困難は「苦しい」ものではない。
適度な困難は、「面白い」と感じる。
例えばスーパーマリオでも、敵がいたり谷があったりすることで、適度な困難があるから、「面白い」と感じる。
人間には、「バランスよく成長を促すシステム」が備わっている。
例えば食べ物で言うと、「お腹が満たされた」というちょうどの分量を食べた時、「心地よい」と感じる。
必要以上に食べ過ぎたら「苦しい」になるし、足りなかったら「お腹がすいた」となる。
筋肉でも、適度に運動すると「気持ちよく汗をかいた」と感じる。
必要以上でも、以下でも「快」は感じられない。
それと同じように、「学習」についても同じことが言える。
ちょうど能力を伸ばせる程度の難易度になったとき、人は「面白い」という「快」の気持ちを感じるようにできているんだ。
「快」というシステムを備えたからこそ、人は自然と「能力を進化させる」ことができたのだ。
この「面白い」というゾーンに入ると、集中し、めきめきとコツをつかんで、困難を伴いながらも楽しく障害を乗り越えることができる。
この「面白い」をいつも利用すると、楽しく、どんどん能力UPできるんだ。
「石の上にも三年」は、楽しくないならやめておいた方がいい。
例えば子どもで考えてみよう。
料理をさせようとして、難易度では「イモの皮むき」は難易度が高い。
そんなとき、「石の上にも三年」と言って、小学生でろくに包丁を使えないような子に、イモの皮むきばっかりさせたらどうだろう。
確かに「イモの皮むき」だけは、他の人よりもできるようになるだろう。
しかし、そのコツを得る一瞬だけしか面白さは感じられず、残りはずーっと苦しいままで、モチベーションも落ちてゆく。
一方で、料理において「楽しい」と感じるものを、次々と着手させたらどうだろう。
楽しいのでいろんなことをしたくなって、モチベーションもわき、「これができたから、次はこれをやってみよう」と挑戦したくなる。
「面白い」だと、その子にとってはちょうどよい難易度だから、短期間で結果も伴うし、その結果が自信を与えてくれる。
「快」というシステムが、勢いよく能力を育ててくれるんだ。
「楽しいことをしなさい」と教える先人は、同時に「天は、人間に越えられない試練を与えない」とほぼ必ず言っているものだ。
なぜなら、「楽しい」で動いていると、ほぼ必ず「できるようになる」からだ。
だから、「自分に越えられない試練はない」と断言するほどの、すさまじいまでの自信と、高いセルフイメージが備わる。
一方で「石の上にも三年」というスタイルの人には、「我慢しろ」の一点張りで、モチベーションもなく、愛もなく、寛容さもなく、当然のごとくみんな人相が悪く、幸せそうではないことが多い。
「面白い」、「楽しい」というのは、「バランスよく成長を促すシステム」なんだ。
能力を伸ばしたい場合、どんどん「楽しそう」という次元のものに挑戦してみよう。
もしくは、「これは、どうやったらもっと面白くなるだろう」と試行をこらしてみよう。
すると、モチベーションもわいて、自信も出て、能力も身について、結果も出て、それが新たな挑戦をできるようになるんだ。