今日は、「あこがれ」について語ってみましょうか。
「あこがれ」の本質は、「パートナーにしたい」ということなんじゃないかな、というお話です。
「自分が持ってないものを持っている人」だから、あこがれる
一昨日の記事で、「あこがれなんてものは、自分には持ってないからあこがれる」って触れましたよね。
自分が既に持っているものを、他の人にあこがれることはありませんからね。
あとは、価値を感じられないものも、あこがれないと。
自分が持っていないもので、自分にとっての幸せを補完しうるものだから、あこがれが生まれると。
ちなみに、「嫉妬」は「あこがれ」に「不公平感」が加わることで生まれるものじゃないかと思います。
「自分とあいつはほとんど同じ境遇なのに、あいつだけがより豊かに生きられている」というように、不公平感を味わうと、嫉妬になると。
でも、「あいつは自分よりも、毎日すっごく努力していた。だからあいつがより豊かになった。それは当然だし、さすがだな」という場合、不公平感はなくなるので、嫉妬はしないんじゃないかと思います。
あこがれの本質は、「パートナーにしたい」かなと
まあ嫉妬はさておき、あこがれが本題なんですが。
「あこがれ」ってのは、「自分が持ってない価値を、欲しいと思うこと」だと思うんですよ。
じゃあ、「人に対するあこがれ」ってのは、最初は「パートナーにしたい(仲間にしたい)」ということじゃないかな、と思います。
それができないから、「パートナーにできないなら、自分がそうなりたい」になるんじゃないかと。
だいたい、わざわざ自分で技術とか能力を身につけるのとか、めんどいでしょ(笑
パートナーにすれば、自分にとっての乏しい部分を補完できて、より安全で強力な個(チーム)にできますよね。
だから、「パートナー」というのは、基本的に「補完し合う」というのが目的なんじゃないかな、と思います。
これは夫婦的な意味だけでなく、ビジネスパートナーとか、何らかの目的で協力し合う相棒なども含む「パートナー」ですね。
で、「同じ目的地に行きたい」という価値観が同じであれば、最高でしょう。
すなわち、「目的が同じで、性質が補完し合う」という人が、いいパートナーになるんだと。
あこがれる人、そうでない人
例えば私だって、私が持っていない能力を持っている人とか、すっごいあこがれますからね。
いい絵を描く絵描きさんにはあこがれますし、詩的な映像を作れる映像作家さんにもあこがれたりするんですよ。
というのも、私は絵が得意ではなくて、詩的表現が全然できないからですね(笑
で、例えば私はリーダータイプなので、どんなに優れたリーダーであったとしても、そういうリーダーにはあこがれは抱かないんですよ。
他にも、同じ能力を持った人には、あこがれませんしね。
昨日触れた池上さんとかでも、あこがれるどころか、「一緒にいたら、私は意味なくなるやん」みたいな感じですしね(笑
尊敬はしても、あこがれはしないと。
むしろ逆に、クリエイターさんでも、リーダータイプでない人とか、能力的に補完し合える人がいると、「うわー、一緒にやりたい!」みたいにあこがれるんですよ(笑
例えば私は、「いつか少女漫画の原案ができたらいいな~」とかいうちょっとした夢があるわけです。
だったら、「絵や漫画を描くのは大好きで、細かい場面演出も好き。だけど、話の全体像とかプロット作りが超苦手で興味がない。ついでに売るための戦略とかにも興味なくて、指揮してくれるリーダーが欲しい」とかいう人がいたら、すっごいあこがれますからね(笑
いや、今の私はネタ帳作りを使命にしているので、募集するつもりはないんですが。
まとめ
だから、あこがれってのは、そういうものなんじゃないかな、と思います。
何らかの点で、補完関係ができる場合、あこがれになると。
で、補完関係が合っていれば合っているほど、強いあこがれになると。
ただ、目的地が違うことが多いので、その食い違いが多くあるんだろうな、とは思います。
で、それがだめだった時に、初めて「自分もそうなりたい」と思うようになるのかな、と。
ただ、「あこがれに自分もなりたい」という時点で、「自分の弱点を満たそう」とすることなんですよね。
それは、長所を伸ばすという、今の時代に合わないわけです。
なので、あこがれる人のようになる必要はないんじゃないかな、と思います。
「パートナーにしたい」の段階でとどめておいて、その先の「自分がそうなろう」というところには踏み込まないと。
すると、自分の長所を伸ばせるんじゃないかなと思ったりもします。
ってことで、今日はあこがれについて語ってみました。
今日はここまで~。