今日は、ちょっとビジネス寄りな、精神的なお話をしてみましょう。
「ファンに届ける」という感性のお話です。
ちなみに、今日はちょっと長文(通常記事の1.5倍ぐらいの量)です。
Gacktさんの感性
今日もいい記事を見つけたので、ご紹介。
Gacktブロマガ第百参拾壱号編集後記より(GACKTオフィシャルブログ GACKT.com)
内容はというと、Gacktさんがなぜ音楽以外のビジネスをするようになったのか、というお話です。
当時のレコード会社は、実力やクオリティ、表現を突き詰めるよりも、CD売り上げを至上としていたわけです。
で、CD売り上げを主体とした音楽産業が衰退していくのを感じ取って、Gacktさんは「自分の未来を創造するような、突き詰めたい音楽をしよう」と思うようになったと。
そこで印象深い言葉があったので、引用してご紹介。
あの時の判断があったからこそ、今もこうやって自分の残したい音楽を
そして狂っていると言われるステージを思う存分作ることが出来る。(中略)多くの事務所のミュージシャンは、やはり売れることを追いかけていた。
それが普通と言えば普通なのだが・・・。そんなやり方や考え方では、ボクはとっくに消えていたかもしれない。
これがまさに、私の伝えたい感覚と同じなんですよね。
よく言うことですが、コンテンツ産業にはゲーム産業とか出版産業とか、映像産業とかいろいろあります。
で、音楽業界は全てのコンテンツ産業の中で、一番早く時代変化の影響を受ける形になっています。
すなわち、音楽産業を見れば、他の産業の未来も見えるわけですね。
ファンが見えていれば、迷いはなくなる
そして私が感じている違和感も、Gacktさんが感じた違和感と同じなんですよ。
一言でそれを言うならば、「多くのクリエイターは、ファンが見えていない」ということですね。
それが、迷いや苦しみを生み出す原因になっていると。
私はよく「ファンを大切にしろ」と言いますが、ファンに届けるためを考えれば、迷いはなくなります。
例えば作家さんで言うと、やはり売れることを追いかけているわけです。
ちなみに、売れることそのものはいいことなんですよ。
「売れる」というのは、「ありがとうを得ること」でもありますからね。
じゃんじゃん売って、じゃんじゃん売り上げを上げればいいものです。
でも、その前提には「ファンに届けるのであれば」という条件があるんですよ。
「ファンに届けるのであれば、売り上げをどんどん上げればいい」と。
ま、普通に考えれば分かりますよね。
ファンでもない人に押しつけて売り上げを上げるなんて、それは王道ではなく、邪道ですからね。
すなわち、ファンが見えずに売り上げを上げるというのは、目的がすり替わってしまう危険が大いにあるわけです。
「ファンに届ける」のではなくて、「売り上げを上げる」ことを至上命題にしてしまうと。
そのズレが、Gacktさんが当時持っていた音楽業界への違和感であり、私が持っている出版業界への違和感でもあります。
ある新人漫画家さんと編集者のやりとり
この違和感を象徴するようなやりとりがあるので、ご紹介しましょう。
ある新人漫画家さんが、出版社の編集者とこういうやりとりをしたって言うんですよ。
編集者は、新人漫画家さんにこう言うわけです。
「今、君には誰も君の漫画を見てくれるお客がいない。
今のところ僕だけが、君のお客だ。
だからまずは、最初のお客である僕を、しっかりと満足させる漫画を描きなさい」
この言葉に潜む違和感に気づけるかどうかじゃないかな、と思います。
まあ、ちょっと考えてみましょうよ。
「君には誰も、君の漫画を見てくれるお客がいない」とか言っていますが、少なくとも出版社の編集者がつくのであれば、それなりの実力を持っているものなんですよ。
そもそも編集者は、「この人の実力があれば、世の中に受ける」と思っているからこそ、担当するんですからね。
だから、「ファンがいて当然の実力」なのに、「君にはお客がいない。僕しかいない」と偽りを言っていることになります。
そして、漫画家さんから「世の中にいる多くの潜在的なファン」を見えなくして、「僕の言うことに従いなさい」と、自分がファンの全て、ファンの代弁者であると示しています。
そうして、編集者は新人漫画家さんを「支配・コントロール」します。
その上で、編集者は「こうしなさい。こうすればよくなる」と伝えます。
それは確かに売れるための改善内容なんですが、その前提にあるのが「出版社のファンに届けるため」なんですよね。
作家は「自分のファンに届けるため」ではなくて、「出版社のため」に作るようになってしまうと。
作家にとっては、「出版社のファン」はいるので、出版社を通せば売り上げが出ります。
でも、「自分のファン」はほとんどいないので、その雑誌から外れると、極端に売り上げが落ちます。
実際にそういう作家さんは、同人誌を出しても、自費出版をしても全然売れないんですよ。
だって、みんな「その雑誌のファン」だから、その雑誌を買い続けるわけです。
だから、その作家さんは出版社から離れることができなくなります。
こうしてその作家さんは、出版社に収益という名の生殺与奪の権利を奪われて、奴隷になってしまうわけですね。
すると、編集者の命令に従わなければならなくなって、好きでないものでも作らなければならなくなります。
そしていつしか、「なぜ漫画を描いているんだろう?」と、自分すら見失ってしまうわけです。
それで出版社でも売れなくなったら、捨てられて、何も残らなくなると。
欧米諸国の植民地支配手段と同じ
これは、過去に欧米が植民地支配をしていた方法と全く同じ構図です。
大航海時代を迎えて、欧米の列強諸国は次々とアフリカやアジア諸国を制圧していきました。
そして、彼らは植民地に対して、米や麦などの生活必需品目の作付けを禁じます。
その上で、カカオとかコーヒー、サトウキビや綿花のような、嗜好品や必需ではない品目を作らせて、欧米に輸出させて代金を支払うようになりました。
植民地側からすると、自給自足の手段がなくなり、そのインフラやノウハウも失われていきます。
で、カカオやコーヒーをやめると、自給自足ができない上で売り上げがなくなってしまい、生きていけなくなります。
だから植民地側は、カカオやコーヒーみたいな嗜好品を作り続けなければいけなくなります。
そして、その価格決定権は欧米に握られているので、必然的に「生かさず殺さず」の奴隷状態になってしまうわけですね。
自分のファンが見えなければ、自ら奴隷になってしまう
植民地支配と出版社が違うのは、「作家が自ら奴隷になろうとしている」ということです。
自分には既にファンがいるはずなのに、そのファンに目を向けずに、目先の売り上げを求めてしまうと。
だから「一気に売れるには、新人賞しかない」、「大好きな漫画でお金を稼ぐには、出版社を通すしかない」とか思って、いつしか奴隷になってしまうわけです。
本来、出版社や流通会社は「作家がファンに作品を届ける過程を効率化するためのもの」です。
「作者が作者のファンに届ける」が先にあって、それを促すために流通業者を利用するものです。
「流通業者を利用すれば、ファンができる」と考えるのは、目的と手段がすり替わっていることになります。
ファンは、他の人に作ってもらうものではありません。
自分で積み重ねて、作るものです。
それは、「自分の使命は、自分で設定する」というのと同じです。
ファンとは、「使命を通して、豊かさを分かち合う対象」のことですからね。
だから、ファン作りを他の人にゆだねるものではありません。
そして、ファンは1人であろうが、1万人であろうが、関係ありません。
常にその人に対して、全力を尽くして最高のものを与えるだけです。
なのに、その「自分のファンに届ける」ことを見失ってしまうと、出版社の奴隷になってしまいます。
ファンが見えていないと、こうなる
それを踏まえた上で、この漫画家さんのこの独白を見てみるといいでしょう。
完全に自分を見失ってますよね。
これは、「自分のファン」が見えていないからこうなるわけです。
この漫画では、最後のコマで、「S(自分のファンでもない人)に面白いと言ってもらえたら、最高だな」と言っています。
ファンでもない人に届けようとして、他者の価値観を変えようとしているわけです。
本来なら自分の内面を見て、自分の方向性を変えなければならないのに、他者を変えようとすると。
で、もしS(自分のファンでもない人)を力でねじ伏せて面白いと言わせたとしても、「面白くない」という人は次々に出てきます。
そしてこの人は永遠に、「ファンではない人を、自分のファンにしてやろう」、「自分を認めさせてやろう」と、力で世界中の人を征服しようとするわけです。
救いがない、バッドエンドですよね。
ファンが見えていない人や業界は、崩壊する
Gacktさんが感じていることも、私が感じていることも、同じです。
「この(ファンが見えていない、売り上げ至上主義の)ムーブメントは、狂っている。いつか崩壊する」ということです。
既に多くの小説家が、小説執筆では十分な収入を得られなくなってきました。
元芥川賞作家ですら、売れずに貧しい状態になっている人がいるぐらいですからね。
漫画家でも同じです。
こう言うのは何ですが、自分の作品がアニメ化されたほどの漫画家なのに、ついに雑誌から落とされて、ウェブコミックに流された人も出てきているほどですからね。
彼らに共通するのは、「自分のファンが見えていない」ということです。
ファンが見えている人は、迷わない
一方で、ファンをしっかりと見て、ファンを確保できている人は、全く影響を受けません。
不景気だとか、出版不況だとか、そんなの全く関係ありません。
出版社からの契約を失ったとしても、別の出版社を使うことができます。
出版社を使えなくなっても、ファンの数はほとんど減らないので、多少の不便はあったとしても売り上げを多く失うこともありません。
彼らは奴隷ではなく、自立しているからですね。
そして、ファンに届けようとするならば、必然的にマニアックでニッチな方向に向かうようになります。
これは、Gacktさんの言葉をまるまる引用してみましょう。
ボクもレコード会社に所属していた手前、確かにCDを作ってはいたがすでに【CDを売る】ということに全く興味がなくなっていた。
未来の創造に全く繋がってなかったからだ。
より自分の音楽は、もっとコアな方向に、マニアックと言われても 、自分の突き詰めたい音楽をやろうと
カラオケには全く向いていない曲を作るようになっていった。もちろん、それはCDの売り上げに反映もされた。
だが、ボクはそれが自分の間違いだとは思っていなかった。売れ線の曲を追いかけることより、自分にしか出来ない曲を書くことの方が
大きな意味があると信じていたからだ。
「未来の創造」というのは、積み重なるものと言えるでしょう。
自分の人生において、「これを追い求めてよかった。意義があった」と思えることを追求していくことです。
すると、自然とマニアックで、自分にしかできないことの方が、「大きな意味がある」と感じるようになります。
それが、自分とファンを同時に満たすことになるわけですね。
もちろん、大きな売り上げはすぐには得られないでしょうし、一時的に売り上げは落ちるかもしれません。
でも、それをちゃんと積み上げた人は強い、ということです。
まとめ
だからこそ、目先の売り上げではなくて、ファンを大切にしましょう、ということです。
ファンに目を向けた上で、じゃんじゃん売り上げを上げましょうと。
ファンのない売り上げは、砂上の楼閣だということですね。
私は本もゲームもメジャーでは出していませんし、同人や電子書籍でしかリリースしていません。
でも、ありがたいことに多くのファンの方に支えてもらっています。
私が24時間大好きなことだけをして、大好きな人とだけ付き合って、十分に豊かに生きられるのは、そういうファンがいてくれるからですね。
私は、あんまり世界中の人を変えようとはしないんですよ。
私を愛してくれるファンの人に、常に最高のものを届けたい、ということですね。
そしてそんなファンの人が、私に力を与えてくれると。
だから、こんな長文ブログを毎日書けているんじゃないかな、と思います。
他の人と同じように生きる必要はないんですよ。
他の人が「これがあって幸せだ」と言っていることを、無理に手に入れる必要もありません。
「私はこう生きたい」と、自分にとって納得できる生き方ができれば、それでいいんじゃないかと思います。
そしてそれこそが、私たちのファンが、私たちに求めていることのようにも思います。
ということで、今日は「ファンに届ける」という感性のお話をしてみました。
今日はここまで~。
(追記)
ちなみに今回の話は、出版業界向けのお話です。
不思議とゲーム業界については、こういう違和感はほとんどないんですよね。
ゲーム業界のクリエイターさんは、使命感を持っていたり、ファンが見えていて、そしてクリエイティブな人が多いと。
なので、ゲームクリエイターさんや、ゲーム業界育ちの人は、この辺がしっかりできている人が多いように思います。
そういう意味でも、ゲーム畑育ちの作家さんは安定感があるように感じます。