今日は、コンプレックスについてお話ししてみましょうか。
「気にしていることでも、堂々としていればいい」、というお話です。
気にしていることを言われて、どう対応するか
今日、ちょっとした記事を見たんですよ。
それは、「結婚しても子どもができずにいるのに、周囲からは『どうして子ども作らないの?』といつも言われる。どうして気にしていることをわざわざ言うの!?」みたいな。
こういうことって、よくあると思うんですよ。
就職していなければ、就職している人から「どうして就職しないの?」と言われたり。
結婚していなければ、結婚している人から「どうして結婚しないの?」と言われたり。
お金に余裕がないのに、お金に余裕がある人から「どうして海外旅行に行かないの? どうして車を買わないの? どうしてあのバッグを買わないの? どうして家を買わないの?」とか言われたり。
そして嘘をついたり、ごまかしたりして、みじめな気持ちになったりするわけです。
でも、気にしていることがあったとしても、堂々としていればいいと思うんですよ。
背筋を伸ばして、「私は今まで必死に、精一杯生きてきた。これが私の現状だ」でいいかと思います。
精一杯生きてきたのであれば、何を恥じる必要があるんでしょうか。
人には、いろんな制約がある
それは、車椅子の人に、「どうして歩かないの?」と言っているようなものです。
もしくは、旦那を事故や病か何かで失ったり、離婚して、女手一つで子どもを育てている人がいるかもしれません。
そんな人に、「どうして旦那作らないの?」と言っても、その問いかけ自体がナンセンスですよね。
「できるならやってるよ」と言いたくなるでしょ(笑
人には様々な環境があるものです。
体に障害を抱えていたり、精神的な枷があったり、人も自分ですら気づかないような制約や障害があったり、いろんな個別の問題を抱えているものです。
私たちは先進国にいますが、アフリカや中米の一部の国とか、北朝鮮とかでは、どんなにあがいても覆せないような制約だってあるものです。
そんな中で、私たちは精一杯生きているわけです。
その人が簡単にできたことだからって、他の人にもそれができるとは限りませんよね。
だから、「私は今まで、精一杯生きてきた。今の状態が、私の精一杯できたことだ」と胸を張ればいいわけです。
そして、「私は車椅子だけど、それでも自分にできることを精一杯して生きています」、「私はシングルマザーだけど、それでも自分にできることを精一杯して生きています」でいいんですよ。
何も恥じることはありませんよね。
幸せとは、「状態」ではなく「向き」
そもそも幸せっていうのは、「何を持っているか」ではなくて、「どちらに向いているか」かなと思います。
状態ではなくて、方向なんだと。
しっかりと目の前を見て、自分が進みたい未来の方向に目を向けていれば、それで幸せなんですよ。
車椅子でも、シングルマザーでも、前向きに生きている人は輝いていますからね。
同じように、子どもができないとか、結婚できないとか、就職できないとか、友達や仲間がいないとか、性格に問題があるとか、お金に問題があるとか、他にも気になることがあったとしても、前向きに生きていればいいんですよ。
「今、私はこういう問題があって、それに挑みつつ、真剣に生きています」と胸を張ればいいわけです。
すると、それを持っている人に対しては、「貴方は幸せね。それが楽に手に入って」と、相手を素直に祝福することができます。
同時に、私たちは、日本に生まれたこととか、戦争のない国に生まれたこととか、明日食べるものがある状態だとか、そういう「楽に手に入ったもの」に気づけるようになります。
そして、「ああ、生きているだけでもありがたいな」と、感謝の気持ちが芽生えるわけです。
それでも相手が「それを持たない」ことをあざ笑うのであれば、そういう人とは付き合わないことですね。
そんな人たちに囲まれるぐらいなら、一人でいた方がよっぽどマシです。
一人きりでも、胸を張って生きていれば、次第に応援してくれる人が出てきます。
だって、どんな逆境にいたとしても凛々しく前を向いている人って、格好いいでしょ。
それに、堂々としていたら、それだけで周囲がうらやむんですよ。
子どもができなくても、「夫婦で余裕があるから、毎週デートできるのよ」って、笑顔で堂々と答えればいいわけです。
だったら、周囲はそんな状態をうらやましく感じるようになるんですよね。
私が気にしていることを言われたら、どう答えるか
私ならどう答えるか、ということもお話ししておきましょうか。
私自身が「どうして結婚しないの?」とか、「どうして子どもを作らないの?」、「どうして億万長者にならないの?」、「どうして数え切れないほどの人脈や友人を作らないの?」とか言われたら、どう答えるのか。
おそらく、「私は今まで精一杯生きてきたから、今持っているものが全てだね」と答えるでしょう。
また、「それを持つ能力や縁は、今のところ私は持っていないようだね」、「君は幸せ者だよ、それを得られて」と、素直に認めて、相手の幸せを祝福するでしょう。
結婚している人であれば、よきパートナーを見つけられたこと。
子どもがいるのであれば、可愛い子に恵まれたこと。
お金が十分にあるのなら、そんな多くのお金に恵まれたこと。
とても素敵なことですよね。
だって、世の中には今も戦場に立っていたり、1日に2ドル以下で生活していたり、難民キャンプで暮らしていたり、荒廃した土地で希望もなく日々を過ごしている人だって多いんですから。
そして、私が持っているとても大切なことを語って聞かせるでしょう。
それは、命があることかもしれませんし、前向きに生きられていることかもしれません。
こんな風に、話を聞いてくれるファンがいてくれたり、私の本を励みにしてくれる人がいてくれることかもしれません。
大切な仲間がいたり、明日食べるものがあったり、自由な時間があったり、五体満足な健康があることかもしれません。
そして何より、希望を持って生きていられること。
そんな「大切なこと」に深く感謝していると話して聞かせると、おそらく相手はそれ以上は「どうして○○を作らないの?」などとは言わなくなるでしょう。
そして何度か語って聞かせれば、人を見下したい人なら別の人のところに行くでしょうし、幸せな人であれば恵まれた点を共に感謝するようになるでしょう。
で、私の周囲に残るのは、自然と感謝の気持ちを知っている人だけになるわけです。
すなわち、相手からの嘲笑を克服するのは、感謝の気持ちだということですね。
まとめ
だから、気になることがあったとしても、堂々としていればいいんですよ。
自分が手にしているもののありがたさや、大切さに気づけばいいでしょう。
「私はそれは持っていない」と素直に認めて、「だけど大切なものはいっぱいあります」で、自分の恵まれた点と希望とを語るといいでしょう。
すると、「気にしていること」は、さほど気にならなくなります。
そして、前向きに生きられるようになるんじゃないかなと思います。
だいたい、気にすることなんてないんですよ。
精一杯生きていたら、それで十分輝いているんですから。
そのほかの「持っているもの」とか「ステータス」なんて、精一杯生きている輝きに比べたら、ぜーんぜん輝いてもいない、どうでもいいものでしかありませんから。
それが分かると、自分本来の輝きが生まれるんじゃないかなと思います。
ということで、今日は「気にしていることでも、堂々としていればいい」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。