今日は、あこがれについてお話ししてみましょうか。
「昔あこがれていた人」に、今なっている
昨日の日記を書いていたふと思ったんですが、私がゲームとか物語にはまったのは、小学生ぐらいの時からですね。
小説は中学生ぐらいからかな、と思ったりもします。
高校の頃では、ゲームにもはまってましたし、二人の兄が買っていた小説が山ほどあったので、それをよく読んでました。
ふと当時のことを思い返してみると、当時の私にとっては、ゲームを作れる人とか、物語を作れる人って、全くの異世界の人だったんですよ。
「こんなすごいものを作れる人は、きっと、とんでもない天才に違いない」みたいに思っていて。
そして当時、夢というものは、「与えられるもの」でした。
ゲームとか小説という形で、「夢を見させてくれる」というものだったんですよね。
でも、その後、それに魅了されて、ひたすら好奇心の赴くままに走り続けていたわけです。
すると、いつの間にか私自身が物語を書いて、ゲームを作って、本を出しているんですよ。
いつの間にか、夢を与えている側になっているわけです。
ふと気がつくと、自分にとっての「昔、あこがれていた人」に、今、自分がなっていると。
いつの間にか、夢を与える側になっている感覚
こういうのは、気がつくと不思議な気分ですよね。
「自分にはできないと思っていたことが、今、できている」ってことですから。
そして、気がつけるというのは、幸せなことですよね。
「ファンがいる」というのは、そういうことなんですよね。
これは、既にプロになっている人もそうですし、その道を目指している人も同じだと思います。
必ず昔に、「こんなことができる人って、天才だ」と思ったような出来事があるものです。
クリエイターとして何かを作っている場合、今、まさにそれをしていることに気づくことですね。
「こんなこと、自分には到底できるはずがない」と思っていたことを、今、しているんだと。
すると、いつの間にか自分が、夢を与えられる側ではなくて、与える側になっているんだと気づくでしょう。
この感覚に気づければ、「結構多くのことを成し遂げてきた」と分かるんじゃないかと思います。
そして、自分よりもより持っている人ではなくて、自分よりも持たない人の方に目を向けられるかなと。
すると、自分よりも持っていない人に、夢とか希望とか、いろんなものを与えられるんだと気づけるでしょう。
そんな風に与えていると、「ああ、自分は十分に豊かじゃないか」と分かるんですよね。
まとめ
なので、「昔あこがれていた人に、今、既に自分はなっているんだ」と気づくことで、より豊かになれるんじゃないかと思います。
すると、変な競争意識とかを捨てられて、十分に与えてゆけるんじゃないかな、と思います。
この不思議な暖かい感情を、是非感じてもらいたいですね~。
結構気持ちいいものなので、感じてみるといいでしょう。
ということで、今日は「昔あこがれていた人」ということでお話ししてみました。
今日はここまで~。