今日は、ビジネスっぽいお話をしてみましょうか。

「好きなことをして生きたい場合、メジャーにつながる必要はあるのか」、というお話です。

 

「同調型人間」と「こだわり型人間」

一昨日の記事(「デビュー作で大ヒットすると、後が苦しい、というお話」)で、「同調型人間」と「こだわり型人間」についてお話ししましたよね。

この二つの区切りはなかなか私の中でもぴったり来る概念で、この考え方を使えば、結構多くのことを解説できるようになると分かってきました。

なので、今日はちょっとこの二つについて、しっかりと解説してみましょうか。

 

簡単におさらいしておくと、世の中には「同調型人間」と「こだわり型人間」の2種類がいます。

「同調型人間」は、人口の80%ぐらいを占める大多数の人で、あんまりこだわりはなくて、「みんなが見ているから」、「みんなが持っているから」で欲しがるような人になります。

「こだわり型人間」は人口の20%ぐらいの少数派で、周囲にはさほど影響されずに、自分なりの価値観を持ってこだわる人です。

 

で、「同調型人間」って、以前も説明したように、特定の人のファンになることはありません

彼らは「みんなが見ているから」で動くことになります。

このタイプの人たちがよく言う言葉は、「ねえ、あれ見た?」ですね。

よくあるでしょ、「ねえねえ、あれ見た?」、「見た見た、これがこうだったよねー」、「そうそう、それで、あれがこれで」みたいな感じの会話が(笑

映画でも本でも、テレビでも雑誌でも、何でもそうです。

 

これは、彼らの中では、「他の人と会話のネタにできること」>「作品を楽しむこと」、という関係性があるからですね。

はっきり言うと、彼らにとっては「モノ」は何だっていいんですよ(笑

会話できさえすればいいんですから。

その作品の質は、まぁいい方が当然いいですが、質が悪くても刺激的であれば、話は盛り上がるものです。

言うなれば、「刺激的」や「非常識」であればあるほど、会話が盛り上がって楽しめることになります。

これはまたいつかお話しますが、彼らにとっては、「社会の中で、自分のポジションを維持し続けること」が最も大きな関心事で、重要事項なんですから。

 

だから、例えば「宮崎駿監督作品」とかでも、同調型人間は「みんなが見ている宮崎駿作品」だから見るわけです。

もしみんなが見ておらずに、話題にも全然していない場合、彼らはそんな「誰も話題にしない宮崎駿作品」には興味を抱きません。

「う~ん、宮崎駿でも、それはパス」となります。

 

逆に、こだわり型人間は、「作品を楽しむこと」>「他の人と会話のネタにできること」になります。

「自分が楽しむこと」が重要なわけですね。

だから、誰も見ていなくても、一人でも楽しむと。

それは、こだわりを持っているからですね。

これもまたいつかお話ししますが、こだわり型人間にとっては、「自分なりの新たな境地を切り開くこと」が最も大きな関心事で、重要事項になります。

 

同人作品を楽しむ人って、そういうこだわり型の人が多いと思うんですよ。

同人誌を買う人とか、「加賀さん本なら全部買う!」、「この作者の本なら全部買う!」みたいなノリでしょ(笑

「このジャンル」、「この作者」にこだわりがあるから、一般向けの商業では満足しきれずに、同人に手を出すわけです。

 

「同調型人間」が引き起こす、不可思議な現象の数々

私はド級のこだわり型人間ですが、ずーっと不思議に思っていたことがあったんですよ。

それは、映画館で行列を作る人がいるじゃないですか。

私、あれがずっと不思議でたまらなかったんですよね。

だって、映画なんて半年もしたらレンタルビデオ屋に、今ならAmazonのインスタントビデオとかに並びますよね。

なら、家でくつろぎながら、ボリボリと音を立ててお菓子を食べつつ、時にスマホをいじりながら、なおかつ一時停止をしてお茶をついだりトイレに行きつつも、見ることができるわけです。

全ての映画を半年ほどタイミングを遅らせて見れば、安くて、最高の環境で映画を楽しみ続けられるじゃないですか。

 

じゃあなんで、それをせずに、わざわざ行列を為して待って、狭い席で2時間も座りっぱなしで、スマホも見ることができず、大声で笑うこともできず、トイレにも行きにくいような劣悪な場所で、高いお金を出して見るのか。

その理由が、「他の人と会話できるから」だったからなんですね。

「ねえねえ、あれ見た?」と言われて、「見た見た」と言いたいがために見る、ということです。

半年後にレンタルビデオで見るのでは、それができないんですよ。

それは、今、みんなが見ていて、今、みんなが話題にしている時に見なきゃダメなんだと。

 

つい最近それが私の中で判明して、これは結構衝撃だったんですよ(笑

「そうか、彼らは同調型人間で、作品よりも人と会話できることを重視しているからなのか」みたいな。

 

映画や小説でも、時々、中身は全然たいしたことないのに、超ブレイクするような作品ってありますよね。

宮崎駿とかスピルバーグとか、連続してヒット作を出すのはやはり才能があるからこそでしょうが、単発で、内容もよくないのに大ヒットすることが時々あるじゃないですか。

それも、同調型人間が「会話にできれば何でもいい」みたいな価値観から起こっていることですね。

 

「メジャーでブレイクする」ことは、目標として適切なのか

こういう現実を前にして考えると、「大好きなことをして生きていきたい」という欲求を持っている場合、「メジャーでブレイクすることで、それを叶える」という手段は、果たして効率的な方法なのか、ということですね。

だって、メジャーで扱っているのは、「同調型人間へ売ること」ですからね。

繰り返しますが、彼ら同調型人間は特定クリエイターのファンになることはありません。

いくら「宮崎駿監督作品」でも、「話題になっていない宮崎駿監督作品」は見ないわけですから。

 

じゃあ、メジャーなら「こだわり型人間」への宣伝効果があるのかというと、今ではそうでもないんですよ。

「メジャーで大々的に広告を打ってもらえれば、多くのこだわり型人間にも届けられる」とか思いがちですよね。

ちょうど私たちが幼い頃は、まさにそうだったんですよ。

そして、それが作家志望者にとっては唯一とも言える方法で、しかも最大の成功法則でした。

 

でも、ネットが普及した今の時代、SNSでコアな人たちは集まっているものなんですよ。

加賀さん好きなら「加賀さん好きコミュニティ」があるでしょうし、金剛が好きなら「金剛好きコミュニティ」があると。

なければ自分で作っちゃえばいいわけです。

なら、そこにつながりさえすれば「こだわり型人間」にはつながるので、メジャーで扱う必要性はないですよね。

 

あるとすれば、「同調型人間に多く売って、一時的に多くのお金が入ってくる」ということです。

ただ、「売れている状態」から落ちた場合、すなわち同調型人間が話題にしなくなったとき、その犠牲は、「それ以降の成長する喜びが失われる」ということです。

少しずつでも上昇していく興奮や喜びが、ぜーんぶなくなります。

「うおー、初めて電子書籍を作ったどー!」、「初めて他の人から感想をもらえて、喜んでもらえた!」、「初めてAmazonランキングに載った!」、「初めてファンができた!」、「初めて絵描きさんと協力してできた!」、「初めて紙媒体の本になった!」、「初めてアニメ化された!」、「初めて映画化された!」

みたいな段階的な喜びが、全部消えます。

 

また、その「メジャーにたどり着く」までに、新人賞とかスカウトとか、そこに応募し続けなければならないと。

なら、いったい、いつになったら新人賞を取れるんでしょう?

それなら、自分で「私はこれにこだわっています」という領域、すなわち「自分の土俵」を作って、SNSにつながる方が手っ取り早いんじゃないでしょうか

その方が圧倒的に早く、しかも着実にお金になって、ファンができて、人生の早い段階から大好きなことをしてお金を得て、生きられるんじゃないかなと。

 

さらには、そういう「私はこれにこだわっています」という領域は、「大好きなこと」ですからね。

大好きなことを極めれば極めるほど、ファンができてゆく。

だから、楽しくできて、楽しく作り続けられるわけです。

 

しかも、そこでできたファンはゆっくりと増減するので、「減ってきたな」、「増えてきたな」という流れが分かりやすいんですよ。

同調型人間に売っている場合、どーんと上がって、どーんと落ちますからね。

いつ売れるか分からない、いつ落ちるか分からない。

そういうスリリングな状態で構わないのならいいでしょうが、安定した収入を得たいのであれば、ファンに売る方がいいものです。

 

どのみち長期的に続けるならば、「こだわり型人間」であるファンを作る必要があります

日和見な「同調型人間」は、ファンではなくて、あっさりと消えていく客層ですからね。

「大好きなことをして生きていきたい」という場合、そんな同調型人間に売るために、メジャーに取り入ろうと長期間をかけるのは、無駄が多いんじゃないかなと思ったりもします。

だったら、最初から「こだわり型人間」につながればいいんじゃないかなと。

 

まとめ

そんな風に、「同調型人間」は、結構次々と好みの対象を変えていくんですよ。

逆に、「こだわり型人間」は、長期的にファンで居続けてくれると。

そして、メジャーは同調型人間に売っている。

同人や自前でやれば、こだわり型人間であるファンを確保できる。

 

メジャーを目指し続けるのに疲れたら、自前でファンを作ってみるのもいいかもしれません。

少なくとも私は、そのおかげで人生の早い段階から、大好きなことをして生きられるようになりましたからね。

そういうアプローチもありますよ、ということでお話ししてみました。

 

ってことで、今日は「好きなことをして生きたい場合、メジャーにつながる必要はあるのか」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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