今日は、久しぶりに宗教的なお話でもしてみましょうか。
今回は、仏教の「前世」というものについて、お話ししてみましょう。
仏教は嘘を多く使う宗教
よく怪しい宗教とかで、前世とか言いますよね。
前世にこうだったから、今がこうなんですよ、とか。
前世って、あると思います?
ちなみに前世という考え方は、輪廻転生という世界観からきているわけなんですが、この輪廻という考え方は仏教独自のものなんですよ。
キリスト教も、イスラムも、神道も、儒教も輪廻なんて考え方はしないんですよ。
バラモン教という、仏教が起こる前のインドで広がっていた考え方があって、そこに輪廻という考え方が普及していたので、仏教にもそういう考え方が入ったと。
で、これが大切なんですが、仏教っていう宗教は、真実をあんまり重要視しないんですよ。
言い換えると、「嘘」を上手く使う宗教ですね。
この嘘を、「方便(ほうべん)」と呼びます。
「嘘も方便」って言いますよね。
「真実ではなかったとしても、その人が救われるなら、いいじゃないか」という、結構柔軟な考え方です。
真実は人を救うのか、という問題
有名な禅のお話で、「放下著(ほうげじゃく)」というお話があります。
ある修行者が、趙州(じょうしゅう)和尚という高名な和尚さんに、尋ねるんですよ。
修行者「私は執着心を捨てきれません。どうしたらいいでしょうか」
和尚「その思いをも捨てなさい」
修行者「やってみましたけど、それでも捨てられないんです!」
和尚「なら持って生きなさい」
あんた、さっきなんて言った!?って突っ込み入れたくなるでしょ(笑
さっきまで「捨てなさい」とか言っていたのが、舌の根も乾かぬうちに、「なら持って生きなさい」と、前言撤回してるわけです。
これが仏教なんですよ。
小さな子を病で失って、泣きわめいている母親がいる。
そこで、母親は医者に、「どうしてあの子は死んだの?」と言うわけです。
一神教的な考え方だと、こう答えます。
「お子さんは、インフルエンザに併発した肺炎が原因で死にました」
いや、確かにそれは疑いようのない「真実」ですが、母親が聞きたい言葉は、そうじゃないですよね。
時に、人は真実のみではどうしようもできないことがあるわけです。
「こういうことを教えるために、あの子は生まれてきたのですよ」とか、「少しでも貴方と一緒にいられて、喜んでいたはずですよ」とか、何か「嘘(方便)」でも使って折り合いをつけなければならないものなんですよね。
確かに真実は素晴らしいんですが、真実だけで生きるには、人は弱すぎるわけです。
心理学者のユングが言っていましたが、「科学で人の病を救うことができなくて、宗教で救えるのなら、宗教を使ってもいいじゃないか」みたいなことですね。
真実だけで救えるようになれれば、それは最高でしょうけど、残念ながら今のところはそうではないことが多々あるわけです。
なら、どうするか。
真実のみを是として、弱い人間を放っておくのか。
それとも、嘘でも使って、その人の力になるのか。
で、仏教はその「嘘を使う」という方を選んだ思想だということですね。
仏教の目的は、悟りの道を歩かせること
そして、壮大な前振りでしたが、話は前世に戻ります。
前世というか、輪廻という考え方は、仏教ではとても役立つ考え方なんですよ。
仏教の一つの目的というのが、「悟りの道」を歩かせることです。
いわゆる、「悟り」を得るという、あれですね。
じゃあ、その「悟り」って何なのか。
究極を言うと、「貴方の人生は、貴方が100%責任を負っていると知りなさい」、これなんですよ。
全部、自己責任ですよと。
人はなぜ嘆くのか。
なぜ苦しむのか。
それは、現実を受け入れられないからなんですよ。
現実を受け入れることができれば、肉体的な痛みはあったとしても、精神的には楽になれるわけです。
だから、目の前にある全ての現実を受け入れること、それが悟りの道を歩いていることになるわけです。
あの人にこう言われて傷ついた。
それは「あの人」が悪いんじゃなくて、貴方に責任があるんですよと。
それは、「あの人」のような人を傷つける人がいるという現実を、受け入れられないから苦しむわけです。
歩道を歩いていたら、車が突っ込んできて、はねられた。
それは、車が悪いんじゃなくて、「歩道だから安全」なんて思い込んで歩いていた貴方が悪いんですよと。
歩道を歩いている善良な市民に突っ込むような、居眠りでもして運転するような人がいるという現実を、受け入れられないから苦しむわけです。
だからその現実を受け入れなさいと。
そして不平不満とか、他者に文句を言うのはやめて、白馬の王子様や救世主、偉大なリーダーが訪れるのを待つのではなくて、貴方が起こしたことなんだから、自力で折り合いをつけなさいと。
そういう、ある種ドライな内容でもあるんですが。
悟りの道を歩かせるために、「輪廻」という嘘を使った
で、「貴方の人生は、貴方が100%責任を持っているんですよ」を、「100%」と言い切るには、一つ自力ではどうしようもないことがあるじゃないですか。
それが、「親を選ぶこと」です。
「人は100%人生に責任を持つとか言うけど、俺たちは親を選べないんだ! 勝手に親が生んだんだ、こんな人生、俺は生まれることなんか願ってなんかいない!」
そう言われたら、おしまいでしょ。
そしてその人は、「俺のせいじゃない」と言って、自分の人生を、目の前の現実を受け入れられないわけです。
で、和尚さんか誰か、昔の人が、考えたわけです。
「なら、親も自分で選んだようにしようやん」と。
そうして、輪廻という考え方が組み込まれたわけです。
輪廻そのものは、まるっきり嘘っぱちです。
でも、それを無理矢理真実とすることで、「その親を選んだのも、実は貴方なんですよ。生まれる前に、これこれこういうことがあって、貴方がそう選んだのです」と、言うことができると。
そうすることで、その人の人生に自己責任を負わせることができるということです。
まとめ
何か悪いことが起こった。
嘆いていたって、始まらないでしょ。
さっさと行動を起こして、さっさと解決しなさいと。
解決できないことなら、あきらめなさいと。
どこかの教会に、ありましたよね。
「神よ、与えたまえ。変えることができることは、変える勇気を。変えられないことは、受け入れる心の静けさを。そして、その両者を見分ける智恵を」みたいな言葉が。
輪廻や前世というのは、これを実現するための手段だと思えばいいでしょう。
そんなわけで、前世というのは、まるっきり嘘っぱちなんですよ。
でも、効果がある嘘、ということですね。
その嘘を、あえて信じなさいと。
すると、目の前の現実を受け入れられるようになって、心が安らかになるし、変えられる現実は変えられるようになりますよ、ということです。
仏教は嘘(方便)を巧みに使う宗教だと言うことを知っていれば、理解しやすくなるかなと思います。
こういうのを知ると、なかなか仏教も面白いでしょ。
ってことで、今日は前世についてお話ししてみました。
今日はここまで~。