今日は心理学というか、生物的な性質についてお話ししてみましょうか。

一ヶ所に豊富にあると、奪い合うようになる、というお話です。

 

自然の鳥と都心の鳥で、性格が違う

自然の鳥と都心の鳥。性格が違うのには理由があった(Gizmodo)

内容を簡単に言うと、都会のスズメの方が、エサが豊富にあるのに、その場所を確保するために攻撃的になる……というものです。

 

ある傷治療のお医者さんが、こうコメントをしていたので、以下引用です。

野生のチンパンジーは自然な状態では食料を見つけると群れの他のメンバーを呼び寄せてみんなで平等に食べようとしますが,餌付け(=決まった場所に沢山の餌を置く)をすると個体同士が闘うようになり,どんどん暴力的になっていくそうです。
「限られた場所で楽に食料が得られる」という状況が暴力を誘発するようです。

 

これはまさに、人間社会でも同じだと思うんですよ。

豊かさが限られた場所に集中すると、人は争うようになってしまうと。

 

すると、争いに勝てないような弱い人は、どうすればいいのか。

ただ、飢えて死ぬしかないのか。

今日はそういうお話をしてみましょう。

 

「争う」こと自体がリスクである、という考え方

ちなみに私は、「奪い合う」というのがあまり好きではなかったりします

行列ができていたら並ばないタイプですね。

スーパーでみんなが争うように争奪戦をしていたら、その商品が安くても、そんな場には近づかないタイプです。

「そんなことするぐらいなら、ちょっとぐらい高くても、他の店に行こう」とする人ですね。

すなわち、「争い」というものも、私はコストやリスクに含めて考えるわけです。

 

これは、私が年の離れた末っ子として生まれたことに起因するからでしょう。

年の離れた兄と戦う場合、力の弱い私は、戦っても、勝利をしても、リスクを得るわけです。

力のある兄を敵に回すと、後々が怖いですからね(笑

「戦って、勝って、奪っても、後々負うリスクがある」と、そのリスクの大きさが分かっているから、少々のことでは争奪戦に加わらないわけです。

例えばラーメン屋で行列に並んでいる人とか、スーパーでも割引商品を奪い合うようにして、そこまでして自分が得をしようとしている人がいるじゃないですか。

私はそういうのを見る度に、「彼らは目先の利益しか見えてないんじゃないのかな?」と感じるんですよね。

 

戦いに勝ったら、少しだけ利益が得られますよね。

スーパーなら、卵が100円ほど安く買えるわけです。

でも、負けた側は、「ちくしょー」と思って、次から対策をしますよね。

すると次は勝ち負けが逆転することになり、負けた方はさらにそれに勝てるように対策をすると。

この先にあるのは、果てしない「軍拡競争」なんですよ。

卵のために、100円ほど安く手に入れるために、30分前から行列を作っていると(笑

 

私の場合は、「争う」こともリスクだと考えます

だから、「将来に並ぶことになるトータル時間」ということもリスクなわけですね。

だったら、無理に卵に固執しなくても、他の道で「100円分の得」をしようと模索することもできるものです。

そこで例えば、卵料理をあきらめて、「豆腐で工夫をすれば、こんなに美味しくできて、大量に食べられる」と発見したとしましょう。

すると、長期的に見れば、それは何万円、何十万円という利益になるわけです。

一方で、毎回行列に並んでいたら、人生でどれだけの時間を浪費することになるのか、というリスクがあると。

 

だいたいアフリカでも中米でも、内戦がない国ほど発展してるんですよ。

逆に、内戦に明け暮れているような国ほど、貧しいものです。

それは、「戦う」、「奪い合う」方に意識を向けて、たたき合って、自分の利益を確保しようとしているわけです。

でも、国外から見れば「何も生み出していないどころか、貴重な資源を消費して自滅している」になりますよね。

だから、争えば争うほど、貧しくなっていくんだと。

 

豊かさが「場所」に固定されている場合、必然的に奪い合う

豊かさが「場所」に固定されている場合、必然的に奪い合うようになります

それは、上記のスズメの例や、チンパンジーの例と同じですね。

どんなに食料が豊かにあっても、全員に配れば十分に行き渡るほどあったとしても、分かち合うことなどしません。

というのも、他の人から命を狙われている状態で、安心することなんかできませんよね。

こうして「自分の既得権益を守るために」、「利権を勝ち取るために」と、軍拡競争に入ってしまうわけです。

 

一方で、「争いには加わらないで、新たな道を模索する」という道もあります

私はこっちが好きなんですよ。

「既にある場所から奪う」のではなく、「ない場所から作り出す」と。

 

必要なのは、「ない場所から作り出す工夫の力」だけです。

すなわち、「クリエイティビティー」があればいいんだと。

それも、無限には必要はなくて、ある一定量あればいいだけです。

無限に軍拡競争をする必要はありません。

自分と家族や周囲を維持できるほどの、クリエイティビティーを持てばいいだけです。

たったそれだけで、安心も安全も、豊かさも得られるんですよ。

 

同時に、そういう「ない場所から作り出されたもの」っていうのは、分かち合えるんですよ。

だって、元々「自分のもの」ではないからですね。

自分のものではないものを得られたら、分かち合えるものです。

でも、「これは自分のものだ」と思ってしまうから、分かち合えなくなるわけです。

この詳しいメカニズムは、以前に書いたので今回は省略します。

 

そんな風に、「分かち合う仲間と共に、境地を開拓する」という生き方もある、ということですね。

境地が発展し始めたら、そこにもまた豊かさが固定されるようになります。

すると、パイオニアはさらに境地へと向かって、新たな道を作り出すと。

 

まとめ

だから、「ない場所から作り出す」というアプローチであればあるほど、敵を作らずに、安心して楽しいことができるわけです。

そこで得られる豊かさがどれほど大きいかを知っているから、私は行列や争奪戦には加わらない、ということです。

「卵で100円を得する」にしても、「30分行列に並ぶ」、というリスクがあるわけで。

その30分で、それ以上の豊かさを生み出せるクリエイティビティーを持っていたら、並ぶのはアホらしいでしょ。

すっごい簡単な理屈ですよね。

 

それを、卵単位ではなくて、人生単位で実行する、ということです。

「卵で100円を得する」にしても、「30分行列に並ぶ」、というリスクを理解できる人は、多いと思うんですよ。

でも、「サラリーマンとして毎月給料を得する」、「でも毎日朝9時から夕方5時まで拘束されて、それを人生が最も充実した期間のほとんどを費やされる」、というリスクが見えない人は多いんですよ。

それが見えるようになると、自然と好きなことで生きていこうとするようになるかな、と思います。

 

「俺はこんなにも金持ちなんだ」、「こんなにも地位や名誉を持っているんだ」なんて、果てのない軍拡競争ですよね。

そういう人や国ほど、落ちぶれていく、ということです。

広い視野から見れば、「何を生み出すか」が、人や国の豊かさを作り出すんだと。

 

だから、私は奪い合う方向ではなくて、新たに作り出す方向に動いていると。

必要なのは、覚悟でしょうかね。

奪い合う場所でも、リスクはありますし、命を失う危険もあるんですから。

 

ってことで、今日は「一ヶ所に豊富にあると、奪い合うようになる」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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