょう。

なのでそういう心理状態を実現した上で、「人間」ではなく、「自然」にそのネガティブを向けると、ありのままの自分を受け入れられるかと思います。

 

まとめ

いやもう、語ろうと思えばいくらでも事例を出せそうな気がしてくるんですが(笑

 

ただ、そろそろ切り上げたいところだったりします。

長い続き物は、昨日今日初めてこのブログに来た人が、ついてこられなくなりますからね。

 

いやまぁ、「なら本にしろよ」と言われそうですが、今はちょっとネガティブな波を引きずっていて、まだその勢いは出せないんですよ(笑

なのでその3ぐらいで、この事例紹介も一区切りして、その後に今回の「夏の抑圧解放編」は最終回にしようかと思ってます。

 

ということで今日は、抑圧のメカニズムで、さらにいろんな心理現象を説明してみる、というお話でした。

今日はここまで~。

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