今日は、私の感覚的なお話をしてみましょうか。

実は多くの人は、「生きる意味」なんて求めていない、と気づいたことのお話です。

 

「実は多くの人は、『生きる意味』なんて求めていない」と気づいたこと

私は作品を通して、「生きる意味」というのを常に意識していたりするんですよ。

まぁこのブログでもよくそういう話をしているので、「何を今さら」って感じでしょうが(笑

でも、最近になってようやく気づいてきたことがあるんですよ。

それは、「実は多くの人は、『生きる意味』なんて求めていない」ということですね。

 

私の場合は、結構幼い頃から、「生きる意味」というのが必要な状態でした。

まぁそれがなければ生きていけないような家庭環境だったから、ということもあるでしょうが。

だから、当然「多くの人が、生きる意味を毎日探しながら、生きている」と思っていたんですよ。

 

でも、大学に入って、社会に出て、いろんな人と知り合ってゆく上で、「実はそうではない」って気づいていったんですよ。

私のように「生きる意味」を考えて生きている人なんて、むしろ少数派で、大多数の人は、そんなこと何も考えずに毎日を適当に過ごしているわけです。

最初にこれを気づいた時には、結構衝撃だったんですよ。

だって、「え? 何も考えてないの?」みたいな感じだったわけですから。

 

それはただ朝起きて、ご飯を食べて、学校や会社に向かって、帰ってご飯を食べて、寝る、みたいな。

そこにいることに、それをしていることに、何の疑問すら持たずに、毎日を繰り返しているわけです。

ほとんどの人が、自分の「特殊な状態」を「当たり前」だと思って、「え? これが普通じゃないの?」と言うわけです。

私から見たらどんなに珍しい境遇だったとしても、彼らにとっては「普通」であり、「わざわざ疑問に思うほどのことでもない」なんですよね。

 

「普通」なんてものはない

すると、「普通」なんてものはないんだな、と分かるようになって来た気がします。

私が抱えていた「生きる意味を探しながら生きる」というのは、全然普通ではなくて、むしろ特殊な状態だったんだと。

 

で、もしそんな「普通」がないのであれば、私たちはいくらでも変われますよね。

だって、周囲の人たちが持つ「普通」や「常識」なんて、所詮偏ったものでしかないんですから。

日本を一歩出るだけでも、おそらく多くの「普通」が通用しなくなると思うんですよ。

じゃあ、地球から宇宙に飛び出してみると、おそらくもっと変わってゆくかなと思います。

 

まとめ

そういう大きな視点から自分の境遇を見下ろしてみると、ちょっとのしがらみとか、ちょっとの固定観念とか、簡単に壊せますよね。

すると、「私はこっちに行ってみたい。じゃあ、行ってみよう」と、素直に行動できるようになるんじゃないかと思います。

 

人はよく、「普通はこうするでしょ」とか言いますよね。

でも、「普通」ということをよくよく考えてみると、そんな風に感じたりもします。

 

ま、今日はそういう感覚的なお話をしてみました。

今日はここまで~。

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