今日は、私たちが本当に望んでいるものは何だろうか、というお話をしてみましょうか。
子どもは「好きなものに価値がある」で動いている、というお話です。
「やる気が欲しい」とか「生きるエネルギーが欲しい」みたいなことはあると思います。
じゃあ、どうすればそういうやる気や生きるエネルギーが得られるのか。
子どもの様子から、それを見てみることにしましょう。
「これ欲しい」、「そんな安いもんでいいのか!?」
私の知っている地元の人が、ブログをやっているんですよ。
その人は一男一女の父で、上の子が小学生の男の子なんですよ。
で、その男の子が誕生日を迎えるに当たって、その人が「誕生日、何を食べたい? 何でもいいぞ」と言うわけです。
すると、男の子は嬉々として答えるんですよ。
「カツオのたたきを、腹いっぱい食べたい!」と。
そして、その人(父親)は、条件反射的にこう思ってしまうわけです。
「そんな安いもんでいいのか!?」と。
実はこれって、考えてみると恐ろしいことですよね。
いつの間にか私たちは、「高価なものほど価値がある」と思い込んでいるわけです。
「何が欲しい?」と言われて、どう答えるでしょうか。
「高級ステーキ」とか「高級ワイン」、「車」、「家」、「大金」みたいな、「金銭的価値が高いものが欲しい」と、条件反射のように答える人がいますよね。
そして、それを得るために、人生を費やしてしまうと。
「好きなものに価値がある」という感性
でも、私たちが本当に欲しいものとか、本当に望んでいるものって、それなんだろうかと思うわけです。
実は、「カツオのたたきを、腹いっぱい食べたい」ぐらいのものじゃないのかと。
その感性を忘れてしまっているだけなんじゃないのか、とも思ったりもします。
子どもの頃は、「好きなものに価値がある」ですよね。
人生を、できるだけ「好き」で満たそうとするわけです。
こういう状態だと、自分軸がしっかりとできますよね。
「お得だから」とか、「安いから」、「損をしないように」とか、全くありませんからね。
「好き」って、損得勘定を越えたものですから。
そして、楽しさとか、喜びとか、やる気とか、そういう生きるエネルギーって、そういう損得勘定を越えた場所にあるものなんですよ。
だから、子どもはセミの抜け殻をひたすら集めたり、蝶々を捕まえようとしたり、大人にとっては意味不明で役にも立たないことに情熱を傾けられるんじゃないかと思ったりもします。
意味がなくても、損をしても、時間を無駄にしても、「それでもそれを実現したい」という世界なんですよ。
価値基準が違うんですよね。
まとめ
もし、「やる気が出ない」とか、「生きるエネルギーが出ない」という場合、価値基準を見直してみるといいかもしれません。
いつの間にか、私たちは「高価なものがいい」という価値観になっているんですよね。
そしてそれは、実はあんまり面白くない世界なんですよ。
逆に、「損得勘定を越えた部分」に目を向けてみるのがいいんじゃないかと思います。
「お金を損してもいい。これが好き」
「時間を無駄にしてもいい。私はこれをやってみたい」
「人生を無駄にしてもいい。こっちに行ってみたい」
そういう感性を大切にすると、エネルギーが出るんじゃないかと思ったりもします。
ちなみに冒頭の男の子は、誕生日に大好きなカツオのたたきを腹いっぱい食べられて、大満足だったそうです。
「大好きなことで、大満足」
これって、とても素敵なことですよね。
この「大満足」を最後にしたのはいつでしょうか。
思い出せるでしょうか。
そして、この「大満足」は、実は今日にでもできることじゃないでしょうか。
そう考えてみると、ぐっと人生が面白くなるんじゃないかなと思います。
ということで、今日は「好きなものに、価値がある」というお話をしてみました。
今日はここまで~。