今日は、時代についてお話ししてみましょうか。

今は、「どちらが正しい」ということが混乱してゆく時代だというお話です。

 

「糖質制限」は正しいのか間違っているのか

ちなみに私は健康オタクで、いろんな健康法をやっていたりします。

過去には「寝る前に牛乳+蜂蜜がいい」と聞けばやってみたり、「玄米食がいい」と聞けばやってみたりと。

で、実際にどうだったかを人体実験して、取捨選択していって、ブラッシュアップしていってます。

ちなみに「牛乳+蜂蜜」、「玄米食」、「朝のヨーグルト」などは、今は全部やめました(笑

 

で、今はそれら全てを置き換えられる「糖質制限」という健康法をやってるんですよ。

元々人間は500万年もの間、炭水化物(糖質)は食べてなかったんですよね。

麦や米を食べ始めたのは、たった1万年前からで。

だから、人間の体は雑食とはいえ、消化器官は肉食(タンパク質食)的な構成になってます。

他にもいろいろ理由はあるんですが、私の中ではこれが一番「理にかなってる」と感じたんですよ。

 

で、実際にやってみて健康的に絶好調なので、続けてます。

まぁ私のことなので、いつまで続くかは分かりませんが(笑

 

糖質制限って元々、糖尿病対策の食事療法だったんですよ。

それを健康法として持ってきていると。

で、糖質制限をやっている人の間では有名なんですが、実はこの糖質制限、「日本の糖尿病学会から強烈に反対されている」んですよ。

日本の専門家である医者たちが集まる、しかもその専門である糖尿病学会ですよ。

そんな専門家集団たちが、研究データを元に、一斉に糖質制限を批判しています。

 

一方で、糖質制限を普及させようとしている医者たちもいます。

彼らはだいたい、雇われだったり、小さめの病院にいる医者なんですが。

彼らも研究データと成果を元に、糖質制限で成果を上げています。

 

「なら、どちらを信じるの?」という問いかけ

「なら、どちらを信じるの?」ということですよね。

双方には双方の言い分があるわけです。

いったい、どちらが正しいのか。

 

ここで多くの人が、「現状維持」を選ぶものなんですよ。

「分からない場合、とりあえず現状維持が安全だ」みたいな。

それは、現状維持が最大の目的である人たち(同調型、外向型、社会維持型の人たち)がこれをよくやるものです。

でも、「これを実現したい」という何らかの目的があって生きている場合、満足ができていない分野において「現状維持」を選ぶことは、ただの愚策ですよね。

為したいことがあるなら、現状から出なきゃいけないわけで。

 

すると必ず、「なら、どちらを信じるの?」という問題が出てくるものです。

糖質制限というのは、一つの象徴でしかありません。

「会社を辞めると、ひどい人生になるよ」という言葉を信じるのか、それとも「大好きなことで生きられるようになると、人生が充実するよ」という言葉の、どちらを信じるのか。

「あの嫌な人との付き合いをやめると、苦しむよ」という言葉を信じるのか、それとも「あの嫌な人とさっさと別れた方が、苦しまずに済むよ」という言葉を信じるのか。

「貴方は無価値だ」という言葉を信じるのか、それとも「貴方には価値があるよ」という言葉を信じるのか。

それぞれの専門家たちや、素人が、それらの情報を私たちに投げかけてくるわけです。

 

すなわち、「どちらが正しいのか、混乱してゆく」ということですね。

今までは、専門家の言うことに従うのが正解であることが多かったことでしょう。

でも、ネットがここまで普及してくると、「専門家よりも素人の方が詳しい」ということが、結構起きてきたんですよね。

 

というのも、素人は知らなかったらネットで検索するでしょ。

すると、時代に合った、最先端の情報が入ることもあるわけです。

一方で専門家は、「古い知識や常識」を引きずったままであることが結構あると。

専門家が「ゲームは専用機でプレイするものだ」みたいな常識を持っていたら、一瞬でスマホゲームに市場を奪われた、みたいなことがよくあるわけで。

iPodが出たときでも、「何千曲と持ち歩くなんて、意味ないし、そんなに大量に聴けるわけない」とか言う「専門家」はたくさんいましたからね。

 

同人がいいのか商業がいいのか、独立がいいのか雇われがいいのか、日本がいいのか海外がいいのか、攻める方がいいのか守る方がいいのか、いろいろあるわけです。

これからの時代、どんどんそういう「正解」が混乱してゆくことでしょう。

そういう時代なんだということですね。

 

結局は、「自分で判断する」こと

同時に、専門家だからといって信用できるわけではないし、素人だからといって信用できないわけでもないと。

だったら結局、「自分で判断する」ことなんですよね。

 

例えば糖質制限をやっていると、私はどちらの情報も手に入れるんですよ。

で、実際に、糖質制限推奨側の理屈により納得して始めているわけですが、糖尿病学会側も、「反対したい気持ちは分かるな」と感じることもあるんですよね。

というのも、「糖質制限」という試み自体が試行錯誤の状態で、いわば「新境地で模索している段階」なんですよ。

 

糖質制限自体は優れていても、実際に食べていると「牛肉や豚肉、鶏肉を主体にするのは少しずれているかも」とか感じるわけです。

ひょっとすると、人間は長い間、魚と昆虫を食べていたのかもしれません。

大型獣は、同じタンパク質でも、美味しいけれども、ちょっと種類が違うんだと。

私の体調から、そういう微妙な違和感があるにはあるんですよ。

 

言うなれば、Amazonが電子書籍端末Kindleをリリースしたばかりの頃と同じです。

初期の電子書籍端末には、タッチパネルがなかったからか、キーボードとかついてましたからね(笑

「新しい考え方」は、流れ的には正しくても、部分的には間違っていることもあるわけで。

 

だから、私は今の糖質制限のスタイルが完璧だとは全く思っていないし、どんどん自分に合わせて調整してゆくと。

「新境地で模索する」というのは、こういうことだと思うんですよね。

いや、だからといって、今から昆虫食をするわけではありませんが(笑

まぁ私は性格的に、蜂でもイナゴでも大丈夫だとは思いますが、やっぱり牛とか豚の方が好きですし(笑

 

まあそれはさておき、現状から出たい場合、自然と「なら、どっちを信じるの?」という問いかけになりやすいですよね。

でも、その「どっちを信じるの?」というのは、現状維持社会での発想のような気がします。

「会社を辞めると、ひどい人生になるよ」という言葉を信じるのか、それとも「大好きなことで生きられるようになると、人生が充実するよ」という言葉を信じるのか。

こう言われると、なんと言うか、とても制限されているような感じがするんですよね。

「現状から出たら、死にますよ」、「現状にいたら、生き続けられますよ」という二者択一にしてしまっているかのような。

 

「信じるものが、完成形ではない」ということだって、あるわけです。

なら、「貴方は無価値だ」を信じるのか、「貴方は価値がある」を信じるのか。

「生きる価値などない」を信じるのか、「生きている価値がある」を信じるのか。

「我慢して生きることが素晴らしい、いつか報われる」を信じるのか、「大好きなことをして生きるのが素晴らしい、すぐに幸せになれる」を信じるのか。

 

私の感覚から言うと、「どっちが正しい」ということはなさそうな感じがします。

まぁ「お肉を食べると太る」、「おにぎりやうどんだけで食事を済ませれば太らない」みたいな都市伝説を今でも信じている人はさすがにいないでしょうが、「穀物や砂糖をどんどん食べる方が、人間の食生活としては自然」という情報は、多くの人が信じてますよね。

「私はゴミだ」という情報を信じている人もいますし、「我慢して、自分を殺してでも他の人に尽くさなければならない」という情報を信じている人もいるわけで。

 

ただ、新境地にいると、「それでもいいんじゃないの? 自分の好きにすればいい」という感覚になります。

新境地では、間違ったことをすれば、しっかりと自分に跳ね返ってきますからね。

そうやって前に進んでいく、という生き方もある、ということです。

 

まとめ

そんな風に、「どちらが正しいのか」というのは、今後はどんどん混乱していく時代になってゆくかと思います。

現状で満足していて、現状維持をしたい人は、現状維持でいいと思うんですよ。

ただ、現状を変えたい場合、正解を求めようとすればするほど、時代に乗り遅れることになるかと思います。

正解が出た頃には、「新境地」そのものが既に「現状維持社会」になってますからね。

 

この変化の時代を、新境地で生きるには、そういう「模索」が重要になるんじゃないかなと思ったりもします。

 

ということで、今日は「どちらが正しい」ということが混乱してゆく時代、ということでお話ししてみました。

今日はここまで~。

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