今日は短くてシンプルに、精神的なお話をしてみましょう。
「いつ独りになってもいい」、「いつ死んでもいい」という覚悟があると、好きに生きられる、というお話ですね。
最悪の事態を受け入れると、後は上がるだけ
今日、ちょっと苦い出来事があったんですよ。
それでも結構あっさりと、「まあ、仕方ない」みたいに苦しいことを受け入れられたんですよね。
ふと気づくと、私は「最悪の事態を想定して、受け入れる」という決断が結構早いんじゃないかと思います。
以前は意識的に考えていましたが、今では無意識でやってるんですよね。
だから、苦い出来事があったときは、自然と「この出来事で最悪な結末は何だろう」と考える習慣ができていたりします。
それで、最悪のことっていうと、大抵は「独りになること」と「死ぬこと」なんですよね。
私はこれを、「いつ独りになってもいい」、「いつ死んでもいい」と受け入れられているから、最悪の事態を早めに受け入れられると。
最悪を受け入れれば、それ以上は落ちることはないので、安心するんですよ。
すると、後は工夫次第で上がっていくだけになりますよね。
だから、「生きているだけで丸儲け」になって、「今日も美味しい夕飯を食べられた。それだけで、まあいっか」と納得できると。
そして、「後どれぐらい生きられるかは分からないけど、精一杯生きよう」と前向きになれるわけですね。
この覚悟があれば、人生を好きに生きられて、しかも精一杯前進してゆけるんじゃないかと思います。
覚悟を決める方が、痛みは少ない
そして、私の感覚では、覚悟を決める方が痛みは少ないように思います。
普通は「覚悟を決めて動くと、傷つく」と思いますよね。
でも実際はそうじゃなくて、覚悟を決めて「傷ついてもいい」と思う方が、傷は受けないんですよ。
痛みは痛みでも、「受け入れた痛み」と「嫌なのに強制される痛み」の二種類があります。
「受け入れた痛み」よりも、「嫌なのに強制される痛み」の方が苦しいものです。
で、傷ついてもいいと覚悟を決めれば、全ての痛みを「受け入れた痛み」にできると。
だから、予想外な角度から来るものは痛くても、覚悟を決めて、予想できている痛みは、実は痛くないんですよね。
まとめ
そういうこともあって、「いつ独りになってもいい」、「いつ死んでもいい」という覚悟は結構使えるのでオススメです。
覚悟が決まれば、自由になれて、好きな道を選べると分かります。
こういう考え方もいいんじゃないかな、と思います。
ということで、今日は「いつ独りになってもいい」、「いつ死んでもいい」という覚悟があると、好きに生きられる、というお話をしてみました。
今日はここまで~。