今日は、人に教えることとマインドについてお話ししてみましょうか。
「人に教える」ということは、「特別な知識」をなーんにも持たない状態になること、というお話です。
「人に教える」ってことは、「特別な知識」を何にも持たなくなる、ということ
私はずっと、ちょくちょくノウハウとかは公開していましたが、ここ1年半ぐらいでノウハウを集中的に出すようになったんですよ。
このブログもそうで、1年半ぐらい前から気合いを入れて書くようになりましたよね。
で、ノウハウをどんどん出していくと分かってきたことがあるんですよ。
それが、「人に教える」ってことは、「特別な知識」をなーんにも持たない状態になることなんだな、ってことです。
人に教える場合、「自分にとって最高に役立つもの」を出すようになるわけです。
で、そういう役立つ知識をどんどん出していくと、当然のようにネタが切れますよね(笑
それが当たり前の状態になると、次第に「新しいことに気づこう」という方向に意識が向き始めるんですよ。
すると、「新しく気づく能力」が磨かれて、どんどん新しいノウハウに気づけるようになると。
その場その場で気づいたものを、1日単位で気づいたことあればブログで書いて、1~2ヶ月単位で気づいたことは本にまとめるわけです。
これが今、私が入っているいい上昇サイクルですね。
私はここ1年半で本を山ほど出したんですが、だいたい「次はこれにしよう」っていうネタはあっても、「次の次はこれにしよう」っていうようなアイデアはないんですよ。
すなわち、その場その場で出し切っていると。
それでも、どんどん本を出せるわけです。
ある講演家の人が、「話す内容は会場で決める」とか言っていたんですが、まさにそんな感じです。
ネタなんか持っていなくても、「気づく能力」さえあれば、その場で十分に作り出せると。
「気づく能力を磨く」というのは、こういう状態になることですね。
「全てを手放す恐怖」を乗り越えられるか
で、人に教えるようなことをしたい場合、こういう状態に入ることをオススメします。
気づく能力があれば、どんどん新しいことを発見できて、教えられますからね。
ただ、これは裏を返すと、「特別な知識をなんにも持っていない状態になる」ということなんですよね。
その恐怖に打ち勝てるか、ということです。
私も昔、これと似たようなことを言われたんですよ。
「自分の持っている特別な知識を全部出してみなさい。すると、新しい知識が入ってきますよ」って。
そういうことって、本とかでもよく書かれているでしょ。
「与えよ、さすれば与えられん」みたいな。
でも実際のところ、「与えきる」っていうことは、恐怖なんじゃないかと思います。
例えば、全財産をどこかに与えきる。
それでも「私は十分に幸せに生きていける」と安心できるかどうかなんですよ。
昔の私は、これがさっぱり分からなかったんですよね。
でもようやく、それが理解できるようになってきました。
信頼できる環境に身を置いているか
これは、人生に対する「信頼感」のようなものだと思います。
例えばキャッチボールをするのだって、ボールを投げたら、自分の手元からボールがなくなるわけじゃないですか。
でも、相手が投げ返してくれるから、「ああ、ボールが返ってきた」、「またキャッチボールできる」と安心することができますよね。
それを信頼するようになるから、キャッチボールでボールを投げることには不安を感じなくなるわけです。
それと同じで、知識を与えたら、知識が返ってくる。
これは単純に、慣れだと思うんですよ。
慣れと信頼ですよね。
「ああ、手放したけど、また戻ってくるから大丈夫だよ」っていう安心感です。
逆を言うと、「ボールが返ってこないかもしれない」と不安だから、ボールを手元にため込んでしまうわけです。
そして、ボールを投げずに、「俺はこれだけボールを持っているんだぜ」と威張っていると。
「いやいや、野球場でボールを多く持っていたとしても、何にも楽しくないでしょ」と言いたくなりますよね(笑
野球場では、キャッチボールとか野球をするから楽しいんだと。
お金も知識も人生も、使って初めて意味が生まれる
それと同じで、お金は「使って初めて意味が生まれるもの」なんですよ。
1円も使わずに100億円を貯めて死んだ人は、ただのアホでしょ(笑
100億円あるのに、カツカツ困窮の生活をしているわけです。
「お金があるなら使えよ!」みたいな(笑
それなら100円でも持って、使って死ねたら、100円分楽しんだことになるんですから。
知識もそうで、「使って初めて意味が生まれるもの」です。
そして、人生もそうですよね。
自分の人生を何に使うのか、それがあることで、初めて充実した生き方ができるものですよね。
人生という野球場では、人生というキャッチボールとか野球をするから楽しいんだと。
ため込んだって、意味がないわけです。
で、そういうため込む人には、ボールを投げたくないでしょ(笑
だって、キャッチボールが成り立たないんですから。
だから、ため込むだけの人には、知識もお金もチャンスも、ぜーんぜん入って来なくなるわけです。
人は、ボールを自分に返してくれたり、もしくはちゃんとゲームが動く方向にボールを投げるような人に、ボールを投げたくなると。
「教える」というのは、この信頼感を得られるかどうかかな、と思います。
言うなれば、「気づく能力を磨くこと」とは、すなわち「世の中にはボールがいくらでもあって、そのボールを返してくれる人がいつでもいる、と気づくこと」ってことですね。
そういう「大いなるボールの流れ」があることを知る、ってことでしょう。
まとめ
なので、教えたい人は、一度手元にあるボールを全て投げきってみるといいでしょう。
お金でも、知識でも、自分にとってやりやすいものでいいので、とにかく投げきってみると。
何にも持たない状態になって初めて、ようやく磨かれ始める能力もあるってことですね。
その上で、そういう信頼できる環境に身を置いているか、ってことです。
ため込む人たちばかりに囲まれていたら、信頼感を失って当然ですよね。
ちゃんとボールを投げてくれる人たちに囲まれることが重要だと。
その上で、ボールを投げれば、ちゃんとボールは返ってきます。
ま、簡単に言うと、「ため込んでいたら、いつまでも不安は消えませんよ」、ってことです。
手放して初めて分かる信頼感もあるってことです。
ということで、今日は人にノウハウを教えるようになって分かったことについてお話ししてみました。
今日はここまで~。