今日は何かお話でもしてみますかね。

今日は「自分の人生を取り戻す」お話です。

 

「仕事が嫌だ」「仕事をやめたい」みたいな声を耳にして、そういやその辺で迷っている人も多いかも……ということで、自分なりの人生を見つけて、選んでゆく方法というか、そうなるための道筋を私なりに説明してみようかなと。

ということで、今日は

  • もっと充実したことをしてゆきたい
  • いつも疲れていて、やる気が出ない
  • 人に振り回されてばっかり

……という人向けに、自分の人生を取り戻すためのお話です。

 

多くの人が、「他人が決めた人生」を生きている

例えば、休日のクラシックコンサート会場があったとしましょうか。

そこではクラシックを演奏しているんですが、ある人が「どうしてロックをやってないんだ!」と言い出したとしましょう。

だったら私たちは、「おいおい、ならライブハウスに行けよ」と言いたくなるでしょ(笑

ここはクラシックコンサート会場なんだと。

 

でも、その人はこう言うんですよ。

「ここに来なさいって言われたんだから!」

「みんながここに来るから、しょうがないじゃない!」

……みたいに。

 

でも、町にはライブハウスとか山ほどあるんですよ(笑

しかも、行こうと思えば一人でも普通に入れる場所で。

「自分の意志で、休日は好きなところに行けばいいじゃん」と言いたくなるんですが、その人は「行けっこない」と思ってるんですよ。

 

実はこれと同じようなことを、多くの人がしているように思います。

多くの人が、「他人が決めた人生」を生きていると。

私もその感覚はよく分かるので、私の経験と一緒に語ってみましょうか。

 

たぶんこのページを見てる多くの人が、中学、高校と学校に通って、その後就職したり、専門学校とか大学に進んだと思います。

私の場合もそうで、中学校には地元だから地元の公立中学に入りました。

で、高校を選ぶ場合、私は成績が中より少し上だったので、「だったら地元の公立進学校に行きなさい」と成績で自動で決められて、「そんなものか」と従って進学したと。

ちなみに成績が超上位陣は、都会の有名私立高校に行って、地元の中以上は公立進学校、中以下で男子は公立工業高校、女子なら公立商業高校、下位1/3ぐらいは地元私立校か、就職か……っていうケースがほとんどでした。

 

で、高校に入ったら、その先の進路を決める際は、全国模試の偏差値から「君の成績ならこの大学のランク」って数値が出るわけです。

もちろん、家の事情とかで進学校でも就職に回る人もそれなりにいたんですが、それも含めて進路は「決められる」ものだったわけですね。

 

ちなみに私は、そこで神戸にある大学に進んだと。

こんな風に、人生の節目節目を、私たちは知らず知らずのうちに「他人や社会によって行き先を決められて」いました。

私自身の意志なんて、ほとんどなかったわけです。

「君の成績なら、この人生ですよ」と、勝手に決められてたと。

「何が好き」「これをやりたい」とか全くなくて、私自身にも「これが好き」「これをやって生きていきたい」っていうのが全くなかったわけです。

 

それに気が付いた時は、もう愕然としました。

生き方や進路だけでなく、私の身の回りにあるものの多くが、「常識」とか「自分のランクならこの辺」「周囲がこうだからこの辺」みたいな感覚、つまり「他人の軸」で決めていたんですよ。

 

実は多くの場合、就職の時も、「君はこの学科でこの成績だからここ」とか、ほぼ暗黙で決められたことを、そのまま進んでしまった……

……みたいな人は多いんじゃないかと思います。

 

それって、自分の生き方をほぼ全て「他人が決めている」ってことですよね。

他人に決められて、他人に「これをしなさい」「あれをしなさい」と言われて、自分の意志とか無関係に世界が進んでいくと。

 

私は学生時代とか、よく「自分がいなくても、この世界は何も変わらず、何も不便もなく、回っていくんだろうな」みたいな感覚になることがあったんですよ。

自分がまるで空気のような、いてもいなくてもいいような感覚で。

すると、自分の人生を生きている感覚がなくなってしまうと。

それって、私にとってはすごく嫌で、そんな生き方はとにかくしたくなかったわけです。

 

話を私の進路に戻すと、私は大学時代にゲーム作りにはまって、「こういうので生きていけたらな」と漠然とは思うようになりました。

でも、人の下で働くのは嫌だったわけですね。

なら独立して、商業に移ろうと思っていろいろアプローチしたんですが、結局実力不足でだめだったんですよ。

そして、お約束のように「この大学でこの学科、この成績ならこの就職先」という場所に就職してしまったわけです。

ほんと、流されるままでしょ(笑

 

就職して、会社に入って、「ここは動物園だ」と思いましたもん。

会社の周りには柵があって、自由に出ることもできない。

で、例えば東京の大森にある支社では、輝く高層ビルに、専用の社員食堂があって、そこではきちんとしたシェフが料理を作って、昼食になんとステーキまで出るんですよ。(その辺は結構すごい会社だったんですよ)

そういうステーキをがっつく、ネクタイ姿の同じ会社員たちを見て、「動物園の動物のように、人に言われるがまま忠実に生きれば
昼間からステーキが食べられる。でも、ここでは自由がない」と感じたわけです。

 

それが好きな人ならいいんですけどね。

例えば、庭で放されて飼われていたニワトリは、鶏舎に入れられると卵を産まなくなって、早死にするんですよ。

じゃあ、どうすれば鶏舎でも卵を産むニワトリができるかというと、「生まれたときから鶏舎に入れればいい」です。

生まれた時から鶏舎に入れられているニワトリは、ばんばん卵を産むと。

 

生まれた時から動物園にいる人は、それが幸せでしょうけど、私は動物園で生きるよりも、サバンナで生きたかったんですよ。

動物園のような美味しい肉が食べられなかったとしても、時に飢えることがあったとしても、二十四時間を自由に、自分の意志で動きたかったと。

だから、もう直感で「ここに長くいちゃ、自分がだめになる」と思ったんですよね。

周囲の同僚とか同期の人とかは「こんなもんさ」と鶏舎の中で生きる術を持っていたんですが、私は耐えきれなかったと。

 

当時は既に「ゲーム制作チームで独立する」と覚悟を決めていたので、会社員同士や上司、同僚の付き合いも絶対行かなきゃ
いけないもの以外は全部断ったんですよ。

同僚や社員からは、「付き合いが悪い奴だ」と思われたでしょうけど、私にとっては付き合いよりも、自分の人生を取り戻す方が
はるかに重要だったわけで。

で、私の場合は運良く成果を出せて、独立できました。

 

そこからは、動物園ではなく、サバンナで、泣き笑いを多く味わいながら、でも自由に生きているわけですね。

自分で選んだ人生だから、もう全く、これっぽっちの後悔もなく全力で生きることができています。

 

自分の人生を取り戻す、2つのステップ

まぁそんな感じで生きてきたわけですが、自分の人生を取り戻す場合、次の2つのことを乗り越える必要があると思います。

  • 一つは、自分の進む方向を見つけること
  • もう一つは、そちらの方向に進み始めること

 

今の会社や仕事が嫌でたまらなかったとしても、いざ「じゃあ、何がしたいの?」と言われると、答えられない人が多いんじゃないかと思います。

既にクリエイティブに、シナリオを書いていたり、漫画とかゲームを作っている人は既にここはクリアしているんですが、この段階で迷っている人は多くいるなという実感です。

 

で、上記の2つのことを解決するには、次の二つを実行すればいいかと思います。

  • 進む方向(ゴール)はどこでもいい。深く考えず、適当に決めちゃいなさい。
  • 元気が出なくなる道はやめて、元気が出る方向に進みなさい。

 

「人生を適当に決めちゃいなさい」と言っていて、すっごい非常識な感じがするでしょ(笑

でも、進む方向は、「自分の意志」で決めさえすれば、どこでもよかったりします。

特に最初から目的地が分かることなんて、まずありません。

 

私自身も、「ノベルゲーム制作で生きていけたら」と思っていたんですが、余裕で飽きて、本質は違うところにありましたし(笑

なので、適当に決めちゃえばいいんですよ。

できることなら、周囲の人に打ち明けたら、猛反対するような方向性がいいかと思います。

周囲が「素晴らしい! 是非そうしたまえ!」と言うようなものは、ほぼ「他人が決めた価値観」であるものでしょうからね。

 

なので、この段階では方向性は人には言わない方がいいでしょう。

こっそり、江戸末期の脱藩者のように動き始めましょう(笑

 

で、次に重要なのが、「元気が出なくなる道はやめて、元気が出る方向に進むこと」です。

この方向に進んで成功と失敗を繰り返していると、次第に「本当に自分がやりたかったこと」が見えてきます。

 

例えば、1枚の白紙があるとしましょう。

そのどこか一点に、自分がいます。

で、この紙のさらにどこかに、自分にとっての天職の一点があります。

その「天職の一点」は、どこにあるか分かりません。

自分の知覚できる近さにはないことは明らかです。

 

ただ分かるのは、その「天職の一点」に近づけば近づくほどワクワクし始めて、遠くなればなるほど元気がなくなって病気になっていく……ということです。

なら、適当にサイコロでもダーツでも投げるんですよ。

すると、紙のどこかランダムな場所にゴールができて、方向性が決まると。

 

なら、現状の一点から離れて動き始めると、次第にワクワクするか、元気がなくなっていくか、分かりますよね。

元気が出てきたら、天職に近づいてきていると。

病気になってきたら、天職から離れていると。

そこから、「こっちでよさそう」「こっちは違ってそう」と判別できて、そしてまた適当なタイミングでサイコロなりダーツを投げて、移動すればいいんですよ。

 

すると、それを3~4回でも繰り返していれば、次第に白紙に地図ができあがってきて、「大体こっちの方向がよさそう」っていうのが感覚的に理解できるようになります。

さらに繰り返していれば、かなりピンポイントでその「天職の一点」を把握できるようになるでしょう。

 

そして、元気が出れば出るほど、他人から見ればすごい作業量でも、楽しくできるようになります。

「頑張って、苦労して、人一倍働く」なんてしなくても、「楽しくて、ワクワクして、好きなことをやっていたら、人一倍どころか人十倍ぐらい効率が出ていた」という状態になります。

楽しくて、人よりも効率的にできて、生産性が上がるとか、最高ですよね。

こういう状態になりましょう、ということです。

 

実際に私もこれと同じようなことをして、旧チームでのゲーム制作をやめてから、一時期方向性を見失った時期があったんですよ。

でも、「アニメを作る」「FPSを作る」みたいに適当に決めて動いていれば、痛い目を見つつもその都度、「これから本当にやりたいこと」が次第にはっきりと見えてきました。

そして、動けば動くほど、エネルギーが出てくるようになったと。

 

大切なのは、「自分の意志で目的地(方向)を決めること」ですね。

「会社が嫌だから辞めたい」ではだめなんですよ。

それは、自分の意志でゴールを決めてないからですね。

 

ゴールを決めずにやめてしまうと、行きたい方向に向かわないでしょ。

ずっと現状に居続けると。

だから何十回も転職し続けても、全然成長しない人になってしまうと。

そして一度動き出したら、「元気が出る道を選ぶこと」が大切です。

すると、他の人が「すごい作業量」に見える苦しいことでも、自分にとっては「楽しくてワクワクして、熱中してやっていた」という楽しくて幸せなことにできます。

 

まとめ

この辺の心理的カラクリは説明すると長くなるので、とりあえずここまでにしておきますが。

私の周囲にも、鶏舎では病気になってしまうタイプの人がいると思うんですよ。

特に、私のブログを好きで読んでいる人は、そういうタイプは多そうな予感がします(笑

で、現在鶏舎に入れられていて、しかも病気になりつつあったりする場合は、早めにゴールを設定してみると元気が出てくることがあると思います。

 

なので、それら二つを対処して、乗り越えていくと、光が見えてくるんじゃないかな……と思ったりもします。

ま、参考にしちゃって下さいませ。

今日のお話はここまで!

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