今日は、ビジネス寄りの、精神的なお話をしてみましょう。
「ファンを見ていると、不景気が関係なくなる理由」というお話です。
なぜ、ファンに目を向けていれば、不景気は関係なくなるのか
先日、「ファンに目を向けている人には、不景気や出版不況なんか関係ない」って言いましたよね。
今日はその原理を説明してみようかと思います。
実は、この原理は簡単なんですよ。
ファンの数って、「景気には影響されにくい」という性質があります。
まぁこれは考えてみると分かるでしょうが、ファンであればあるほど、その活動をやめることはありませんよね。
不景気になって収入が落ちたら、「ファンでない部分(どうでもいい部分)」から支出をカットしていくんですから。
本当に大好きなことは、文字通り食費を削ってでも、睡眠時間を削ってでもやるものなんですよ。
もしくは週末まで取って置いて、時間があるときにしっかりと楽しむと。
だから、「不景気で売り上げが落ちた」、「出版不況で売り上げが落ちた」というのは、ファンでもない人に売りつけていたからそうなると分かります。
「ファンに届ける」ということを考えずに、売り上げを追いかけてしまっていた、ということですね。
まあ、生活必需品みたいな大量生産大量消費のものに関しては、別にそれでもいいんですよ。
でも、ゲームとか漫画みたいな娯楽産業とか、クリエイティブな分野においては、それは危険だということですね。
ファンを見ていれば、自分の実力を誤解することがない
こういう風に、ファンを見ていれば、自分の実力を誤解することがなくなります。
どばーっと一時的に流行になったとしても、本当のファンの数を見抜けるようになります。
すると、収入レベルが一時的に上がったとしても、「今の自分では、この程度の収入量が妥当だな」と分かり、生活レベルを上げることはありません。
多くの人が、ちょっとブームが来たり、ちょっとヒットをしたら、「これが自分の実力だ」と勘違いしてしまうんですよ。
もしくは、「売れている状態にセルフイメージを置く方がいい」とか思って、高級マンションに高級ブランドで身を固めてしまうと。
そしてブームが去ったら、破滅してしまうわけですね。
本当に高いセルフイメージを持っている人は、「高級マンションや高級ブランドがなくても、自分には価値がある」と思える人です。
一流ホテルのラウンジでお茶をしても楽しめますが、自宅で安いお徳用のお茶を味わっても、「こんな風に安らかにお茶を味わえるって、幸せだな」と感じることができる人です。
例えば日本でも随一の個人投資家の竹田和平さんは、アホほどお金を持っていても、普通にファミレスで食べるんですよ。
納税額で有名な事業家の斉藤一人さんとかも、普通にやっすい食堂で食べたりすると。
もちろん、高額なものでも楽しめますし、どっちでも楽しめるんですよ。
すなわち、「一流ホテルのお茶でなきゃだめだ」というのは、セルフイメージが低いからそうなるわけですね。
すると、「一流でもお徳用でもどちらでも楽しめる」となったら、ブームが来て一時的に売り上げが伸びたとしても、生活レベルを上げることはありません。
それは、「すぐに戻る」と分かっているからですね。
なら、生活レベルを上げることよりも、投資に回すこともできますよね。
「生活レベルを上げてもいい、上げなくてもいい。なら、私は上げない方を選ぶ」とできるわけです。
セルフイメージが低い人は、「戻りたくない」と恐怖を感じます。
それは、「お金を持っていなければ、高額なものに囲まれていなければ、自分には価値がない。人生を楽しめない」と思い込んでいるからかもしれません。
そして「自分は成功者で、お金持ちであるはずなんだ」と、生活レベルを上げた状態を維持しようとしてしまうと。
だから、収入レベルに合わない家に住み続けたり、収入レベルに合わない生活をし続けて、結果として落ちてゆくんですよね。
セルフイメージが高ければ、すぐに伸びていく理由
ちなみにファンを見ていたとしても、売り上げが落ちていくことはあります。
でも、「未来に売り上げが先細りになってゆく」と分かれば、早めに生活レベルを下げて、余った分を投資に回すことができます。
すると、結果としてまた伸びていく、ということですね。
私は今まで、ゲームからアニメに移ったり、そこからまた3Dゲームに移ったり、本に移ったり、作家向けに移ったりと、ファンを作り替えることをよくやってきました。
そういう場合、ヒットするものもあれば、そうでないものもあります。
そういうのを経験していると、「もし自分の実力を誤解して生活レベルを上げたままだと、すぐに破綻していただろうな」と切に感じるんですよね。
どんなにヒット作を出したとしても、生活レベルを下げられない人は破綻しますからね。
売れても、それほど売れていなくても幸せ。
ファンの数が1人だけでも、10000人いたとしても、どちらでも幸せ。
高額なものでも、お徳用でも、どちらでも楽しめる。
それは、「普通のもの」でも十分な価値を見いだせるから、楽しめるわけですね。
そして私は、そういう「どっちでも喜んでくれる」みたいな人を、魅力的に感じたりします。
だったら、私もそうでいよう、と思うんですよ。
私と一緒にいてくれるその人が、成功していたとしてもそうでなくても、お金があってもなくても、私に対する好意には、精一杯喜んであげたいな、みたいな。
小さな子どもから、その辺に咲いている野草の花を一輪もらったとしても、それは十分な喜びを与えてくれることです。
力のない人から、ありふれたものをもらったとしても、そこに好意があれば、深く喜びを味わえる。
そういう人でありたいな、と。
まとめ
そんな風に、セルフイメージが高い人というのは、「今の自分でいい」と受け入れられる人です。
「もっとすごい、こういう状況でなきゃだめ」というのは、逆にセルフイメージが低い、ということですね。
すると、「今の自分でいい」という人には、不景気はなくなります。
「いいときも悪いときも、自分は自分」で、状況に合わせて楽しむだけです。
そしてどんなときでも、自分が分かち合えるものを、分かち合いたい人(ファンの人)に分かち合うと。
だから、「ファンに目を向けている人には、不景気や出版不況なんか関係ない」、ということです。
ひょっとすると「不景気だ」というのは、セルフイメージが低いことで、実力を見誤っているだけなのかもしれませんね。
本当は、身近なところに、豊かさも喜びもいっぱいあるものなんですよ。
それに気づけば、実力は少し控えめに認識してもセルフイメージは高いままですし、実力が低くても自信は持っている状態になれます。
そういうのが、健全なセルフイメージで、状況に対する健康的な姿勢かな、と思います。
ということで、今日は「ファンを見ていると、不景気が関係なくなる理由」というお話をしてみました。
今日はここまで~。