昨日からの流れで、今日も子どもの感性についてお話してみましょうか。
私たちは、大人になってゆくに従って、子どもの感性を忘れがちですよね。
あの自由に、ワクワクする生き方っていうのは、素敵なもので。
それを思い出すことで、大好きなこととか、楽しい毎日を作り出せると思うんですよ。
私は最近は、屋外でチェックやら作業をしていたり、散歩もしているので、よく小さい子が遊んでいるのを見るんですよ。
で、その光景を眺めたりするんですよ。不審者だと思われない程度に(笑
そこで、実際に印象に残ったエピソードをご紹介してみようかと思います。
「だるまさんがころんだ」のエピソード
私が散歩をしていた時に、公園で「だるまさんがころんだ」をしてた子たちがいたんですよ。
で、「だるまさんがころんだ」で止まる時に、止まる側はわざと変なポーズをするんですよね(笑
わざと片足で立ったりとか、変な決めポーズをしたりとか。
そうして、片足なのでこらえきれずに動いてしまって、「○○ちゃん、動いたー!」とかなって、鬼も動いた側も、一緒に笑うわけです。
私たち大人って、つい「勝負は真剣に」とか、「勝つことが大切」とか、「効率が全てだ」とか思うものじゃないですか。
「なんでそこで、片足立ちでポーズ決めまでするんだよ!」とか、突っ込み入れたくなるでしょ(笑
お前アホかと。それじゃ負けるだろうと。
でも、そうじゃないんですよね。
「勝たなきゃ意味がない」みたいな人って、いますよね。
でも、「勝ってどうするの?」ってことがありますよね。
「命が奪われる」とか「財産が奪われる」ならともかく、最近ではほとんどが自尊心が得られるとか、お金が得られるとか、有名になれるとか、尊敬されるとか、そういうところですよね。
で、もう少し突っ込んで考えると、「自尊心を得て、お金を得て、有名になって、尊敬されて、どうしたいの?」ってことですよね。
すると、結局は「安心が欲しい」とか、「愛されたい」に行き着くんですよ。
まあ、考えてもみてくださいよ。
欲しいのが「安心が欲しい」、「愛されたい」なら、「勝つこと」は本当にベストな手段なのかと。
「それって、あんたの内面の問題やん!」ってことですよね。
「安心が欲しい」っていうのは、言うなれば「死への恐怖を解決したい」ってことですから。
本当は自分の内面が問題なのに、周囲に勝っても、欲求は満たされないものですよね。
それに、「勝つ」のは大抵、敵を作りますからね。
相手から奪えば、奪い返されるかもしれませんし、相手から奪えば、愛されることなんてないわけですし。
本当は「安心が欲しい」、「愛されたい」なのに、逆にそれを得られなくなることをしちゃってるんですよ。
むしろ、一緒に楽しんだ方が、「安心が欲しい」とか「愛されたい」という目的を達成しやすいかもしれません。
「だるまさんがころんだ」では、鬼役の子は、動く側よりも、少し年下だったと思います。
動く側は年上なので、わざと自分に制約を課して、ゲームを面白くしてるわけですよね。
ハンディキャップをあえて自分につけて、「レベルが違っても、みんな楽しめる」と。
「勝つ」じゃなくて、「楽しむ」がメインなんですよね。
一緒に楽しんだ人って、少なくとも大切にしたいと思うものですよね。
まとめ
私たちは、より豊かになりたいから、豊かに生きていきたいから、何かを追い求めているわけです。
で、豊かさには二つのレベルがあるんですよ。
一つは、物質的な豊かさ。
もう一つは、精神的な豊かさ。
物質的な豊かさって、数に制約があるから、数が少ない状態ではどうしても「奪い奪われ」になっちゃうんですが、日本では今はもう、物質的な豊かさは満たされてきているんですよ。
後は、精神的な豊かさですよね。
すると、「勝つ」から「楽しむ」に考え方を移してゆく方が、より豊かになれるんじゃないかな、とも思ったりもします。
「だるまさんがころんだ」をしていた子たちは、年の差がありましたが、みんなきゃっきゃと笑って楽しんでいたのが、印象的でしたね~。
そういうのも、「豊かさ」ですよね。
ってことで、今日は子どもの感性についてお話ししてみました。
本当はエピソードは3つあって、あと2つもエピソードが残ってるんですが(笑
いつものごとく長くなってしまったので、残りは機会があればまた後日。
今日はここまで~。