今日は、ちょっと精神的なお話をしてみましょうか。

人生の「元を取る」という感覚についてのお話です。

 

「独立して元を取った」という感覚

まぁご存じの方も多いでしょうが、私は会社勤めから独立して生きるようになったんですよ。

で、「会社勤めの人生」というのは、私にとっては「他人の価値観による生き方」でした。

すなわち、「他人の人生を生きていた」と言えるでしょう。

一方で「独立して、好きなことをして生きる」というのは、私にとっては「自分の人生」だと言えます。

 

で、ここ最近になって、ようやく「元は取ったな」という感覚になってきたんですよ。

すなわち、「今まで自分の人生を送って生きた喜びの総量」>「他人の人生で生きた時に得られる、喜びの人生全てでの総量」になったと。

一生他人の人生で動いた時の喜びよりも、既にここ10年ぐらいで得た喜びの総量の方が、多いなと。

だから、「独立した元は取ったな」という感じです。

言うなれば、「60年間他人の人生を生きるよりも、10年自分の人生を生きた方が、喜びの量は多い。しかもその上、時間が50年余ってる」ということですかね。

 

「人生の元を取る」という感覚

最近思うようになってきたのが、「人生の元を取る」という感覚ですね。

例えば自分にこう問いかけてみるといいでしょう。

「今の自分にとって、楽しさと苦しみは、どちらが多いだろう?」

で、楽しさが多い人ほど、収支はプラスになります。

逆に苦しみの方が多い人ほど、収支はマイナスになります。

 

そして、それを人生で積み重ねた「喜び預金口座」みたいなものがあるわけですね。

幼い頃から苦しいことばかりを経験していた人は、その口座はどかーんとマイナスになっていることでしょう。

逆に、楽しさの方が多かった人は、口座はプラスになっていることでしょう。

 

で、「幸せ」とは何かと言うと、「収支」になるんですよ。

今の方向性だけなんだと。

預金口座のプラスマイナスや、その大きさは、一切関係ありませんよと。

今がプラスであれば、幸せに感じます。

 

そして、プラスを積み重ねていくと、いつか預金口座がプラスになる時が来ます

そのときに、「あ、生まれてきてよかった」と感じるようになるんですよ。

おむすび一個を食べた瞬間、「あ、おむすび一個を美味しく食べられた。その分、得した。生まれてきてよかった」と感じます。

すると、どんどん楽しさや喜びを積み重ねようとしていくわけですね。

 

それが、最近の私の感覚です。

なんか、「ああ、生まれてきてよかったな」という、人生での「元を取った」という感じなんですよね。

 

「自分の人生」を生きると、すごいスピードで口座がプラスになってゆく

人生初期の段階で、大きな苦しみを背負う人がいます。

私もそうでしたし、このブログを見ている人は、ほとんどがそういう人なんじゃないかと思うんですが。

親の浪費で、幼い頃にいきなり口座に大きな借金を抱えて生きるようになった、そんなマイナスの状態です。

生まれてからずーっとマイナスなので、口座がプラスになったことがないんですよ。

その上、収支もずっとマイナス状態だと。

だから、「生きるのがつらい」とか、「自分はダメな奴だ」、「クズだ」、「生きる価値がない」などと思ってしまっていると。

 

ただ、それは変えられる、ということですね。

口座には膨大なマイナスがあったとしても、自分の人生を生きていれば、結構短期間にチャラにできます

私の場合、「喜び預金口座」については、去年の8月に劣等感を解決してから、ようやく収支がプラスになりました。

1年もたたずに、これまで長い間マイナス状態だったのが、一気に精算されたと。

結構圧倒的なスピードでしょ。

 

まとめ

自分の人生を生き始めて、収支をプラスにできるようになると、それぐらい劇的に変わってゆく、ということです。

そしてあるときふと、「あ、元を取った」と感じる日が来ます。

そのときになって初めて、「ああ、生まれてきてよかった」としみじみと感じる、ということですね。

人生の預金口座が初めてプラスになった、その感動というか、感激ですね。

 

私はずっとそういう感覚を求めていたんですが、なんか最近、それを感じるようになったので、今日はそんな「元を取る」というお話をしてみました。

ってことで、今日はここまで~。

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