今日は、精神的なお話です。
失敗しないこと=満足すること、ではない、というお話です。
失敗しないことが、満足することではない
今日、ちょっとした作家志望の方とやりとりをしていて、ちょっと気づいたことがあったんですよ。
それは、その方はとても失敗することに恐れを抱いていたんですよね。
「正しいプロットを作らなきゃいけない」とか、「破綻したものを作ってはいけない」みたいな風に、おびえていたわけです。
私は、失敗してもいいと思うんですよ。
失敗してもいいし、破綻したものを作ってもいいと。
というのも、物語を作るとか、作品を作ることって、楽しいからすることですよね。
そういう世界では、「失敗しないこと=満足すること」ではないわけです。
例えばスーパーマリオでも、何度も死ぬ(失敗する)から面白いんですよ。
スーパーマリオで誰でもクリアできるように、障害物も何もない真っ平らな道がステージで、それが延々と続くとか、考えただけでもつまらないでしょ(笑
失敗して、「うまくいかないなぁ」と悩んで、「そうか、こうすれば抜けられるんだ」と気づいたときに、アハ体験みたいな快感があって、うまくいくわけです。
クリエイティブな楽しさって、そういう「難しいものを乗り越えて、自分のビジョンを形にする」みたいなところがありますよね。
無難にそつなくこなしたとしても、楽しいことがなかったら、つまらない
人生も同じだと思うんですよ。
無難にそつなく終わらせることよりも、失敗してもいいから、破綻してもいいから、楽しむことですね。
無難な生き方だったとしても、楽しいことがなかったら、死ぬときに後悔すると思うんですよ。
そして私から見ると、そういう「失敗のない人生」っていうのは、「大きな失敗」のように見えます。
物語作りも人生作りも、どれも楽しくすることです。
物語って、主人公がいろんな冒険をするじゃないですか。
いろんな問題が降りかかってきて、時に泣きながら、時に苦しみながら、それでも乗り越えていく、みたいな流れですよね。
物語を作ることも、人生を作ることも、どちらも同じことです。
架空の人物が主人公になるか、自分が主人公になるかの違いだけです。
そういう「冒険の旅」が、物語作りや人生作りでも、一番の醍醐味だと思うんですよ。
自分の意思で、冒険の旅に出る
言うなれば、自分の意思で、怖いお化け屋敷に入るようなものです。
お化け屋敷に入ると、自分一人で怖かったり、乗り越える力がないかもしれません。
そんなとき、周囲を見渡すと、同じように「このお化け屋敷を抜けたい」と願う仲間がいるものです。
すると、その人と仲間になれると。
そして仲間を信頼して、次に何が起こるか分からないけれども、とりあえず目標地点まで互いに協力し合って進むことができます。
それが楽しい冒険の旅だと思うんですよ。
毎日がつまらなかったり、ストレスまみれだったりするのは、冒険が始まっていないからですね。
冒険が始まれば、「つまらない」とか「ストレスだわー」とか感じる暇はなくなります。
それだけ毎日が必死になりますからね(笑
でも、そういう必死の状況になると、全身全霊を出せて、エネルギーがほとばしって、真剣に向き合えるんですよ。
それが「楽しい」わけです。
まとめ
その「物語作りのコツ」と「人生を楽しむコツ」が同じだと分かったとき、どちらも最高に楽しめるようになります。
失敗しても、時に破綻してもいいんですよ。
破綻しても、まっとうに生きていれば、命までは取られません。
私が知っている建設会社の元社長さんは、負債300億円を抱えて倒産したんですが、それでも元気に生きていますから。
そういう実例を知っていれば、「人間、まっとうに生きていれば、結構なんとかなるんだな」と分かります。
リスクを冒せば冒すほど、冒険に出れば出るほど、人は安全を大切にします。
お金を大切にして、人生や残された時間、仲間やパートナーとの信頼関係を大切にします。
逆に、リスクを恐れれば恐れるほど、冒険をしないほど、それらをぞんざいに扱うようになります。
自分にとって意味あることではなくて、暇つぶしやストレス発散、見栄のために、お金や時間、人生や人間関係を使ってしまうわけですね。
失敗が悪いのは、学校の中だけです。
学校は100点を取れば褒められますが、人生は1億点満点のテストのようなものです。
他者の採点というのは、せいぜい100点です。
残りの9999万9900点は、自己採点です。
自分が納得できれば、十分にいい人生にできるかと思います。
そう考えると、「失敗も悪くないな」と分かるんじゃないかと思います。
ってことで、今日は「失敗しないこと=満足すること」、ではない、というお話をしてみました。
今日はここまで~。